【あの人 あの頃 あの話】J
北京放送元副編集長 李順然
冷静、科学的な日本研究を

夏衍さん(右)と筆者。夏さん宅で
   中日友好協会の会長をされたこともある夏衍さんが亡くなられて10年になる。

   夏衍さんは、青年時代の7年間、日本に留学し、明治専門学校(現在の九州工業大学)などで学び、帰国後はシナリオ作家として文化界で活躍。中日全面戦争が始まると『救亡日報』『新華日報』などの編集長として抗日の論陣を張った。

   中華人民共和国誕生後は、映画『祝福』などの名シナリオを書く一方、文化部副部長(次官)などを歴任したあと、中日友好協会の会長となった。

   1900年生まれ、1995年没――夏さんは文字通り、20世紀の中日関係を見守ってきた歴史の証人だった。

   夏さんが生前、とりわけその晩年に、繰り返し強調したことがある。冷静かつ科学的な日本研究を進めなければならないということだ。

   夏さんが、こうした考えを強くしたのには、1つのきっかけがあったようだ。夏さんは、その著『日本回憶』(東京・東方書店)の自序で次のようなことを書いている。

夏衍さんからいただいた言葉。「堅持両分法、更上一層楼」(長所とともに短所を認め、更に高い目標を目指そう)

   ――第二次世界大戦の末期、重慶にいた夏さんら日本に留学したことのあるいわゆる「日本通」の友人たちは、日本は『ポツダム宣言』を受け入れないだろう、無条件降伏はしないだろう、と話しあっていた。ところが、ちょうどそのころ、日本語も話せず、日本に行ったこともないアメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクト(『菊と刀』の著者)は、文化人類学の角度から、日本人の民族的性格、人生哲学などを冷静に分析して、日本は『ポツダム宣言』を受け入れるだろうという報告をアメリカ政府に提出している。

   ベネディクトの判断は正しかった。なぜだろうか。夏さんは、その原因としてベネディクトが文化人類学という科学を踏まえて、日本を科学的に分析したことをあげ、われわれにはこうした科学的な態度が欠けていたと反省している。

   そして、『日本回憶』の自序の最後を、「(中日両国民は)今こそ、冷静になって、心から真摯に理解を深めあうべき時だ」と結んだ。

   夏さんは、1990年に発足した日本研究の中国の全国的学術団体である中華日本学会の名誉会長に推された。夏さん90歳のときのことだが、その成立に際して夏さんは「百年来、科学的な方法で日本の国民性、民族性を研究した人はきわめて少ない」と述べ、日本の諸問題を科学的な態度で、さらに深く研究するよう訴えた。

   これは、20世紀の中日間の狭間にあって生きた、誠実な中国の知識人が、21世紀に残した貴重な遺言だといえよう。冷静な、科学的な態度で相手の国民性、民族性を深く研究して、はじめて相互理解を深め、真の友好を築くことができる、と語りかけているのである。

   ちなみに夏さんは生前、毎朝欠かさず、日本のNHKの放送を聞いていた。これは、夏さんを取材した際、夏さん自身が私に語ったもので、深く日本を知ろうとするその真摯な態度に、大いに学ばされたのを覚えている。1985年、夏さん、85歳のときの話である。2005年11月号より



 
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