住み込みの「新家族」

掃除中の沈麗敏さん

 中国語では通常、お手伝いさん(家政婦)のことを保姆と呼ぶ。

 中学卒業後に北京に出て来た沈麗敏さん(20歳)は、李弘哲さんの家で保姆を務めて3年になる。都市での生活が長くなり、安徽省の農村で生まれ育った彼女も、今では北京の若い女性となんら変わらない。

 李さんは、息子家族と同居のお年寄りで、5人家族である。沈さんは、中学生の李さんの孫娘と同部屋で寝起きしていて、今では2人は姉妹のような関係になった。李さん夫婦のことも、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶ仲で、旅行や外食にも6人で出掛けることが多く、まるで、5人家族が6人家族になったかのようだ。

 李さんは朝鮮族で、彼らの伝統では、長男に両親を扶養する責任がある。そのため李さん夫婦は4年前、遼寧省から北京に住む長男の家に引っ越してきた。

住み込みで保姆をする沈さんは、買い物、料理、掃除など、あらゆる家事をこなす

 北京に来た当初は、夫婦ともに健康で、身の回りの家事は自分で済ませていた。しかし、しばらくして妻が体調を崩し、李さんのために料理するどころか、自立した生活すら難しくなった。しかも、息子夫婦は仕事で忙しく、李さん夫婦の世話をする時間はない。そこで嫁が、「北京市三八家政サービスセンター」で沈さんを紹介してもらった。

 中国の保姆は、一般的に雇い主の家に住み込み、買い物、料理、掃除、洗濯、お年寄りや子どもの世話、病人の介護など、雇い主の必要に応じて各種の家事をこなす。ひと昔前には、保姆を雇うことは、ブルジョア階級の生活スタイルだと見なす人が多く、そんな経済力を持つ人も少なかった。

 しかし今では、充分な経済力と広いマイホームを持つ人が出てきただけでなく、「金銭で労働力を手に入れる」という考えも当たり前になった。李さんはかつて、保姆を雇う日が来るなどと、想像すらしなかったが、今では当然のこととして受け止めている。

李さんの奥さんを介護する沈さん

 中学卒業後に出稼ぎをはじめたことは、沈さんにとっても極めて当然のことだった。彼女は、「私が生まれたところはとても貧しいので、私のような年の子は、みんな出稼ぎに行きたがり、だれも家にいたいなんて思わないわ」と話した。

 北京に来たばかりのころ、沈さんは、洗濯機のような家電製品を見たことがないほど、都市生活をまったく知らなかった。家事はすべて、李さんの嫁が一つひとつ教えた。若く、勤勉な沈さんは、短期間で何でもできるようになり、李さんの家の生活にも慣れ、中国の南方にはない朝鮮民族のキムチまで作れるようになった。

 将来の夢について聞いたところ、「今の生活で満足。これからのことなんて考えたことはない。結婚まではここでお世話になりたいわ」と、にこにこしながら答えた。

多種多様の家政サービス

 一部の中国人が経済的に豊かになったことで、生活スタイルにも変化が現れた。都市住民が、家事の助っ人を得ただけでなく、農村出身者も、都市に居場所を見つけることができるようになった。

ザンさんは、あらゆる家事をこなす

 1983年、北京市婦人連合会は、中国初の家政サービス提供(保姆派遣)会社である「北京市三八家政サービスセンター」を設立した。同センターでは、地方の婦人連合会、共産主義青年団、労働関係部門と協力して、農村から若い女性を募集して北京に送り、保姆に育てている。

 経理(マネージャー)の張先民さんによると、20年前に保姆を雇った人は、人手が足りずにやむをえない事情があった人ばかりで、子どもの世話を手伝ってもらう目的が80%以上を占めていた。

 しかし今では、理由は多様化した。それでも、家事、お年寄りや病人の世話を希望する需要が最も多い。また、老夫婦と子ども夫婦が別居するケースが増えたため、年老いた両親がたとえ元気でも、「安心を買うため」に保姆を雇う若い夫婦も多い。中には、自分の子どもを両親に預け、保姆を雇って、両親とともに子どもの面倒を見てもらっている若い夫婦もいる。稼ぎの多い若者の中には、仕事が忙しいという理由で、子どもがいなくても保姆を雇い、より気ままな生活を手に入れている人すらいる。

 人により、生活習慣の違いやプライバシーがあるのは当然で、自分と何の血縁関係もない人が家庭に入ってくれば、多くの不便が生じる。特に、健康なお年寄りは、見知らぬ人が自分の生活に入ってくるのを嫌う。

家政サービス会社にて、保姆としての仕事を得た若い女性が、雇い主のお年寄りに笑顔で話しかける
都市の共働き家庭、お年寄りだけで暮らす家庭などでは、保姆はなくてはならない存在

 このような状況を受けて、パートタイムの保姆も現れた。パートタイムの保姆は、決まった時間に雇い主の家に出掛け、例えば、週末の二時間だけ掃除をしたり、毎日一人で家にいるお年寄りのために昼食を作るなど、契約した家事をこなす。これにより雇い主は、必要なサービスを受けられるだけでなく、見知らぬ人との共同生活による不便を味わわずに済む。もちろん保姆も、雇い主の生活スタイルに慣れる必要はない。

 安徽省無為県生まれの張翠玲さん(41歳)は、北京で8年間、パートタイムの保姆をしてきた。彼女は、同じく北京に出稼ぎに来ている夫と長女とともに、北京市西郊外の八里荘に、平屋建ての小さな部屋を借りて暮らしている。

 毎日、昼食はこの家、夕食はあの家とあちこちで料理をし、毎週掃除に出向く家は16、7戸になる。休む閑もないが、月収は、都市のサラリーマンと同一レベルの約1500元になるという。

 保姆としての感想を求めると、「本当に苦しい」との言葉が返ってきた。しかし、雇い主との付き合いが長くなると、親しみも沸いてくるため、まるで自分の家の家事をしているような感覚を味わえ、苦しさは半減するという。

保姆との距離感

 雇い主が、住み込みの保姆との距離感をどう保つかは、難しい。人に、「うちの保姆です」と紹介する人もいれば、「うちの子のおばです」と紹介する人もいる。ちょっとしたひと言だが、その言葉に込められた感情は違う。

 不動産会社に勤務する王芳さん(33歳)は、保姆との関係にとても深い思いがある。

日に日に規範化される家政サービス会社の業務は、都市住民に快適な生活をもたらしている

 結婚後も、彼女は四世代同居の母方の家で暮らしていたが、息子が生まれてしばらくして、保姆に来てもらうようになった。しかし、保姆もいろいろだ。若すぎて子どもの世話ができない人もいれば、大家族の人間関係に協調できない人もいた。特に耐えられなかったのは、衛生観念がまったく違う人がいたことだった。そのため、一年の間に十数人も保姆を代え、家族みんなが疲れ切ってしまった。

 ザン玉梅(ザンユイメイ)さんが来てしばらくした頃、王さん夫婦はマイホームを手に入れ、実家を出て暮らすようになった。ザンさんは、王さんより四歳年上で、四川省に二人の子どもを残している母親だ。そのためだろうか。王さんのわんぱくな息子に根気よく接し、責任を果たしている。子どもが彼女の話を聞くようになっただけでなく、近所の人々も、王さんがすばらしい保姆を雇ったことを羨ましがっているほど。王さんもやっと安心できた。

保姆として登録される前には、身体検査も受ける

 そこで昨年の夏休み、ザンさんの中学生になる娘を故郷から北京に招待した。そして、一生懸命勉強して大学に合格したら、費用はすべて負担すると励ました。

 5歳になる王さんの息子は、幼稚園に通っている。王さん夫婦は、毎日朝早く出かけ、夜遅くに帰る生活をしている。一方のザンさんは、王さんの家の家事を一手に引き受けている。王さんは、「私たち夫婦は、仕事が忙しく、何時に帰れるかわからない。彼女だけが頼り」と話す。

 王さんは、縁があったからこそザンさんと出会えたと思っている。もともと、好き嫌いで人を判断しないが、ザンさんは心がきれいで勤勉なため、感情は移る。「子どもを故郷に残して、北京で出稼ぎをするのは簡単なことではない。彼女のためになることなら、何でもしてあげたい」という。

待たれる社会観念の変化

 2000年8月、中国労働と社会保障部(部は日本の省庁に相当)は、「保姆」の正式名称を「家政服務員」(家政サービス員)と定め、資格の必要な九十の職種の一つとして認定した。

 北京福運佳家政サービスセンターの尹順英経理(マネージャー)によると、河北省、山東省、内蒙古自治区出身の保姆の最終学歴は、小卒30%、中卒60%、高校または中等専門学校卒業10%である。

北京福運佳家政サービス会社では、基本教育を行ってから、初めて雇い主のもとへ保姆を派遣する

 農村と都市では、まるで生活環境が違うため、新たに保姆として働く人は、北京に到着後、まずは約10日間の基本教育を受けなければならない。内容は、礼儀作法、衛生上の注意点、北京の風土、料理の作り方、家電製品の使い方、老人の介護、子どもの世話、家計管理などである。多くの雇い主は、保姆の技能と最終学歴のほかに、自家の安全を考慮して、その出身地や履歴なども重視している。

 農村住民が出稼ぎのために自由に移動できるようになった後、多くは同郷の知り合いなどを頼り、都市に出稼ぎに出るようになった。その職種の一つが、都市での保姆である。

 しかし、農村から都市に出てくる人の社会的背景は様々で、読み書きのできない人、水洗トイレの使用法や道の横断法さえ知らない人に、雇い主が手取り足取り教えるケースも見られる。その一因は、一部の民間家政サービス会社が、仲介費用を徴収するだけで、雇い主にも保姆にも責任を果たしていないことにある。中には、盗みを働いたり、金銭をだまし取ったり、子供を誘拐する保姆もいるほどだ。

 一方で、封建的な古い考え方を色濃く残している雇い主の中には、農村出身の保姆を差別視し、とてもこなせないほどの仕事を要求する、給料を支払わない、休暇を与えない、残業手当を支払わないなど、ひどい対応をする人もいる。社会の荒波にもまれたことがなく、自己防衛の術を知らない若い保姆が、このような仕打ちを受けるケースが多く、雇い主から強制的に肉体関係を迫られたというニュースも、たびたび新聞に掲載されている。

 家政サービスが職業として社会から認知されるためには、社会観念の徹底的な転換を待たなければならない。しかし最近、小さな変化が起こりつつある。

双方の権益を守るために契約を交わす雇い主と保姆

 その一例は、一部都市の一時帰休者が、以前は「下等な人間がする仕事」だと考えられていた各種のパートタイムの仕事を請け負い始めたことである。もちろん、彼らが選ぶのは、時間拘束の短い新聞や牛乳の配達、たいへんではあるが一定の技術が求められる出産したばかりの女性の世話などで、さらに辛い病人の看護や掃除などの仕事には興味を示さない。しかし、少なくとも観念の変化は始まった。

 今年の春節(旧正月)前、北京で働く出稼ぎ労働者が、ふるさとで年を越すために休みを取り、保姆が一時的に足りなくなった。北京市社区(コミュニティ)サービスセンターで、家政サービスのアルバイトに応募した北京の人は、6000人以上に達した。

 社会の進歩と経済の繁栄に伴い、家政婦業に対する都市住民の要求は、絶え間なく高くなっている。多くの人は、保姆に家事だけでなく、子どもの家庭教師をする能力なども期待するようになった。このような要求に応えるには、より高い学歴、より専門的なトレーニングを受けた保姆が必要になってくる。

 2000年9月、3年制の短期大学である北京海淀通学大学は、家政マネージメント専攻の第一期生を受け入れた。当時は、どれだけ調整しても、わずか27人しか集まらなかった。しかし、初めて卒業生を出す今年の就職戦線では、家政専攻の学生がもてはやされ、一人に4、5社の求人が来ている。求人を出しているのは、家政サービス会社のほか、不動産管理会社である。

 今年、同コースでは全国から学生を募集する。(2003年6月号より)


▽北京市三八家政サービスセンターの例
 利用者の登録料 10元
 利用者が保姆を紹介してもらう費用 30元
 ※派遣された保姆に満足できない場合、1年以内に限り、
  無料で3回まで変更できる。
 保姆の月給(住み込み) 300〜500元程度
 ※毎月10元ずつアップし、400元が最高。
  400元を超える部分は、雇い主と保姆が相談で決める。

▽家政サービス員(保姆)の分類
 1、初級家政サービス員
  家事を担当するお手伝いさん。月給400〜600元程度。
 2、中級家政サービス員
  高卒以上の学歴で、家計管理、家庭教師、栄養バランスを
  考えた献立作りなどもするお手伝いさん。月給800〜1200元程度。
 3、高級家政サービス員
  高等専門学校卒以上の学歴で、コンピューターを操作でき、
  投資なども管理する執事的なお手伝いさん。月給2000〜5000元程度。
 ※ただし、中国人が一般的にイメージする保姆は「1」。
  「2」、特に「3」の形式はごく少数。(参考:2000年発
  布の『国家職業 相iトレーニング教程』の規定)

北京市助友家務サービスセンターでは、単身のお年寄りに保姆を紹介する