「交杯酒」(夫婦固めの杯)を交わす二人

 陳静さん(27歳)は大企業の販売部、夫の李煌さんは北京首都空港で働いている。結婚前に長く交際した2人は、誰から見ても似合いのカップルだったため、友人からよく、「まるで夫婦みたい」と言われていた。結婚という人生の大事を成し遂げたのは、昨年秋、北京が最も美しい季節である。

 結婚式を振り返り、陳さんは、「とっても疲れたけど、みんな楽しい時間を過ごせたはず」と満面の笑みで話す。今でも、自分を迎えに来た車の隊列を忘れられず、「普通は先頭の『花車』(新郎新婦が乗る車)にだけお花が飾られているけど、私のは、7台全部だったのよ。式場にもたくさんのお花があって、本当に素敵だった」と、つい昨日のことのような口調で話す。

後ろ髪引かれる思いで家を出る新婦

 プロの楽隊を招いたことにも、ご満悦。式典のバックミュージックや友人が即興で歌った際の伴奏、音響効果にいたるまで、すべてが最高の生演奏で、「音響設備とは比較にならなかった」という。

 若者のにぎやかな結婚式を見ると、20年以上前に結婚した私には、言葉にならない感慨と羨望の念が浮かぶ。かつては、「結婚式」と呼べるほどのイベントはなく、単に、親戚や親しい友人を自宅に招いて、喜糖(婚礼の際に配るお祝いのあめ)を配り、食卓を囲む程度だった。

 結婚式を開いても、仕事場の工会(労働組合)の責任者が司会を担当して、上司が新婚夫婦に祝いの言葉を述べ、みんなで騒げばそれで終わり。当時の中国人は、文化大革命の苦しい時代を乗り切ったばかりで、発想にも行動にも慎重だった。たとえ結婚式という大事であっても、自分の感情を思いのままに表現することに慣れず、その勇気もなかった。

式場に向かう前の希望に満ちた二人

 改革・開放が進むにつれて、人々の観念が徐々に変化しただけでなく、懐も豊かになった。そして、多くの人が結婚披露宴を行うようになる。しかし、親戚や親しい友人をホテルに招いて食卓を囲むことは、1980年代にはまだまだ一般的なことではなかった。

 1990年になると、解放後初の婚慶公司(婚礼サービス会社)が北京に誕生した。婚慶公司のサービスは、芸術的な結婚写真の撮影から、花嫁を迎える車の手配や装飾、新婚旅行や盛大な披露宴の手配にまでおよび、結婚に関することなら何でも手配してくれる。

 同業の競争相手が少ない頃、北京康寧婚慶礼儀公司を立ち上げた史康寧総経理(社長)は、次のように話す。

 「当初は、ホテルのムードは気にせず、料理の質を重視する人が多かった。披露宴では必ず、愛情が永遠に変わらないことを象徴する九つ(「九」は「久」と同音であることから、めでたい数字と考えられている)の料理が用意され、四喜丸子(縁起のよい肉団子)やニワトリ、ダックの丸焼き(蒸し)は外せなかった。当時の披露宴は、出席者にお腹を満たしてもらえば、それで成功だった。それが90年代半ばから、次第に各種の個性に富んだ式典や披露宴に変わってくる。宴会への投資が徐々に減り、代わりに、雰囲気作りのための投資が年々上昇するようになった」

 資料によるとここ数年、中国全国で毎年平均約一千万組が入籍し、婚礼にかける費用は、数千億元に達している。ホテルでの披露宴も予約待ち状態である。

個性あふれる婚礼

新郎が新婦をはじめて自宅に迎える際、花嫁を抱きかかえて部屋に向かう。幸運がもたらされるよう、花嫁の足を地面についてはいけない

 陳さんは結婚式の際、婚慶公司を利用しなかった。計画は、すべて新郎新婦の手で行い、当然、親戚や親しい友人がその輪に加わった。

 手作りの結婚式では、社会習慣のほかに、自分たちが見たもの、聞いたもの、思いついたものの魅力的な部分だけを合理的に組み合わせる。例えば、新郎が新婦を迎えに行く際に、取り巻きが新郎をからかう方法、「花車」の装飾や走行路線の作成、式典での出し物などを参考にする。

 その結果、陳さんの結婚式は盛大なパーティーとなり、お祝いに駆けつけた人たちは、一様に楽しく心地よい時間を過ごした。陳さんは、「一人ひとりの愛情の形が違うように、婚礼も同じである必要はないと思うの。結婚は、私たちにとって人生の大事。自分たちの手で作りたかった」と話す。

新婦の陳静さんと新郎の李煌さん

 筆者の友人である田さんは、より臨機応変な式典を目指した。彼女は婚慶公司に依頼して企画を練ったが、細部の流れは、自分たちで考えた。

 かわいらしい田さんは、欧米映画に出てくるロマンティックな結婚式にずっとあこがれていた。そこで自分の結婚式で夢を実現させるため、婚慶公司にこんな場面をセッティングしてもらった。――純白のウエディングドレスを着た田さんが、父親と腕を組んで階段を下り、父親が娘を新郎にたくし、夫婦二人でお互いを尊重し、いつまでも幸せに暮らすよう言い付ける。そして、ロウソクに点火し、新婚夫婦の未来を祝福する。

 田さんのように、欧米式の式典を好む人は少なくない。それに最近の婚慶公司のサービスには、中国式、欧米式のほかに、真っ赤なチャイナ・ドレスを着て、拝堂(新郎新婦が天地の神や両親に礼拝してから向かい合って礼拝する儀式)を行う中国式と、純白のウエディングドレスを着て、誓いの品の交換やキャンドルサービスを行う欧米式を組み合わせたものも多くなっている。

双方の両親に深々と頭を下げる新郎新婦

 中には、欧米式の式典の細部に手を入れ、より二人の希望に合った形に変えるケースもある。史総経理は、彼が担当したある若いカップルの式典での心温まる話をしてくれた。

 二人は経済的には決して豊かではなく、当然、プラチナダイヤの指輪を買うお金もない。そこで誓いの品として、新婦は新郎に毛糸の小さな靴を贈った。彼女は、「これは私が生まれて初めて穿いた靴。母が大切に保管して、私と一緒に26年を過ごしてきたの。今日、この大切な靴をあなたに贈ります。これからの一生を一緒に過ごしてください」といった。新郎は、河南省の農家の生まれで、家はとても貧しかった。初めて写真撮影したのは中学2年の頃。その最初に撮った白黒写真を大きく引き伸ばし、額に入れて新婦に贈った――。

結婚披露宴参会者にタバコの火をつけて回る花嫁

 これらの誓いの品は、お金では価値を計れないが、とても個性的で、込められた思いと誓いは、私たちに訴えかけてくるものがある。

 今の都市部の若者が、伝統的な習慣にしばられることは少ない。強調するのは個性であり、人気のバー、ロッククライミングトレーニングセンター、大自然の中なども、結婚式の場所になる。一部の婚慶公司も、海底、空中、植樹、万里の長城、森林、草原などをテーマにした結婚式を売り出していて、結婚を控えた人々の様々な要望を満たしている。

 個性の追求は、往々にして社会の伝統的な習慣を駆逐する衝撃波になる。結婚披露宴だけを例にしても、バイキング方式、ダンスパーティー方式、手軽なアフタヌーンティー方式、カクテルパーティー方式、キャンドル付きの晩餐など、ますます種類が増えている。若者は、結婚式で何を食べるか、何人招待するかに興味はなく、「披露宴は午後に開くべきではない」という中国の伝統的な決まり事さえ、平気で破るようになっている。

きらびやかなお迎えの車

飾りつけた車の長い隊列は、新郎が新婦をめとる際の身分の証しでもある

 婚礼の際、陳さんが最も誇りに思ったのは、友人から借りた7台のベンツで構成されたお迎えの車の隊列だった。北京っ子は、ベンツを「大奔」(でっかいベンツ)と親しみを込めて呼んでいるが、生花で飾られた7台の「大奔」が街を行く様子は、風格すらただよう。

 実は、このお迎えの車は、かつての中国で、新郎が駕籠で花嫁を迎えた伝統が変化したものである。1950年代から、駕籠は「旧社会のもの」とされ、都市の住民には振り向かれなくなった。そして、80年代以降に使われるようになったのが、乗用車である。

 当時は、乗用車で花嫁を迎えることは、とても派手派手しいことだった。「同じ胡同(横町)に住みながら、新婦のたっての希望から、結婚式当日に『現代の駕籠』で街を練り歩いて見栄をはった後、家のある胡同に戻り、ようやく正式に結婚式を挙げた」という例が、珍しい出来事として報道されたほどである。

二人が夫婦になった証、結婚証明書

 ただ当時は、このような行動はとても贅沢で、実現は難しかった。その頃の中国には自家用車がなく、乗用車を使いたければ、友人を頼りに事業体や会社から借りるしかなかった。

 しかし、公用車で花嫁を迎えることは、社会通念では許されない。多くの人は、公私混同する人を批判し、一部のメディアは、このような目的で使用された公用車のナンバーを公開し、借り手と貸し手(事業体や企業)に気まずい思いをさせたものだった。

 そのためのちに、ナンバープレート上に「永結同心」(永遠に心を一つに)という祝いの赤い紙を貼り、結婚式の雰囲気を高めるだけでなく、面倒を回避する人が現れ、一挙両得の手段として定着した。

 ここ数年、多くの都市家庭で乗用車を所有するようになり、自動車レンタル会社も誕生。婚慶公司では、花嫁を迎える車の隊列の手配を重要業務の一つにしている。そのため、「永結同心」という紙の意味は大きく変わったが、今でもナンバープレートに貼る習慣は残っている。


新生活のスタート

新郎から初めて「お母さん」と呼びかけられ、感極まり、さっそく祝いの赤い封筒をわたす新婦の母親

 陳さんの結婚式で面白かったのは、北京っ子が「改口」(口を改める)と呼び習わす、それぞれの両親に対する呼称を変える儀式だった。

 新婦が新郎の母親を「お母さん」を呼び、「お母さん」が新婦に赤い封筒をわたす。中には1万1元が入っているが、これは新婦が、「万人の中から選んだ一人」のすばらしい嫁であることを意味する。一方、新郎も新婦の母親を「お母さん」と呼び、「お母さん」が新郎に赤い封筒をわたす。こちらには9999元が入っていて、新郎新婦が永久に仲良く暮らすことを願う意味がある。

新郎が新婦を迎えに行くと、花嫁の母親は、新郎に似た色の液体を一杯ずつ用意する。一杯はしょう油、一杯はコーラ。新郎が甘いコーラを飲めば、二人の将来が明るいことを暗示

 これこそ、両親の子どもに対する情趣あふれた祝福である。中国の家庭では、長年にわたって息子や娘の結婚を重視してきた。昔の貧しい時代にも、親は借金をしてでも式らしい式を挙げてやろうとしたものである。今でも農村の一部の貧困地域では、息子のために嫁を迎えることが、家庭にとって大きな経済的な負担であり続けている。

 しかし経済の発展した大都市では、多くの若者は、結婚式は自分の蓄えでするものと考え、経済力に見合った婚礼をするようになっている。陳さんは結婚式に約7万元を使った。すべて夫婦2人のお金だ。それでも、「両親はお祝い金をくれた。その気持ちがうれしかった」という。

都市で爆竹が禁止されたあと、代わりに風船を踏んで割り、にぎやかさを演出するようになった

 中国人がモノ不足の経済から脱したばかりの頃を振り返ると、人々の心は、このように平静ではなかった。当時の社会には、必要な数種類の大物家電がそろわなければ結婚をしないという考え方があった。また、披露宴の質や花嫁を迎える車の隊列のレベルを他の人と比較しようとする人が大勢いた。

 もちろん、今でもこのような考え方は残っているが、主流ではない。今日の結婚式は、全体的に見れば簡素化の傾向にあり、文化的レベルの高い人ほどその傾向がはっきりしている。人々は、婚礼は神聖だが、形式的なものに過ぎず、より重要なのは、結婚後に2人が幸せに暮らすことであると気づき始めている。2004年2月号より

北京「珍心」婚慶サービスセンターの価格例と
ウエディングサービス内容

〇ゴージャスタイプ(空中):3万元
 ヘリコプター(2機)、キャデラック(1台)、アウディ(5台)、
 司会者、ビデオ撮影(ビデオCD制作含む)、楽隊(20人)

〇ゴージャスタイプ:1万1800元
 ロールスロイス(1台)、キャデラック(3台)、司会者、ビデ
 オ撮影(ビデオCD制作含む)、メーク、楽隊、生花提供と披露
 宴会場の設営

〇スタンダードタイプ:6300元
 キャデラック(1台)、アウディ(5台)、司会者、ビデオ撮影
  (ビデオCD制作含む)、メーク、生花提供

〇チャイニーズタイプ:5800元
 司会者、伝統的な駕籠(担ぎ手8人派遣)、儀仗(6人)、太鼓(8人)、
 チャルメラ(2人)、かしずく役(2人)

〇チャペルタイプ:2000元
 チャペル利用、牧師、合唱団

〇キャンドルタイプ:5600元
 キャンドル(99本)、スポットライト(1台)、スモークマシー
 ン(1台)、舞台ライト(2台)、スタッフ(6人)、会場設営の
 指示担当(1人)、司会者、ビデオカメラ(2台)、楽隊

花嫁を迎える「花車」を飾りつける