豊かになる食卓

週末、田玉蘭さん(中央)一家は、北京にある山西料理の老舗「晋陽飯荘」で楽しい時間を過ごした

 田玉蘭さん(39歳)は北京の某研究所のスタッフで、夫は医療機器会社に勤務し、16歳の娘は高校に通う。夫は優秀で思いやりがあり、娘は聞き分けがよく成績も良好。家庭の経済状況は、中流のちょっと上に位置する程度だが、田さんは今の生活に十分満足している。

 唯一の不満は、夫の仕事が忙しく、しばしば定時に帰宅しないことだ。料理好きの田さんも、仕方なく、娘と二人で夕食をとることが多い。頭数が少なければ少ないほど、料理は作りにくく、間に合わせにすることが増えてしまう。多くの場合、娘と二人で外食し、娘の栄養状況に気を配ると同時に、時間と精力を節約している。

 いまの都市住民は、ほとんどの人が仕事と時間に追われ、大きな精神的プレッシャーを感じている。帰宅後にのんびりと料理し、団らんしながら夕食をとることは、贅沢な過ごし方になった。外食による夕飯が日常化するのは、最近の都市家庭ではめずらしいことではない。

「朝食店」の行き届いたサービスや各種の品揃えが、都市住民の朝食習慣を変えた。数元でおいしい朝食を食べられる

 過去とはまったく様子が変わった。10から20年ほど前、多くの人は経済的な理由でレストランには行けず、家庭の食卓も非常に質素だった。米、小麦粉、食用油、それに魚や肉、卵などの日用品は、すべて配給で、野菜の品種も少なかった。

 大多数の家庭で、細かく計算して合理的に手持ちの少ないお金を使い、日々の支出を節約するため、主婦は知恵をしぼったものだった。当時の北京では、越冬の保存用野菜が欠かせず、毎年晩秋から初冬にかけて、各家庭で数百斤(1斤は500グラム)の白菜を保存し、セリホンを漬け物にして、野菜が不足する時期に食用にした。にんにくは、お下げのように編みこみ軒下にかけ、街行く人は、自転車に束ねたネギをくくりつけて家路を急いだものだ。

 改革・開放から20年以上が経ち、中国人の生活は大きく変わった。もっとも大きな変化は、食卓だろう。食卓が次第に豊かになり、人の飲食構造、方式、習慣に、大きな変化が起こっている。

低農薬野菜、アワの粥、トウモロコシ粉のホットケーキは、「農家の料理」として、ありきたりの食べ物に飽きた都市住民に人気

 食に困らなくなったばかりの頃、人々は食品を貯蔵することに忙しかった。当時は年越しごとに商店で買い込み、経営状態の良い企業・事業体では従業員に米、食用油、豚肉、魚、リンゴなどを配った。その頃には、食品を貯蔵できればできるほど良いという観念があった。

 しかしここ数年、このような状況は少なくなった。食品購入の際、人々が重要視するのは、品質であって量ではない。スーパーでは、穀物、野菜、鮮魚、肉は小分けされ、米、小麦粉の包装も以前より小さい2、3キロから十キロ程度になった。野菜や肉類の包装は、一食で食べ切る量が基本である。

 品質の中でも、栄養、健康、安全がもっとも重視される。マーケットには、「緑色食品」(低農薬食品)のマークがついた野菜、肉類があり、値段は高くても人気を集めている。主婦も、緑黄色野菜や雑穀類の購入を意識的に増やす傾向があり、脂身や揚げ物のような健康に良くない食品に好んで手を出す人は減っている。

心温まる食卓

「老北京炸醤麺」のような古い北京を思わせるレストランが人気を呼んでいる

 田さんは北京生まれで、彼女の家系は、数代にわたって北京に住んでいる。6人の兄弟はすでに家庭を持ったが、いまでも祝日ごとに両親のところに集まって食卓を囲む。親戚の誰かが誕生日なら、それだけで団らんの理由になる。

 全員が集まれば、20人にもなる。かつては誰かの家に集ったものだが、最近ではレストランを選ぶことが増えた。これも不思議ではなく、買い物から料理まで、煩雑な準備をするとなると、しり込みしてしまうものだ。

 もっともにぎやかな親戚の集まりは、旧暦の年越しである。田さんの親戚は、ここ数年の春節(旧正月)には、近所にある著名レストランの晋陽飯荘で大テーブル二つを予約し、一堂に会している。

北京SOGOの「美食街」では、日本、韓国などの各地の料理を味わえる

 田さんは、こう悩みを打ち明ける。レストランでの年越しは、お金さえ払えば、すべてが出来合いのモノのため、手間はかからない。ただ、かつてのような忙しくもにぎやかな雰囲気はなくなってしまった。

 彼女の両親は以前、旧暦12月23日頃になると、年越しの食品――豚肉のしょう油漬け、揚げ菓子、あんまん、もち菓子などの準備を始めた。この頃になると、子どもは興奮し、大人が忙しくしている様子を見ながら、祝日を待つ。しかしいまでは、これらのすべての食品が、スーパーでいつでも手に入るようになり、当時の新鮮感はない。

 いま、田さんの兄弟の家庭では、年越しの伝統料理を作らない。ただ、高齢の両親は、年越しごとに準備をして、子どもたちにお土産として持たせている。お年寄りは、これらがなければ年越しの気分を味わえないようだ。スーパーの選り取りみどりの食品と比べ、伝統食品に特別な魅力はないように見えるが、両親が作る伝統料理から、田さんたちは、かつての温かい年越しの雰囲気を思い出すことができるという。

伝統的な調理器具は、電化製品に取って代わ

 いまの都市住民は、日々忙しく暮らしている。接待の宴席を除けば、料理や食事の時間を短縮したいと思う人が多い。しかも、買いたいものなら何でも手に入るようになった。そのため、厨房で過ごす時間はますます短くなり、料理の腕がなまる人が増えている。一方で、冷蔵庫の重要性が高まり、サラリーマン家庭の冷蔵庫には、いつでも一、二食分の食材が蓄えられている。

 以前なら庶民は、節気に合わせて料理をしていた。冬の漬け物、ベーコン、臘八粥、立春の春餅、端午(旧暦5月5日)のチマキ、元宵(旧暦1月15日)のダンゴなどである。

 北方では、「ギョウザよりおいしいものはない」という言い方がある。かつては、年越しや祝日の時だけギョウザを作ったが、いまでは、様々な具の入った冷凍ギョウザが出回り、買ってきてゆでれば出来上がりだ。しかし、即席ギョウザが出回ったことで、「ギョウザの特殊なおいしさ」も忘れ去られた。

 自宅でギョウザを包む際には、時間はかかるが、楽しい時間を過ごせる。祝日か日曜日に、家族が食卓を囲んで座り、みんなで手分けして白菜を刻み、具を混ぜ、皮をこね、にぎやかにギョウザ作りをする。これは一種の儀式のようなもので、ギョウザを食べる楽しみでもある。かつての「おいしさ」を生む要素は、この過程にあった。自分や親戚、友人が作ったギョウザが格別なのは、当然である。

 田さんは外食が多いが、両親から学んだ料理のコツを忘れたわけではない。ちょっとしたお祝い事があると、一家三人のために具の違った三種類のギョウザを作る。昨年の端午の節句では、アシの葉を買ってきて、北京伝統のナツメのチマキを作った。親戚、友人に分けると、みんな喜んだ。単なるチマキではなく、田さん手作りのチマキだったからである。

 しかし、田さんよりさらに下の世代になると、伝統料理のできる人は少なくなる。田さんの娘も同じで、若者には自分の得意料理がなく、マクドナルドやケンタッキーのようなアメリカン・ファースト・フードを好む。これは、田さんの両親の世代にはまったく理解できないことだ。お年寄りに言わせれば、ハンバーガーは、パンの間に肉をはさんだだけの食べ物に過ぎないのだから。

レストラン・フード・ライフ

外国から中国に入ってきた食品、ファーストフード店などは、その特徴的な料理や行き届いたサービスで、中国の飲食マーケットで成功を収めている。主な消費群は、都市部の若者や子どもたち

 ここ数年、立春、端午、臘八(旧暦12月8日)などの日が近づくと、スーパーで伝統食品の材料が改めて販売されるようになり、人気を集めている。これは、生活がどんなに近代化しても、かつて食べた故郷の味を忘れないという例だろう。レストランが林立する場所では、「家常菜(家庭料理)」「老媽火鍋(おふくろの味の鍋)」といった類の看板がひときわ目を引き、食客を呼び込んでいる。

 いまの都市住民にとって、レストランは欠かすことのできない場所である。これも生活の進歩の結果といえるだろう。

 1970年代前後には、北京にレストランは少なく、席が空くのを待たなければならなかった。食事中、周りに何人もの人がまだかまだかと待っている状況は、なんとも居心地が悪い。当時のレストランではメニューも少なく、肉炒め、レバーのあんかけ、エビのむき身炒めがある程度だった。

 いまの都市部のレストランは、「至るところにある」と言っても大げさではないほどで、大通りでも裏道でも、簡単に見つけられる。味も目移りしてしまうほど様々で、特に北京のような大都市では、蒙古族、朝鮮族、チベット族、ウイグル族、ダイ族のような少数民族の料理にもありつける。その他北京には、世界各地の味も集まっている。日本料理だけを見ても、日本式のラーメン、回転寿司、ファーストフードなどが人気だ。

 田さん一家が外食をする際には、好んで老舗を選ぶ。北京っ子の田さん一家は、北京の伝統の味を愛し、老舗の名声を信用している。

 最近のレストランには、およそ固定客がついている。家庭料理が多い生活区付近のレストランは、価格はお手ごろながら、ボリュームたっぷりの料理を出すことで、顧客をひきつける。一方オフィスビルに近いレストランは、落ち着いた飲食環境、ロマンティックな異国風情でホワイトカラーや若者の気をひく。

 

 商店街では、懐かしいふるさとの風情を感じさせる店など、簡単に様々な味や雰囲気を出しているレストランを見つけられる。もちろん、にぎやかで流行の先端を行くレストランも、どこにでもある。同時に、各種のバー、茶館、カフェ、デザート店、ファーストフード店、屋台、出張料理、弁当の宅配、お持ち帰りなどの多様な飲食形式やサービスが中国人の生活に生まれた。

 中国飯店(レストラン)協会の統計によると、2002年中国飲食業の売上総額は、5090億元に達し、連続して12年、二桁成長を続けている。北京市商業委員会の統計によると、昨年の春節七連休には、北京の重点飲食業30店の売上額が2600万元に達した。レストランは、すでに中国人家庭の食卓の延長線上に位置している。2004年1月号より

◆中国の主な民間伝統食品

▽臘八粥
 粥のこと。「臘八」(旧暦12月8日)は、毎年もっとも寒い日といわれ、米、アワ、大麦、もち米、アズキ、緑豆、インゲン豆、ダイズなど、8種類以上の穀物に、落花生、ナツメ、クリ、ハスの実などを入れて粥を作る。この習慣は仏教に起源すると言われる。


▽粽子
 チマキのこと。端午節(旧暦5月5日)に作る。一般的に、北方ではアシの葉で包み、南方では竹の葉で包む。主な原料はもち米で、北方ではナツメ、アズキなどの餡が好まれ、南方では肉、塩漬け卵黄などの餡が多い。


▽春餅
 野菜が不足していた冬の生活から開放され、春が来たことを祝うために立春(新暦2月4日)に食べる。薄くのばした「餅」で野菜を包んで食べることから、俗に「メァ春」とも呼ばれる。「餅」は熱湯で小麦粉をこねて作り、巻く野菜は、一般的にモヤシ、ホウレンソウ、ダイコン、ニラ、薄焼きにした卵、豚肉のしょう油漬けなどがある。


▽元宵と湯元
 旧暦1月15日の節句に食べるダンゴのこと。もち米で皮を作り、各種の餡を包み込む。南方と北方で作り方が異なる。南方では、もち米の粉に水を入れてこねた後、団子状にして、餡を包み込み、「湯圓」と呼ばれる。一方北方では、餡を小さくして、乾燥したもち米の粉の中に放り込み、ゆすって球状に形を整え、「元宵」と呼ばれる。餡の種類は多く、黒ごま、アズキ、チョコレート、サンザシの他、各種の果物ペーストがある。

 

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