秘境アバの自然と民族 C


祈りに生きる ウオラン村の人々
劉世昭=文・写真
 
チベット族の村にある「神箭」

 アバ(阿ハ)という名称は、唐時代を起源とする。唐の貞観12年(638年)、吐蕃は、現在のスウンチュ(松潘)である松州の西のチャン族の地を占領した。その時、吐蕃の奥地アリ(阿里)からこの地に移り住んだ人たちは、自らをアリワ(阿里娃)と称した。年月が経つにつれ、アリワはアワ(阿娃)と略称され、漢語ではアバと呼ばれるようになった。

「ドバン」に集まる人々の願い

草原にある「タルチョ」。ここからアバ県の県城までは、かなりの距離がある

 朝早く、アバ県城(県政府の所在地)の向かいの山に登り、街全体を眺めた。朝霧の中、教派の異なる8つの寺は、静かな県城を取り囲んでいる。山のふもとには、土と木で作られたチベット族の民家の集落が広がる。金色の屋根をし、代赭色の塀に囲まれた寺院や、黄色と白色が交互に見える民家は、青い渓流と緑の草原とともに、アバの色とりどりで美しい景色を織りなしている。

台所兼茶室で、友人とお茶を飲みながら世間話するドンジョさん(向かって右)

 ある村落を訪ねた。そしてまず目に入ったのは、石を積み上げて作った台の上に、交差して立てかけられた多くの長い竿だった。それぞれの竿には、「タルチョ」と呼ばれるお経が書かれた旗が、数多く結びつけられている。木や竹の竿は百本ほどあり、その真中には、ほかの竿よりかなり長い鉄の棒が立っていた。私は、これが何なのか、アバ県旅遊局長の李益華さんに尋ねてみた。

学校から帰ってきたあと、時々ヤクの放牧をする孫娘のドォンルイマちゃん

 「石を積み上げたものをチベット語では『ドバン』といい、村の中心の、道が交差する所に作ります。その上に立てた『タルチョ』を結びつけた多くの長い竿は、刀や槍、箭などの武器を象徴し、一般には『神箭』と呼んでいます。これは、村の五穀豊穣や吉祥平安、子孫繁栄、家畜の繁殖を守ると言われています。毎年、正月の宗教祭日『黙朗節』と、春先の4月の2回、村人たちはそれらの竿を取り替え、天神の加護を願うのです」

快適なチベット式民家

独特なスタイルを持つ、アバのチベット式民家

 屋根の上に、白や赤、緑、青、黄色の「タルチョ」が立てられたチベット式の民家に興味を持った私は、県城の中心から東に行った、マイクゥン(麦昆)郷のウオラン(沃朗)村のある家を訪ねた。

ドンジョさんの家の経堂

 家の主人は、今年60歳のドンジョさん。住まいは3階建てで、上が広く下が狭い斗のような形の、典型的なアバのチベット式民家である。黄土を突き固めて作った家の壁は、厚さが一メートルほどあり、外側の壁には、部分的に石灰で白く塗られていた。

ゲルー派の格爾登寺で、経の講義を聞いたばかりのラマ僧たち

 「高原で生活する私たちチベット族にとって、白という色には特別な思いがあります。雪山、祝福の意を込めた絹布の織物ハーダも白い色で、白色を吉祥、神聖かつ純潔の象徴だと考えています。毎年、年の初めには、石灰で家の壁を塗り直し、万事がめでたく順調であることを祈ります。もしその年に親族が亡くなったときには、喪に服す意味で、次の年には塗りなおしません」と、ドンジョさんは言う。

 家の中に入ると、驚くことに室内は木造で、土壁は少しも見えなかった。ドンジョさんは話を続ける。

チョナン派の賽格寺

 「私たちはこのような家を、外からは木材が見えず、中に入ると土が見えない家と言っています。厚い土壁は防湿防音の効果があり、冬は暖かく夏は涼しいうえに、とても丈夫です。木材で内装した部屋は、住んでいてとても快適です」

 1階には様々な物が積まれている。冬になると、ヤクが夜の寒さで凍えないようにここに入れておくという。2階には、台所と客室、読経や念仏をする部屋の経堂がある。ドンジョさんは、私を台所に案内し、ヤクの乳から作ったバター茶を出してくれた。アバのチベット族の民家では、台所は茶室も兼ね、客が来るとこの場所でバター茶を振舞い、暖を取り、世間話をする。

生活とともにあるチベット仏教

四窪尼姑廟の寺院管理委員会の尼僧、ツージェンジュンさん

 ドンジョさんは、奥さんのスオゴォさんと孫娘のドンレイマちゃんと一緒に暮らしている。息子のジヤメイさん夫婦は、孫を連れてチベットのラサで雑貨の商売をしているそうだ。

1260年に建てられた、サキャ派の徳格寺の仏塔

 平凡だと言うドンジョさんの毎日は、飼っているヤクの群れを、他の人に山に放牧してもらい、自分は奥さんと畑仕事をしたり、ヤクの乳を搾ったりする。そして時間があるときには、近くの賽格寺へ「転経」に行く。その寺には、71歳のお兄さんがラマ僧として暮らしているため、彼はよくお兄さんのために着る物や食料品を持って行く。チベット仏教の寺に出家した僧の生活や、住む場所である「僧房」の建設は、彼らの両親や兄弟が負担するのだということを、私はこの時初めて知った。

各莫寺の金メッキが施された仏塔。中央には仏像が見られる

 ドンジョさんの家には、3、40平方メートルほどの広さの経堂がある。そこで毎日、家族が経文を唱える。経堂の真ん中には、彩色を施した大きな太鼓が置かれ、真正面と両側の壁には、仏画の「タンカ」が数多く掛けられている。仏像を納めた厨子や、銅でできた20体近くの仏像が、真正面に掛かったタンカの下にずらりと並べられ、その前には、銅製の「酥油灯」が50個ほど置かれている。その光景は、厳かでありながら光り輝いている。

経文や吉祥図案が書かれた「ロンダ」を撒きながら、寺を回って「転経」するラマ僧

 2階に上がる階段の右側にはマニ車が据え付けられ、階段を登りながらそれを回して功徳を積むことができるようになっている。

 チベット仏教は、このようにチベット族の生活の中に深く入りこんでいるのである。

 ドンジョさんの家を離れ、賽格寺を通りすぎようとしていた時、寺院から長大なラッパ「法号」の音が鳴り響いていた。(2006年4月号より)




 

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