匂い立つ北京

北京駅 待合室に流れる時間

                                       写真・文 林 望
 


 たしかその匂いは、もっと濃厚に立ちこめていたはずだった。無数の人々の汗や息、熟れた果物、薫製肉…。雑多なものが溶け合った、混沌とした匂い。けっして気持ちの良いものではないのだけれど、なぜかそれを嗅ぐたびに私の心は浮き立った。たぶんその匂いが、どこかでの記憶と結びついているからだろう。

 しかし、久しぶりに北京駅を訪れてみると、その匂いの存在感はすっかり薄くなっていた。私はなんだかはぐらかされたような気分で第二待合室に足を踏み入れた。五十bもの長さに連なった椅子の列が、十四本並んでいる。ざっと九百人は座れるなのに、すでに空席はなく、床に新聞紙をひいて座り込んでいる人も多い。
それにしても、いろんな人がいる。行き先は同じでも、それぞれの暮らしぶりがまるで違うことは、彼らの荷物を見れば一目瞭然だ。大きな飼料袋に何かを目一杯詰め込んだ初老の男性。農村にある我が家に帰るところだろう。サングラスをして、キャスター付きのスーツケースをひいている若い女性は、これから夏のバカンスといったところだろうか。

 改札が始まるまでの過ごし方もまた、人それぞれだ。新聞を読む人、大型スクリーンの映像をぼんやり見つめる人、仲間とトランプに興じる人、荷物に寄りかかって眠る人…。乗り換えのために、こうして何時間も過ごす人は少なくない。

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 北京では日に日に生活のテンポが早まっているけれど、駅の待合室に流れる時間だけは異質な感じがする。ゆったりとしていながら、静かな興奮を秘めたような時間の流れ。いま日本の駅で、こんな空気を感じることはまれだ。

 言うまでもなく、中国は広い。列車の高速化が進み、本数も増えているとはいえ、日本のように一日に何本も目的地行きの列車があるわけではない。当然、連絡だって良くはない。列車でどこかに移動するときは、「気長に待つ」ことに馴染む必要がある。

 それは列車に乗り込んでからも同じだ。目的地まで十時間以上かかることは珍しくなく、例えば北京から上海は約十四時間、ウルムチまでは三泊四日かかる。日本のように、雑誌や文庫本を読んでいる間に到着、というわけにはいかない。だから列車に乗り込む人たちは、果物、お菓子、カップラーメンなど、車中で食べるものをどっさり抱えている。

 中国で列車に乗ることは、その目的が出張であれ、里帰りであれ、単なる「移動」にとどまらない。その緩やかな時間の流れが出会いや会話を生み、移動に「旅」の彩りを添えるのだと思う。

 慌てても仕方ない。いらだっても意味がない。ならば、十分な準備をして列車の揺れに身を委ねることにしよう。待合室の人々は、そんな風に気持ちの切り替えを済ませているかのように見える。

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 ようやく改札が始まり、人の波に押し流されるようにホームに向かった。その時、ふと、懐かしい匂いが少しずつ強まっていることに気が付いた。駅のにおい。旅のにおい。その核ともいえる、焦げ臭い匂いの輪郭がはっきりしてきた。ホームで鼻をクンクン言わせながら、匂いの出所を探ってみた。日差しに焼けるレール匂いかと思ったが、そうではない。やがて、その匂いが客車から漂っていることに気が付いた。

 乗車口でする客の切符を点検している若い車掌さんに聞いてみた。「なんの匂いですか、この焦げ臭いのは?」。彼は最初怪訝そうな顔をしていたが、すぐに表情を和らげて「ああ、石炭ですよ」と言った。

 石炭?まさか、いまだに蒸気機関車が走っているはずはないだろう。納得しかねている私を見て、彼は「お客さんが飲むお湯を沸かすんです。知らなかったでしょ。夏は暑くて大変な仕事なんですよ」と、笑って教えてくれた。

 なるほど。確かに、中国の列車では豊富にお湯が提供される。人々はそれでお茶を飲んだり、カップラーメンを食べる。中国の鉄道のサービスは、特に数年前まで、お世辞にも褒められたものではなかったけれど、お湯だけはふんだんに使うことができた。そのことで、随分救われた気分になったものだ。

 しかし、最近は電気でお湯を沸かす車両が増えているとのこと。石炭はそのうち使われなくなるだろう。駅の匂いは、そうやって少しずつ薄まっていく。

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 北京駅は昨年、建国五十周年に合わせて大々的な改修を行った。「風格依旧 面貌一新」。特徴的な中国風建築の外観こそ変わっていないが、その内部は床や壁をはじめ、照明器具、待合室の椅子、窓枠に至るまですべて取り替えた。一九五九年に駅舎が完成して以来最大規模の改修で、約二億元が投じられた。今後構内のトイレの設備と清潔度を「ホテル並み」にするほか、近く自動券売機と自動改札機も導入される予定という。

 「駅は都市の顔。サービスも含めて、大都市の駅として国際的にも一流の仲間入りをするのが目標です」。北京駅共産党委員会宣伝科の馬健福科長が、熱っぽい口調で将来の計画を紹介してくれた。彼の説明を聞きながら、私は「その目標が達成されたとき、北京駅にはどんな匂いが残っているだろうか」と、ぼんやり考えていた。 (2000年10月号より)