楽隊はテープレコーダー

婚礼の儀式が終わり、新郎新婦は新婚用の部屋に向かう

 24歳の農村青年、米紅偉さんは、この日、妻を娶ることになった。近郷近在の親戚、友人がみな彼の家にやってきて祝い酒を飲む。しかしあいにく、連日、雨が降った。

 新郎の家は、中国・西部の貧しい省、甘粛省慶陽市の肖金鎮米王村にある。黄土高原にあるこの村は、村の中も外も、降り続く雨でべちゃべちゃになってしまった。客が多いので、新築した3間の家の中は、土足で踏まれて泥だらけになってしまったが、そんなことはおかまいなしに人々は婚礼にやって来る。

 庭の中に、チャルメラやドラ、太鼓が奏でる祝いの曲が流れてきた。昔は、婚礼や出産、葬儀など冠婚葬祭にはいつも、楽師たちが招かれてきた。特に、チャルメラ吹きは、冠婚葬祭のそれぞれの儀式に応じて、さまざまなメロディーを奏でたものだ。しかし今は、多くの家では楽師を招く費用を節約し、テープレコーダーやCDプレーヤーで音楽を流す。その効果のほどは、あまり変わらないように思われる。

婚礼をビデオで撮影

「●」の上まで来て、新婦はやっと婚礼の車に乗ることができる

 肖金鎮の文化センターで働く呉文虎さんは、この婚礼のビデオ撮影を頼まれている。彼は写真撮影が好きで、余暇に、月に2、3回は婚礼の写真を撮ってきた。しかし、人々は次第に婚礼の写真よりビデオを好むようになった。それを知った呉さんは、自分でビデオカメラを買った。最初の年は、いくらも仕事はなかったが、今ではビデオが当たり前になった。

 祝祭日の前後になると、婚礼が次から次に挙行され、呉さんへの「出演依頼」は絶えない。6年前は1年間に2、3回だったが、今は4、50回にもなり、てんてこ舞いだ。現在、鎮には3軒の写真館が婚礼のビデオ撮影のサービスを行っている。

花嫁の迎えは何で行く

伝統的な習慣通りに、嫁を迎えに行く新郎側の人は、一袋の五穀を持ってゆく。これは、新婦側の五穀豊穣と幸福吉祥を祈願するためだ

 新婦を迎える隊列が出発する。

 今の農村では、新婦を迎えに行くにも乗用車が使われる。このあたりの農村は豊かではなく、農業をしている人で自家用車を買える人はいないが、親戚や友人から借りてくることはできる。時には、車をハイヤーすることもある。特に新郎側は、新婦の家に迎えに行き、新婦側の客を送迎する。そのためには、大型のバスを一台、借り上げねばならない。

 新婦は毛麗麗さんである。今年20歳。家は同じ慶陽市の顕聖郷毛寺村にあり、新郎の家から20数キロ離れている。このあたりの風習では、新郎本人は新婦を迎えには行かない決まりになっている。

 そこで、新郎側の代表十数人が、3台の小型乗用車(サンタナ)に分乗し、さらに一台のマイクロバスを連ねて新婦の家に向かう。先頭の車は、都会と同様、ウェディングドレスとタキシードを着た絹の人形や赤いリボンで飾り付けられている。

 新婦の迎え方にも変化が起こっている。このあたりでは昔は、嫁を迎えに行くのに輿を担ぐか、ロバに乗るかしていた。1960年代の初期には、嫁の迎えは、「大平板車」と呼ばれる荷台が平らな運搬用の大型の荷車が使われ、青年や壮年の男たちがこれを押していた。

新婦は、姉の夫に背負われて家の門を出る

 「大平板車」の荷台の両端には、竹ざおが立てられ、それで竹製の丸い輪を支えている。丸い輪の上には赤い緞子の布団表が掛けられて、床には赤い毛布が敷かれていた。新婦は赤い上着を着て、頭に赤い被り物をかぶり、胡坐をかいて駕籠の中に座っていた。人々が駕籠の左右に群がり、2人の楽師がチャルメラを吹きながら隊列の先頭を歩いていた。

 1970年代になると、新婦の迎えには自転車が使われるようになった。新婦は自転車の荷台に乗っていた。

 80年代前後になると、嫁を迎えに行くのはハンドトラクターや農業用オート三輪に変わった。そして90年代からはオートバイになり、オートバイの隊列が長いほど、格好がよかった。2000年ごろには、すべて小型乗用車が使われるようになった。

ウェディングドレスは欠かせない

 新郎新婦の住む甘粛省慶陽市一帯の農村は、黄土高原の中でも、黄土がもっとも厚く積もっていることで有名な「董志ユアン(土に原)」にある。「ユアン」というのは、あたかも巨大な凸状の孤島に似ていて、上は平らで、望めば遥かな大平原のようだが、周囲は深く切り立った渓谷に囲まれている。

 新郎の家は平らな「ユアン」の上にあり、新婦の家は「ユアン」の周辺地帯にある。新婦の家の数キロ先の谷底には、曲がりくねった川が流れており、くねくねと曲がる狭い坂道が谷底まで続いている。新婦の家は、この坂道の中ほどに位置している。

新婦を迎える隊列が黄土の急な坂道を登ってゆく

 連日の雨で、黄土の地表にはいたるところぬかるんでいる。車は渓谷の近くに行くと、それ以上進めない。新婦を迎える新郎側の人たちは、車を降りて歩いて行くしかない。道は険しく、滑りやすい。

 やっと新婦の家に着くと、新婦はまさに化粧中で、ウェディングドレスに着替えているところだった。新婦の母親と数人の女性たちが嫁入り道具を調えていた。

 真っ赤な緞子の布団が目を引くが、そのほかに2、30足の靴の中敷きが人々の注目を集めた。昔ながらの習慣では、新婦は自らの手で刺繍した品と自ら作った靴の中敷きを、輿入れするときに、舅と姑、新郎の家の人々に贈らなければならない。

 今でも「鴛鴦」とか「龍鳳」などの伝統的な図案が昔と同じように使われているものの、中敷きを入れるべき靴は、新婦が自ら作った布靴だけではなく、各種の革靴やハイヒールもある。そこで母親や親戚が中敷き作りを手助けしたり、いっそのこと街で買ってしまったりするのだ。

婚礼では、夫婦が互いに拝礼する

 新婦は、実家の男性の背に負ぶわれて家の門を出る。そしてそのまま、婚礼用の車まで行かなければならず、新婦の足が地面に触れてはならないというのが決まりである。これは、足が地面に触れると、新婦の家の福が新婦とともに出て行ってしまうといわれるからだ。

 しかしこの日はあいにく雨になってしまい、そんなことを考えてはいられなかった。新婦は背負われて家の大門を出るとすぐに地面に降りて、自分で歩き出した。家の門から車が停まっている「ユアン」の上までは、3、4キロもの坂道である。

 新婦はピンクのウェディングドレスを着、赤いハイヒールを履いている。このあたりでは、ウェディングドレスは90年代末から流行し始めた。婚礼サービス会社で借りることができる。費用は1日、1、200元である。

今も残る婚礼の習俗

靴の中敷きを贈るのは、嫁入りの中で欠くことのできない伝統である

 婚礼のプロセスの中で、依然、一部の古い伝統が今も残っている。例えば、新郎が新婦を迎えに行き、新婦は新郎の家に着くと車を降り、互いに契りを結ぶプレゼントを贈り、天地を拝し、父母を拝し、夫婦が互いに拝しあい、新婚の夜に新婚夫婦の部屋に押しかけてひやかしたり騒いだりする……などである。しかし、昔に比べれば、ずっと簡素化されたことは明らかだ。

 呉さんは、今回の婚礼は中程度で、比較的簡単に催されたという。こうした規模の婚礼では、結納、宴会、新婦を迎える車、一部の家具や家電製品の費用を含めて支出は2、3万元と推定される。しかし、婚礼に招かれた客からの金品の贈り物があり、これで経済的な重圧を緩和することもできるのだ。

 慶陽ばかりでなく、すべての農村で、もともと「10里行けば風俗が異なる」といわれた漢民族の婚礼形式の多様性が、次第に同一の方向に向かっていると言える。ウェディングドレスや新婦を迎える乗用車、音響機器による音楽などの普及が、濃厚な伝統文化と衝突を起こしているのである。(2006年4月号より)


参考データ
 

婚礼の費用

慶陽・董志ユアンの上にある農村の婚礼費用は、生活条件の違いによって、その差は大きい。ユアンの上にある農村の一人当たりの年間収入は、1〜2千元、渓谷にある農村は一般に700〜800元以下。

○ 結納
妻を娶るために、新郎側から新婦側に贈るプレゼント。新婦の家の条件がよければ最低2000元、条件が悪ければ6〜7万元に達する。

○ 新婦側の嫁入り道具
これに使う費用は1千〜1万元と差がある。

○ 楽隊を招く
一般には4人の楽師を招く。費用は約300元。レベルがやや高い楽団を招き、その中に県級のプロの役者が参加し、芝居をする場合は、人数は約8人で、1500元が必要。

○ 披露宴
参加する人数の規模や出される食品の等級によって違いがあるが、費用は最低4000元、最高は2〜3万元に達する。

○ 婚礼に参列する客のプレゼント
昔は衣服や食品を贈ったが、今はたいてい現金を贈る。一般には10〜50元の間。特別の関係にある場合は別。

○ その他
新郎側は少なくとも一間の新しい部屋と家具を用意しなければならない。家を建てるには一部屋ごとに5千〜6千元が必要。家具を買うには、1千〜1万元を支払うが、その中には洋服箪笥と鏡台は不可欠である。

新郎新婦は来賓の席に来て、煙草や酒を献ずる


 
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