【お祭り賛歌】


貴州省施秉県ミャオ族の独木竜船節
命を落とした竜のつぐない

             写真 文・呉寿旭


力を合わせて竜船を進める漕ぎ手たち

 寨胆は、ミャオ族の71世帯が暮らしている農民集落で、貴州省施秉県双井鎮平寨村にある。寨胆のミャオ族は、農業と漁業による自活のほか、昔から稚魚を売る商売もしてきた。

 毎年、旧暦5月24日から27日には、集落の誰もが仕事を放り出し、集落全体が、もっとも崇拝している「独木竜船節」一色になる。ここでは、63世帯が竜姓を名乗っていて、「竜」との関係は非常に深い。

長くて重い竜船に「お出まし」いただくのは容易ではない。屈強な男たち数十人が力を合わせる
水辺の竜船置き場は、ミャオ族の集会場にもなる

 独木竜船節の前、女性たちは、伝統にのっとり、みんなでチマキを作って祖先にお供えし、親戚や友人への贈り物とする。男性たちは、竜船置き場に集まって、お祭りの具体的な手配や準備を行う。竜船置き場は、集落を流れる清水江沿いの斜面にある。長さ約25・6メートル、幅2・7メートル、高さ3・2メートルの木造建築で、竜船専用の置き場として建てられた。周辺には古木が高くそびえ、非常に涼しく、今では村人たちの憩いの場ともなっている。

各家で作ったチマキを担いで、親戚や友人に配る

 ミャオ族の老人によると、ずっと昔、寨胆には保というミャオ族漁師がいて、九保という一人息子をかわいがっていた。ある日、保は息子を連れて漁に出た。すると突然強風が吹き波が立ち、水中から凶悪な竜が現れ、息子をくわえて水中に潜ってしまった。保は、命の危険を顧みず、水に飛び込んで息子を探したが、竜穴で見つけたのは、すでにかみ殺された息子の死体を枕に熟睡していた竜だった。怒り狂った保は、岸に上がって火打ち石と枯れ草をもって竜穴に戻った。そして竜が眠っている隙に火を放ち、焼き殺した。その火は何日も燃え続け、雲を呼び大雨を降らせ、昼間でも空は真っ暗な日が続き、村人の気は滅入っていた。

 そんな時、一人の女性が子どもを連れて、暗くて夜のような道を進んで川辺へ洗濯に行った。無邪気な子どもは、母親の洗濯棒を水に突っ込んで船を漕ぐまねをして遊び、「ドンドン、ドンドン」と叫び声を上げていた。誰が予想しただろう。この叫び声で、空の雲は突然消えた。村人は、歓声をあげて飛び跳ねて喜んだ。

「鼓頭」は、竜船の中心人物だ
ドラの打ち手は、さわやかな青年が担当するが、彼は、鮮やかで銀飾りのついた服で女装するのが習わしだ。バチは、木の棒の先にブンタンを刺したもの

 このとき、人びとは、焼き殺された竜が水面に浮いてきたのを見つけ、次から次へと川辺にやってきて、竜の肉を分け合った。平寨村の人が最初に見つけたため、頭を彼らの取り分とし、その他の村の人は、順番に尻尾や内臓を取り分とした。

 竜の肉を分け終えたその夜、竜はみんなの夢に現れ、自分の過ちを悔やんでこう言った。
「私はお年寄りの一人息子を殺してしまい、その報いとして自らの命を落とした。今の私は、皆さんの幸福を祈っている。杉の木で私の形に似せた船を作り、毎年、何日か漕げば、私が生きていた時と同じように川で遊べるようになる。私は雲や雨を呼ぶことができ、あなた方の五穀豊穣を加護できる。こうすることで、私の過ちへのつぐないにしたい」

漕ぎ手たちは、紺色の伝統衣装を身にまとい、竹笠をかぶり、腰に銀飾りと花柄の帯を巻く

 ミャオ族の人たちは、この夢のあと、数艘の竜船をつくり、試しに漕いでみたところ、本当に恵みの雨が降った。そこで、川沿いの村々では竜船を作り、毎年、農閑期の旧暦5月24日から27日に竜船節を行うようになり、農業に適した天候が続くことを祈った。竜船を漕ぎ出す順番は、各村が受け取った竜の肉の部位によって決めた。平寨村は頭だったため、漕ぎ出すのも第一日目だ。

 お祭りの数日前には、「鼓頭」(竜船の責任者。普通は、子ども、親戚、友人が最も多く、徳のあるお年寄りが務める)の指揮のもと、男たち総出で竜船小屋から「竜」を担ぎ出し、漕ぎ出す準備をする。

鉄砲音が三回鳴り響いた。これは竜船出発の号令だ

 独木竜船は、三本の太くて立派な杉の木をくりぬき、木で造った留め具や竹ひごで固定して作り上げる。真ん中の軸となる杉の木は、長さ約21から24メートル、幅約0・7メートルで、両側の杉の木は少しだけ小さく、長さ約15メートル、幅約0・5メートルである。

 竜船の製造工程は凝っていて、以下のような工程で作る。

 まずは切り出しだ。竜船は毎年ではなく、辰年(辰=竜)に造り、しかも辰年の10月末に木を切るという決まりがある。その日、人びとはまず、選んだ杉の木に青色の布と糸を巻きつけ、儀式用の酒とお供え物を木の近くに置き、香を炊き、紙銭を燃やす。そしてアヒルをつぶしてその血を木の幹にかけ、山の神と木の神にお供え物を受け取ってほしいとの意を示す。子孫が多く、伝統儀礼を知り尽くしている一人の老人が、木に向かってこう祈る。「吉兆を呼ぶ杉の木よ、私たちがあなたを切り出して竜船を造るのをお許しください。そして世々代々、繁栄できますようにご加護ください」

竜船は、通過した村々で、親戚や友人からいろいろな贈り物を受け取る。ガチョウやアヒルなどは普通、竜の首に掛けられる
竜の角にくくり付けられていた赤い帯は、厄除けのお守りになると信じられている。一本手に入れるだけでも大喜び

 儀式が終わると、両親ともに健在で、息子と娘の両方がいる若い男性が、まず最初の斧を入れる。その後、みんなで力を合わせて切り倒す。ミャオ族は、自分たちの祖先が東方の江西省から移り住んできたと信じているため、祖先への思いを込めて、木は必ず東に向けて切り倒す。

 竜船の製造は、必ず吉日に行う。作業を始める前にはまず、活きた白いニワトリ、香、紙銭を供えて守り神のガーハーを祭る。そして船大工が木の各箇所に印をつけた後、村の男たちが削ったり、くりぬいたりして、協力して船を作り上げていく。完成の日には、村中の人たちが竜船置き場に集まり、祝宴を開き、太鼓や歌、踊りを心ゆくまで楽しむ。

 旧暦5月24日、川沿いの村々の竜船は、平寨村に勢ぞろいする。途中、一つの村を通り過ぎるごとに、三発の鉄砲を打つ決まりになっている。また、岸にいる同郷の人が、自分の村の竜船を見つけると、贈り物を担いで急いで川原まで降りていき、竜船を出迎える。竜船が止まると、出迎えの人は、まず爆竹を鳴らし、竜頭の角に赤い絹帯を結びつける。続けて、まずは「鼓頭」に酒をすすめ、そして順番に竜船のドラの打ち手と32名の漕ぎ手に杯を回す。酒をふるまい終わると、贈り物を竜船に積み始め、ガチョウやアヒルは竜の首にひっかける。

 村々からやってきた竜船が平寨村に着くと、そこから先へは進まない。さらに先は長塘と呼ばれ、竜王のすみかだと言われている場所だ。各竜船は、長塘に近いところをひと回りして、準備しておいたススキを川の中に投げ入れ、竜王への敬意を表す。

竜船競漕は、しばしば優劣をつけがたいほど白熱する

 平寨村に集まった竜船は、競漕を行う。鉄砲の音はスタートの合図だ。竜船は飛ぶように疾走し、漕ぎ手たちは力の限り水をかき、川原からは自分の村の竜船を応援する声が、どんどん大きくなる。川原では、競馬や闘牛、闘鶏なども行われていた。

 黄昏が近づきだんだん暗くなると、ようやく竜船競漕は幕を閉じる。夕食後には、若い男女は川原の坂道で歌合わせを楽しみ、すでに結婚している人たちは、「鼓頭」の家で飲み明かす。(2002年11月号より)