【お祭り賛歌】


江西省南豊県石郵村・儺(おにやらい)
鬼を追い払う春節の踊り

                    文 写真・魯忠民


「花寝」での儺踊り。お面をつけているのは「雷公」


 中国各地の春節(旧正月)の活動は、多種多様である。特に、江西省南豊県石郵村では、儺踊りが盛んだ。

 「儺(おにやらい)」とは、古代中国に始まる、神を迎え悪鬼を追い払う原始宗教の儀式であり、日本では「追儺」とも呼ばれている。起源は原始社会までさかのぼり、商・周の時代(前17世紀〜前256年)にもっとも盛んに行われ、すでに数千年間続いてきた。

家の神卓に祭られる追儺の人形(儺神太子の化身)

 『礼記』の記載によると、周代、毎年旧暦12月には、災厄からまぬがれることを願って、村人総出で儺の儀式を行った。儺は、長い歴史の中で、宮廷、官庁、寺院、軍、田舎で、それぞれ違った儀式が形成された。また、民族や地域により、儺の踊りや芝居も違っている。今日まで保存されているものからは、非常に貴重な「儺」の文化現象が伺われる。 

爆竹を鳴らして歓迎の意を示す

江西省南豊県には、儺踊りが普及していて、現在、各種の民間の「儺班」(儺踊りを専門とした劇団)は百以上ある。中でも石郵村の儺踊りはもっとも代表的で、戯曲の起源を研究するための生きた化石とされている。近年、石郵村の「儺班」は、北京に招かれただけでなく、日本にも二回招待されて公演をした。

 石郵村は歴史ある村で、周囲を山で囲まれ、南豊地方の名産であるミカンの林が美しく、水田、道路、家などのすべてが、自然とうまく調和している。村の大きな祠堂、古びた牌坊(アーチ状の建物)、そして明・清時代の古い建物や街並みからは、過去の面影が伺える。村には246戸、1037人が暮らしている。呉姓がもっとも多く、最初に石郵村にやって来て定住した人は、呉希顔という唐代の王公の子孫である。

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「起儺」のひとこま。「儺班」のメンバーが、儺神太子像の前で参拝する

 村ざかいにある儺神廟は、春節の活動の中心として、清の乾隆46年(1781年)に建立された。廟の正門には、「儺神廟」と刻まれた石の横額があり、両脇には、「神荼」
「郁塁」と呼ばれた石の門神立像が置かれている。主殿内の祭壇には、金帽子をかぶり、赤い長衣を身に付けた儺神太子像があり、その背後には、11尊の儺神塑像がある。

家の入り口に着くと、太鼓とドラを手にした「儺班」の一人は、その家の主人に縁起のよい言葉を四句言う。主人は家族全員を連れて迎える

 儺神太子像の上方には、「開山」「紙銭」「雷公」「儺公」「儺婆」「鍾馗」「大神」「小神」「一郎」「二郎」「関公」など13のお面が掛けられている。村人たちにとって、お面は神の化身であり、お面を迎えることは、すなわち神を迎えることだと考えられている。そのため、お面をはじめて使用する際には、わずらわしい開眼の儀式を行う。それによって、神の霊験があらたかになる。儀式中の祭祀や卜占、参拝では、人々がお面の周りを回る。

 祭壇の左側には、石郵村の「儺」の創始者・呉潮宗の神像が祭られている。彼は明代の同地人で、当時、広東潮州の海陽県で県令をしていた。ある年、同県には伝染病が流行し、多くの庶民が命を落とした。そこで彼は、線香をたいて神に祈り、同時にお面をかぶった者を招いて町で儺踊りを踊らせた。すると、伝染病はしばらくして駆除された。それからまもなく、彼は務めを終えて故郷に帰った際、お面を携え、「儺班」を連れもどり、故郷に「儺」の文化を伝えた。

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儺踊りの儀式を行う広間

 石郵村の儺踊りは、厳格な伝統に基づき、村の徳望者32人の組織によって管理されている。「儺班」は、八人のメンバーからなり、参加の時期の前後によって、「大伯」「二伯」……「八伯」の順に呼ばれる。仮に一人が脱退すれば、「八伯」として一人を補う。仮に「大伯」が亡くなれば、「二伯」以下の各人の位を一つずつ上げる。伝統に従って、「儺班」のメンバーに呉姓はいない。なぜなら、過去の主人は呉姓だったからだ。この八人は、お面を取れば普通の村人だが、お面をつければ神である。

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周辺の村を回って儺踊りを踊る「儺班」の人たち
「捜儺」がはじまった。儺神廟の中は異常な熱気に包まれる

 石郵村の「儺」の活動は、春節の1日から17日まで続けられ、儀式には、「起儺」(神を迎える)、「跳儺」(儺踊り)、「捜儺」(神が悪鬼を追い払う)、「圓儺」(神を見送る)など、いくつかのプロセスがある。

「大神」が子どもたちと戯れているところ

 旧正月一日の「起儺」の主な儀式は、神にお出ましいただくこと。「二伯」の主宰のもと、前述の「開山」など、天上と地上の神々が招かれて、吉凶を占う。続いて、「儺班」の全員が、興奮した子どもたちに追いかけられながら、ドラと太鼓を叩いて村回りを始め、村の祠堂を一巡し、お参りする。

 次は、「跳儺」だ。一日目は、村の二つの「花寝」(呉姓の先人を祭る場所)、二つの祠堂、それに呉潮宗の旧居で儺踊りを踊る。2日から9日までは、自村の各家を回って踊り、10日から16日までは、周辺の村を回って踊る。昨年の「跳儺」のコースを例にすると、少なくとも、自村の百以上の家を回った。ある家に到着する前には、主人は広間の準備を終えている。前の家での踊りが終わる頃、次の家の主人は追儺の人形(儺神太子の化身)を自家の神卓に迎える。それから、家族全員がそれぞれの手に三本の線香を持ち、玄関の前に立って「儺班」の到着を待つ。儺踊りは、全部で七つの演目があり、各家の広間で約40分踊る。

「鍾馗」のようす。各家を回って悪鬼払いをする

 「捜儺」は、儺踊りのクライマックスである。旧正月16日の夜、村人は夜通しで爆竹を鳴らし続ける。「儺班」の全員は、たいまつの火に導かれて、廟や祠堂に行って拝み、各家を回って悪鬼を追い払う。「開山」「鍾馗」「大神」などのお面をつけた「儺班」の人たちが手に武器を持ち、力強いドラと太鼓の音の中、広間で激しく踊り、邪気払いの雰囲気を醸し出す。

 最終段階の「圓儺」は、二つの儀式に分けて行われる。

「跳儺」の間、お面は二日間、別々に二軒の家で夜を越す。そのため、主人と親戚、友人は、徹夜で儺神のお供をする

 第一の儀式は、供物のメニューを知らせることだ。まず、儺神太子に対し、今回の活動で各家が提供した料理、主食、デザートの細かなリストを報告し、各家を加護するよう祈る。そして、「儺班」の全員は、川原に集まり、干支の方位に照らし合わせ、追儺の人形とお面を置く。「大伯」は、たいまつをかかげ、他の七人を従えて、追儺の人形を中心に、円を描いて回りながらお祈りする。最後に、「二伯」らの七人は太鼓の周りを囲み、今回の儺踊りの活動の効果を占う。その占いで、今年の石郵村の穀物、家畜、子孫、疾病などの状況を予測する。

 第二の儀式は、旧正月20日前後に行われる。これは、「儺神の安座」、すなわち、儺神を奉じて屋根裏部屋のような造りの特別な部屋に、儺の人形、お面、道具を安置する。これで、春節の間、ずっと続いた儺踊りの活動が終了する。(2002年7月号より)