内蒙古自治区フルンボイル盟・冬のナダム
  熱く燃える極寒の大雪原



写真 文・劉世昭 

 


牧畜民の馬を捕まえる腕前には舌を巻く
 

 十五夜の月が空高く昇ったのに、
 どうして雲は寄り添わないのだろう?
 美しいあなたを待っているのに、
 どうして私のそばに来てくれないのだろう?
 もし雨が降らなければ、
 カイドウの花は咲かないでしょう?
 あなたも我慢強く待っていれば、
 愛しい人はもうすぐ駆け寄って来るでしょう。

美しいバイエンフシュオ雪原

 これは民謡『敖包相会』の一節だ。映画『草原の人々』の挿入歌で、その優美なメロディと叙情的な歌詞が多くの人に親しまれ、40年以上も中国で広く歌われ続けてきた。映画のロケ地は、内蒙古自治区フルンボイル盟オウンク族自治旗(「盟」「旗」は内蒙古自治区の行政単位)のバイエンフシュオ敖包山だった。

 2000年12月、筆者はそのロケ地を訪れ、いままで見聞きしたことがあるお祭りとは一味も二味も違う「冬のナダム」を目に焼き付けた。

敖包祭りに集まった人波

白酒を敖包の上に
かけ、祭祀を行う

 「ナダム」は、モンゴル語で娯楽またはゲームを意味する蒙古族の伝統的、大衆的なお祭りで、ふつう夏か秋に開催される。もともと、日頃は別々に遊牧を営む牧畜民たちが、有閑期に一堂に会して競馬、モンゴル相撲、弓射、歌舞などを楽しみ、同時に自由市場を開いて物々交換を行い、生活必需品を手に入れていたのがはじまりだ。今日では、経済が発展し、交通が便利になり、定住する牧畜民が出てきたなどの変化にともない、娯楽性が強くなった。ナダム当日は、蒙古、オウンク、ダフール、オロチョンなどの各民族が、それぞれの種目で自分の腕力、勇気、知恵、技能を思う存分に発揮する。

 オウンク旗に足を踏み入れた時、私を出迎えてくれたのは、正面から吹きつけてくる冷たい北風だった。ここの冬は、昼間でも最高気温がマイナス20度くらいだ。それでも最初、驚くほどの寒さとは感じず、澄みきった新鮮な空気を吸い込めたという印象を持った。ここでの呼吸は一種のぜいたくで、私はむさぼるように「享楽」してしまった。

草原での力強さを象徴する代表的競技・モンゴル相撲は、雪の上に作られた「戦場」で行われる

オウンク族が好きな「搶枢」競技


民族の分厚い防寒着
を身に付けたブリヤ
ート蒙古族の子供。

 私たちが到着して2日目の12月17日、ナダムは、旗政府所在地から39キロ離れたバイエンフシュオ敖包山で開催された。朝早く起き出した私たちは、真っ白な雪景色の中を車でゆっくりとナダム会場へと向かった。朝日が昇り始めると、大地は一面黄金色に塗られたように輝いた。ナダムにふさわしい好天だ。私たちが乗った大型バスの窓ガラスには厚い氷の結晶ができていた。外の景色を見るために、私は窓の氷に手を当てて、体温で氷を溶かして小さな「明かり窓」を作り出した。

 ほどなくして、果てしなく続く雪原の向こうに小高い丘が見えてきた。そこがバイエンフシュオ敖包山で、すでに黒山のように牧畜民たちが集まっていた。騎馬隊が私たちの車列を出迎えに来てくれ、車列の両側を護衛するように進み、目的地にたどり着いた。これは牧畜民が遠方からきた賓客を歓迎する儀礼だという。

中国とモンゴルの国境付近
に生活するブリヤート蒙古
族も、ナダムに駆けつけた

 「敖包」は、モンゴル語で「石の山」または「土の山」を意味する。もともと牧畜民が、草原で放牧する時に方向を確かめるため、ちょっとした高地に石を積み上げて目印として使っていたものだ。のちに徐々に山の神や道の神を祭り、祭祀を執り行う場所に変わっていったという。

 草原の牧畜民たちは、重要なイベントの前には、必ず敖包で盛大な儀式を行う。これを俗に「敖包祭り」と呼んでいる。

開幕式の騎馬隊

雪ぞりに乗ってナダム会
場までやってきた牧畜民

 敖包祭りでは、人々は敖包を囲んで、時計回りに歩きながら、途切れることなく、ある人は石を積み上げ、ある人はハダ(賓客に贈る薄絹)を供え、またある人は白酒をかける――。敖包わきの山の斜面では、横に並んだラマ僧たちがお経を読み、敬虔な仏教徒である牧畜民たちは、列を作って活仏に頭に触れてもらう機会を待っていた。

精悍なオウンク族牧畜民

 敖包での儀式が終わると、ナダムのそれぞれの出し物や試合が始まった。最初の競技である雪上モンゴル相撲は、見学者たちをはらはらさせた。十数人のたけだけしい競技者は、約マイナス30度の極寒の中、剥き出しになっている上半身にモンゴル相撲の礼服を一枚付けただけで、挑戦歌『烏日雅』を高らかに歌いながら、鷹の舞を踊って登場してきた。審判が号令を掛けると、彼らはすぐに雪上で手合わせを始めた。集まった各民族は、ひいきの選手を取り囲んで大声で応援している。勝者が決まった。審判は彼の片手をつかんで高々と持ち上げた。観衆からは歓声が沸き起こったが、中には首を振りため息をついて、敗者の無念を思う者もいた。私はといえば、「二人とも勝者で、英雄だ」と感動していた。

 ナダムの各イベントは、山麓の約1平方キロにわたる雪原のいたるところで行われる。雪原には多くのパオが建てられ、ナダムのうわさを聞きつけて遠くからやってきた牧畜民たちの仮の住まいとなっていた。

ラクダの雪ぞり競争

 私はやっとのことで、あるパオの横に、「搶枢」の競技場所を見つけた。「搶枢」は、長くオウンク族に伝えられてきた伝統的集団スポーツで、二チームに分かれて試合を行う。競技場の両端には木製の車輪が置かれるだけで、特に道具は必要なく、選手たちが10センチ程度の「枢」(止め具)を相手方の車輪と車軸の接合部分に差し込めば得点となる。ルールはアメリカンフットボールと似ていて、力と速度以外に知恵が欠かせない。試合が始まった。最初、私は「枢」がどこにあるのかわからなかった。なぜなら選手たちは、駆け回り、引っ張り合い、オフェンス側は誰もが枢を持っているふりをするからだ。走りながらのかく乱、パス。誰が本物で誰がフェイントをしているのか、ディフェンス側は本当に頭が混乱してしまう。

 遠くで歓声が上がったので、私は急いで見に行った。そこではラクダの雪ぞり競争が始まっていた。コースは敖包山麓の坂道に作られ、千メートルある。半円形になっていて、各組三チームで雪ぞりレースを行う。スタートのフラッグが振られると、選手は雪ぞりをあやつり、山の斜面に向かって疾走し、ぐるっとカーブを描いてから、ゴール目掛けてまっすぐ滑り込んできた。このときは、普段はおとなしいラクダが、本当のスピードや荒々しさをむき出しにしているかのようだった。ラクダの雪ぞりは、しばしばコースをはずれ、ひどいものは逆走してしまうため、選手は気まずくて慌てふためくことになる。もちろんそれは、観衆にとっては愉快で大満足な場面なのだが。

 各種競技や娯楽イベントは、山麓のあちこちで同時に開催されるため、集まった牧畜民たちは、自分の好みで観賞したり参加したりする。

威風堂々とした馬の雪ぞり競走

 お昼時になると、パオから炊事の煙が上がった。人々はテーブルを囲んで伝統的珍味「羊の骨付き肉」を頬張る。牧畜民たちは、腰に差したモンゴル刀を抜き、煮上がったばかりの肉を少しずつ切り取って口の中に放り込んだ。同時に、アルコール度数が高い白酒を心行くまで胃袋に流し込み、気持ちよくなって『祝酒歌』を声高く歌い始める。このころには、どのパオも酒と羊肉の香りが充満し、歓楽の歌声が天空まで響き渡っていた。

 ナダムは、まだまだ続く。こちらでは雪上綱引きが多くの人を惹きつけ、あちらでは弓射競技が手に汗握る熱戦――。そして敖包山の向こうでは、雪上バイクが生活に新しい風と刺激をもたらしていた――。

 たそがれ時、敖包山はまた黄金色に染まった。ナダムの最後の競技は、馬の雪ぞり競争だった。敖包山の麓を見ると、千メートル以上にわたって、百匹近い馬が雪ぞりを引いて一列に並んでいて、逆光の夕日の中で、こちらに向かって走ってきた。金色の雪原。人と馬が吐き出す金色の息。目の前の景色は、まぶしく輝いていた。(2001年12月号より)