雲南省新平イ族ダイ族自治県・花街節

  竹カゴに込めた愛を贈る日


写真・文 成衛東 

 

 

 ダイ(ダイ族は、雲南省の15少数民族の一つで、人口は106万人、その90%以上が、北緯25度以南、海抜500から1300メートルの低海抜地帯に住む。新平イ(彝)族ダイ族自治県内にある哀ロウ山のふもとには、その一支族である花腰ダイ人が暮らす。花腰ダイ人は、現在6万人、95%がこの地域に住むという。伝説に登場する「百越」「テン越」は、花腰ダイ人の先祖であるといわれる。彼らはインドから伝わった仏教の影響を受ける以前の原始的なダイ族の文化をよく残しており、万物に霊魂が宿ると信じる。

 旧暦1月13日は、花腰ダイ人にとって、重要な祭りである「花街節」が行われる。その祭りの場である新平イ族ダイ族自治県、漠沙鎮大沐浴村は、前夜から祭りの華やかな気分に包まれる。

 花腰ダイ人は、地域と服飾文化の違いによって、またダイ雅人、ダイソウ人、ダイ洒人、に分けられる。花腰ダイ人が住む地域からは、二千年あまり昔の青銅の編鐘や、ルビーの斧がかつて出土しており、祖先の権勢が想像される。また花腰ダイ人の服飾上の図案と、古代テン国の青銅器の図案を比較してみると、多くの類似点が見られる。

 研究者たちは、そのため、華麗な青銅器文化を築きあげた古代オ瘢曹フ謎の消失に関して、その一部が南に下り哀ロウ山の紅河岸に至ったのではないかと推測している。若く体力がある者は、さらに河に沿って南下し、ベトナム、ミャンマー、タイなどに至り、病人や老人、子供たち、また苛酷な移動に耐えられない貴族たちは、そのままこの地を故郷にした。ビンロウジュやマンゴー、また「酸角」と呼ばれる独特の果樹が生い茂るこの地は、こうして花腰ダイ人の故郷となった。

 もちろん、真実はまだ謎に包まれたままだが、彼らの服飾の図案からは、確かに貴族の末裔の証を感じられる。

 花腰ダイ人の伝統の服装は、手染めの藍布と、玉の房、銀の鈴、銀のブレスレットなどを数多く組み合わせたものだ。特に女性たちの服装は複雑極まり、若い世代は老人たちの助けがないと、着ることができないほどだという。外部の者は、あまりに複雑な服装に気をとられて、ダイ雅、ダイソウ、ダイ洒を見分けることができないが、実は三族を見分ける最も簡単な方法がある。

 額の上に斜めに編み笠をつけているのがダイ雅、鍋の蓋のような編み笠をかぶっているのがダイソウ、何も被らないのがダイ洒である。

 花腰ダイ人の男女は全身に入れ墨をする風習がある。トラ、ヒョウ、ライオン、竜、ヘビなど、また円、楕円、四角、雪の結晶など抽象的な図案も彫る。また現在では、多くの女性が自分の名前を彫っている。

 入れ墨は、胸、ふともも、臀部などに施し、彼らはこれを護身の役目を果たすと同時に、体の装飾としている。

 また花腰ダイ人の女性たちには、歯を染める風習がある。唐代には、「黒歯」「金歯」という名称でダイ族の先祖を呼んだこともあり、この習慣の歴史の長さを見て取れる。

 現在では、歯を染める風習は、中高年の女性たちと、一部の少女たちのものとなっている。彼らは野草の一種と硝岩に熟す前のザクロをつぶして加え、バナナの葉の上に塗って、毎夜、寝る前に葉を歯にあてる。数日後、歯は黒く染まり、これは美のシンボルであると同時に、虫歯を防ぐ効果もある。

 彼らにとって花街節にでかけ、その行事食を食べる日は、若い男女が互いに知り合い、好みの相手を選んで、恋を語る日となっている。

 「恋人の日」ともいえるこの祭りには、古くからの言い伝えがある。

 昔、漠沙鎮大沐浴村には、互いに深く愛しあった一組の夫婦が暮らしていた。妻はその名をダイユといい、美しいこと花のようだった。彼女は毎日、モチ米とウナギ、アヒルのタマゴの塩漬けをバショウの葉に包み、竹を編んだ小さなカゴに入れて、畑仕事に精を出す夫に届けていた。

 ある日、彼女がいつものように食事を届けに行く途中、突然現れたヘビの頭に人の体をした妖怪、小竜王に道を阻まれた。

 「美しい女よ、金銀財宝が山とある私のところに嫁にくれば、天国のような暮らしができるぞ」と小竜王は彼女に迫った。承知しない彼女に向かい、小竜王は、それなら彼女の作った食事を差し出すよう脅した。

 「これは愛する人だけが食べることができるもの。お前のような妖怪にあげられるものですか」と答えたダイユに怒り、小竜王は魔法の爪を伸ばして、ダイユの腰につけたカゴを奪おうとした。ダイユはカゴを精一杯おさえ、大声で村人たちに助けを求めた。

 村人たちが駆けつけた時には、ダイユは血の海のなかに倒れ、その手はしっかりとカゴを押さえていた。「このカゴをどうか、あの人に届けて」。それがダイユの最後の言葉となった。

 そして、この日が、花街節になったという。

 花街節の前夜、私たちが到着すると、村の一キロ余りの道路は、すでに百台あまりのヘッドライトを付けた自動車が停まっていた。この風景を見て、私たちは、車をとめ、すぐ人混みのほうへ向かった。村中に灯籠が飾られ、方々から訪れた客で、村のなかは身動きもできないほどだった。

 道の両側には村人や街からやってきた商人たちの屋台がずらりと並び、花腰ダイ人伝統の装飾品や、民間工芸品がたくさん売られている。夜になっても、そこは、縁日の市のようなにぎわいが続いている。

 翌日の朝早く、各家庭では早起きして、食事を済ませ、娘に衣装を着せ、化粧を施す。バイリファンという名前の少女の家で、私は衣装を身につける間、見学させてもらったが、約一時間もかかり、その面倒なことは過去見たことがないようなものだった。そして村で一番の信望を集めている女性が娘たちを率いて街にでかけ、青年たちが彼女たちを選んでくれる時を待つ。

 双方が互いに気に入ると、青年は娘の手を引いて、岸辺や、果樹園、あるいはビンロウジュの下などにリードし、思いを打ち明け、青年は娘にハンカチやタオル、ブレスレットなどの贈り物を差し出す。娘は返礼に、自らが染めたハンカチやベルトを青年に贈り、カゴに入れてもってきたモチ米、ウナギ、塩漬けのアヒルのタマゴなどを二人で食べるが、これは恋人の食事ともいわれる。

 この食事は、娘が一口一口、意中の青年に食べさせる決まりになっていて、若い男女は、おおいに恥ずかしがることになる。それでも、青年たちは、娘の心を受け取らないわけには、いかない。

 午前10時、各地方から訪れた人々は大挙して沐浴村を訪れる。村人たちは、赤いひもを結ぶ動作と、酒で客人たちを迎える。歌や踊り、伝統的な衣装のショー、また竹カゴに入れた食品の食べかたや花腰ダイ人の婚礼の模様を見せるショーもある。盛り沢山な催しを通して訪れた人々は、花腰ダイ人独特の文化と服飾を理解することができる。 今では花街節は、ダイ族独特の祭りであると共に、毎年、多くの人々が訪れる華やかな催しともなっている。(2001年7月号より)