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白衣観音菩薩座像
子が授かると信じられている
 
   文=魯忠民 写真=王露 楊振生


青白磁  元代(1271〜1368年) 高さ30.1センチ


 

 首都博物館が所蔵している磁器は、数が多く、逸品も多い。その中で元代の白衣観音菩薩座像は、元の大都の遺跡から出土した。中国で現存する唯一の元代の景徳鎮で造られた青白磁の傑作である。

 中国の人々に一番崇拝されているのは、観音菩薩と弥勒仏である。浄土宗では、観音菩薩は阿弥陀仏の息子とされている。阿弥陀仏は太陽の神で、陽が落ちる西方に住んでいる。

 中国の観音崇拝は四世紀ごろに始まり、法顕(337〜422年)がインドに留学した時、ただ一カ所で大乗仏教徒が観音菩薩を崇拝しているのを見たと記載しているが、玄奘(602〜664年)がインドに赴いたときには、観音像の拝む多くの人を見た、と記載している。

 中国の南北朝時代には、年々戦争が絶えず、庶民は非常に苦しい境遇にあって、ただ『観音経』を念じ、観音菩薩に大慈悲の救いを求めることしかできなかった。

 中国では、観音菩薩についての伝説は少なくない。伝説によると観音菩薩は、33の姿に変化することができる。そのうち、最も広く崇拝されているのは聖観音、白衣観音である。子授け観音は生命を授けるので、婦人に一番崇拝されている。

 観音菩薩はもともと男と言われるが、成仏した後、神通力が大きくなり、弥勒仏に従って衆生を救済し、天下に善を行ったとされる。普通の人間は音を「聞く」ことしかできないが、観音菩薩だけは音を「観る」ことができる。だから世の中のすべてのことは、観音の目から逃れることができない。そのため「観音」と言われるのだという。

 後に、観音菩薩は、「男女の間に直接に物のやり取りをしない」という世の慣わしに配慮し、婦人の苦悩を除こうとするからには自らも美しい婦人の姿に変身することになったのである。

 この観音菩薩像は青白磁を使い、純潔かつ高雅であり、もの静かで荘重な、衆生済度の大慈悲の姿をいっそう引き立たせている。(2004年10月号より)

 

 
 

首都博物館
 


 首都博物館は、北京・東城区国子監街13号の北京孔子廟の中にある。この廟は1302年に落成し、その規模は山東省曲阜の孔子廟に次ぐもので、中国第二の孔子廟である。

 清の歴代の皇帝が何回も建て増しをし、孔子祭が光緒32年(1906年)に「大祭」に昇格し、あわせて大成殿を増築し、1916年に竣工した。

 新中国成立後、北京市の重要文化財に指定された。廟の中には、孔子を祭る祭礼の楽器が原型のまま展示され、また有名な元、明、清代の進士(挙人の会試合格者)の名前を記した碑林もある。

 北京孔子廟の敷地面積は約2万平方メートル、建物の総建築面積は延べ7400平方メートル。中庭は四つあり、主な建物は先師門、大成門、大成殿、崇聖祠の順に並んでいる。そのほか、碑亭(石碑を風雨から守るための亭)、神厨(供え物を作る台所)、神庫(祭礼の用品を入れておく倉庫)、致斎所(斎を施す所)などの建物がある。


 首都博物館は総合的な地方博物館である。1950年代から設立の準備が始まり、1981年に正式に完成した。館内には、有史以前から近代まで北京で出土したり、代々世に伝わってきたりした貴重な文物が全部で20万点余りも収蔵されている。その中には石器、青銅器、陶磁器、石碑の拓本、書画、玉器、古銭幣、文房四宝(筆、墨、紙、硯)、工芸品などがあり、いずれも選りすぐりの逸品で、きわめて美しい。現在、大成殿前の東西両側は「北京簡史陳列」と「革命文物陳列」が開催されており、数千点が展示され、北京の悠久の歴史と文化を示している。

 目下、首都博物館の新館プロジェクトが、北京市の新しい60の重要工事の一つとして、急速に進められている。

開館:8:30〜17:00(休館日なし)