秘境アバの自然と民族 @


夏秋牧場のテント生活
劉世昭=文・写真
 
新鮮なヤクの乳から酥油を分ける仕事をしているカンロさんの母親
  草原、湿地、チベット族やチャン族の豊かな文化が保護されている、アバ(阿ハ)・チベット族チャン族自治州。四川省の西北部、青海・チベット高原の東側に位置しており、面積8万4000平方キロ、人口は約85万人を抱える。

 まだ訪れる人の少ない秘境の地であるアバを、自然、各民族の習俗、文物などを通し、1年間にわたって、写真と共に紹介していく。 (協力=アバ州政府・大九寨管理委員会)

 中国工農紅軍は、2万5000里長征(1934年10月〜36年10月)の時、この辺りの野原を横切ったことがある。1960年代、県を設ける際、当時の周恩来総理は、「紅軍が歩いた草原」の意味から、ここを「紅原」と名づけた。

見渡す限りの花の大草原

アバ地区で最も大きいチベット仏教のネイマパ(寧瑪派)の寺院・万象大慈法輪林

 アバ・チベット族チャン族自治州の政府所在地バルカム(馬爾康)の街を車で後にし、長江と黄河の分水嶺の査真梁子を越え、海抜3600メートル以上の紅原県に入った。見渡す限り花の咲き乱れる大草原は、紅原県で一番美しい夏の景色だ。黄河の支流である白河は緩やかに流れ、ヤクの群れが山野に点在し、チベット族から神様と尊ばれるハゲワシが、自由に空を飛んでいる。

仏事用の服を身につけた、麻色寺の活仏ドルジさん

 山、川、草原が織りなした典型的な草原にある月亮湾を通り、ボン教のお寺、麻色寺に着いた。ボン教はチベット本土の宗教から発展した教派だが、8世紀から9世紀にかけてのチベット王が、「仏教を興し、ボン教を抑える」政策を出し、それによりボン教の信徒たちは、この紅原に移り、ボン教を発展させてきたと、世襲した活仏(呪師ともよばれる)のドルジさんは語る。

 車でさらに走ると、壮観な瓦切塔林が目の前に現れた。これは、円寂の第10世パンチェンラマを記念するために、人びとが建てたものである。多くの人がここを訪れ、塔(塔林)を回り経幡(お経を書いた旗)を掲げて、チベット仏教の大師を偲ぶ。

テントでの生活

移転中のヤクの群れと牧畜民

 紅原県は、チベット族が居住し、牧畜業のみを行っている県である。豊かな天然の牧草地に恵まれ、この地で生産される青海・チベット高原特有のヤクの肉や乳製品は、都会の人々からとても好まれている無公害食品である。

 牧畜民たちは、毎朝4時からヤクの乳をしぼる。道路際にテントがあり、その傍らには2匹の獰猛な顔つきのチベット犬が、取材に訪れた我々に向かって烈しく吼えた。

 チベット犬は、豹や熊と闘う当地独特の猛犬で、チベット族の家々はこの犬を飼い、家や家畜を守らせる。

ヤクの乳をしぼるカンロさん

 私たちの来訪を知ると、搾乳中の女性は手を止め、テントの中を案内してくれた。この女性はカンロさんといい、今年37歳。夫は出稼ぎに行っており、70歳の母親と学齢前の息子が留守番をしている。

 黒いヤクの毛で編んだ粗布で作られたテントは、広さ約20平方メートルある。入り口には門の代わりに、2枚のカーテンが懸けられていて、昼間はカーテンを開け、太陽の光を取り入れる。出入りにもとても便利だ。

 テントの中の真正面には仏壇があり、4枚のタンカと呼ばれる仏画と、仏像や活仏の写真が掛かっている。テントの真中にはストーブ、テント際には2つの携帯用ベッド、隅には燃料となる乾燥したヤクの糞が積まれており、テント内には、必要なものしか置かれていない。

 70歳のお婆さんは、テントの中で、酥油(新鮮なヤクの乳から取り出した精製前のバター)を作るために、ヤクの乳の入った分離器をかき回していた。カンロさんの息子は、テントを出たり入ったりしながら遊び、時にはお婆さんや母親の手伝いをする。

夏秋牧場の仕事

オートバイに乗って放牧する牧畜民

 「紅原の冬は、11月から翌年の4月までと長く、5月末ごろになってやっと夏秋牧場に来ることができます。ここではテントで生活し、放牧したヤクの乳をしぼります。10月には、冬春牧場に引っ越しますが、もっとも寒い時は、マイナス20度以下になることもあるので、レンガづくりの住まいで過ごします」と、中国語が話せるカンロさんは、牧畜民たちの半遊牧的な生活を語ってくれた。

颯爽と馬に乗るチベット族の少女

 アバ・チベット族チャン族自治州の草原で生活しているどの牧畜民も、海抜の比較的高い傾斜地の「夏秋牧場」と、平原の「冬春牧場」を持ち、毎年この2つの牧場を行き来する。道中、テントや生活用品を載せたヤクが、草を食みながら、馬に乗った一家と移動している光景を目にした。

 飼っていた120頭のヤクが、今年、三十数匹の子どもを生んだと、カンロさんはうれしそうに話してくれた。昨年の収入は、生産したヤクの乳や乳粕、酥油などを売り、2万元以上あったという。ヤクの乳しぼりを終えたカンロさんは、成年のヤクを山の斜面に放し、子ヤクは、針金の網で囲った草地に放し飼いする。

高原の猛犬・チベット犬

 子ヤクの放牧場所は、毎日換えられる。同じ場所だと、溜まった糞尿で、体の弱い子ヤクが病気にかかりやすいためである。そのため、毎日子ヤクのためにきれいな草地に臨時の囲いを作るのだという。

 ヤクたちの世話をしたカンロさんは、拾ってきたヤクの糞を、直接手で草地に平らにし、これを乾燥させて生活用の燃料にする。

 次の場所、ズオゲ(若爾蓋)県に向かうためここを離れようとしていた時も、カンロさんはまだテント内で忙しく仕事をしていた。(2006年1月号より)

 


 

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