在留日本人送還60周年で署名論文 人民日報海外版

22日付の中国共産党機関紙「人民日報」海外版は「侵略政策の道具から中日友好の種子になるまで、日本僑民(在留日本人)送還60周年を記念して」と題する署名論文を発表した。内容次の通り。

日本の降伏発表後、戦争による破壊で疲弊した中国は戦後復興の重圧を受けながらも、まず広い心で中国東北在留日本僑民100万人余りの帰国問題を解決し、人道主義の大事業をやり遂げた。

1946年の日本僑民送還開始からちょうど60年が過ぎた。しかし、この事業の新たな中日関係樹立における重要な意義は真剣に総括し、振り返るに値するものである。

日本の降伏後、中国共産党、国民党、米国の取り決めに基づき、さまざまな政治勢力が支配する地域に日本僑民送還の機関が設置され、協調がはかられ、さまざまな地域からの送還の日程表がつくられた。1946年5月7日から米国が派遣した軍艦と調達した船舶、日本側の船舶などが東北の港、葫蘆島から送還を開始した。中国側は日本僑民が葫蘆島に集まるための交通輸送などで便宜を図った。葫蘆島での送還事業は48年まで続けられた。当時、東北の政治情勢は非常に厳しいものだったが、送還事業は中止されることはなかった。3年間に105万人が祖国に戻った。

49年の新中国成立後も、まだ多くの日本僑民が中国に居留していたため、中国政府は人道主義の精神で、送還事業を続けた。53年に中日双方が調印した日本僑民帰国支援に関するコミュニケに基づき、さらに3万人余りが上海、天津、秦皇島の3つの港から帰国した。56年から中国の撫順と太原の戦犯管理所で更生した日本軍人が次々に釈放され、祖国に送還された。72年の中日国交正常化後、さらに中国に残っていた「残留婦人」と「残留孤児」7000人余りが日本に戻った。この時点で帰国を希望した日本僑民の願いは完全に実現し、送還事業の終了が正式に宣言された。

日本僑民の送還は戦後の中日関係に確かに深いプラスの影響を与えた。送還された多くの日本僑民は当時の歴史的背景を知り、また戦後処理のさまざまな状況と照らして、みな中国は偉大な「仁愛・正義の国」であると称賛している。特に新中国成立後に帰国した日本人は周恩来首相が予見した中日間の「友好の種子」になっている。

46年に最初の送還船が中国を離れてから60年が過ぎた。しかし、われわれは歴史を忘れることはできないし、日本軍国主義が起こした戦争によって罪のない人々がいかにして侵略の手段にされたかを忘れることはできないし、さらには中国人民が広い心と平和の願いから中日友好の種子をいかに育てたかを忘れることはできない。

中国駐日本国大使館より 2006/06/24