匂い立つ北京

水辺 水澄んで変わるもの

                                       写真・文 林 望
 


 竜髭溝。北京は天橋の東にある有名などぶ川で、おぞましい色をした泥水にゴミやぼろきれ、ネズミやネコや犬の死骸、時には子供の亡骸まで浮いていることがある。(中略)そのにおいもまた、ずっと遠くから嗅いだだけで吐き気を催すほどだ――。

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 これは老舎の代表的な戯曲『竜髭溝』の一節だ。ここで描かれているのは新中国成立前の話だが、それにしても、よほど凄まじいにおいだったのだろうと思う。今まで自分が味わった匂いの記憶をかき集めて想像を膨らませてみるけれど、うまくいかない。もどかしさを感じて、「ならば竜髭溝に行ってみよう」と思い立った。行ったところで、そのにおいが残っているはずはないのだが、何かしら感じるものはあるだろう。

 ところで、竜髭溝は一体どこにあったのか。北京暮らしの長い人でも、具体的な場所を知っている人は少ない。崇文門区の区役所に聞いても、はっきりした答えは返ってこなかった。やむなく地下鉄崇文門駅でタクシーを拾い、人に聞きながら探すことにした。運転手に「竜髭溝に連れていってください」と言ってみる。すると、「竜髭溝!十年以上この商売をしてるけど、竜髭溝に行けというのはあんたが初めてだ」と笑われた。

 そりぁ、そうだろうな、と私も苦笑いする。老舎の研究者でもない限り、だれがわざわざ臭いどぶ川の跡を見に来るだろうか。地元の人にとっては、竜髭溝など記憶にとどめておく価値のないもの、いやむしろ、そんなものがあったことなど早いところ忘れてしまいたい類のものでさえあるだろう。

 何人もの人に尋ねながら、タクシーはようやくかつて竜髭溝があったという場所についた。竜潭湖公園の北。古いアパートが並ぶ、何の変哲もない住宅区だ。道端でお年寄りがおしゃべりを楽しみ、路地には野菜や果物を売る荷車が止まっている。思ったとおり、何の異臭もない。

 木陰で涼をとっているおじいさんに声をかけてみた。「竜髭溝はどの辺りを流れていたんですか?」。妙なことを聞く奴だ、という表情を隠さないまま、彼は「ほれ、あの辺だよ」と、レストランやアパートが並ぶ一角を指差した。私は頭の中の竜髭溝のイメージをそこにあてはめてみようとしたけれど、無理な話だと分かってすぐにあきらめた。

 鄭竜雲さんというこのおじいさんは、今年六十五歳。抗日戦争が終わって間もなく竜髭溝の近くに住みつき、以来大工として生計を立ててきた。彼のように、解放前の竜髭溝を知る人は、もうあまり多くない。「さすがに子供の死体は見たことはないけれど、とにかく汚かったね。水が真っ黒なんだ。炊事、洗濯、掃除、とにかく家々からでる汚水は全部そこに捨てられていたわけだから」。当時この辺りには、門も塀もなく、鉄板を屋根代わりにしたバラックのような家が立ち並んでいたという。

 鄭さんによると、竜髭溝が埋め立てられたのは新中国成立の翌一九五〇年。政府が優先的にこの辺りの環境改善に取り組んだことがうかがえる。逆に言えば、それほどひどい状態だったということでもあるだろう。「雨が降ると汚水が道に溢れてくるから、ろくに外出もできなかった。におい?言葉では言い表せないよ。埋め立てられて以来、ほかでは嗅いだことのないにおいだが、もうたくさんだ。二度と嗅ぎたくない」。鄭さんはそう言って顔をしかめた。

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 北京に限らず、都市の近代化は水処理の問題を抜きにして語れない。とりわけ、環境や衛生面に水が及ぼす影響は大きい。老舎の『竜髭溝』にも、マラリアを忌み恐れる住民の言葉が何度も出てくる。命や暮らしに直接関わる問題だけに、それをいかに解決するかは、庶民が行政を評価する分かりやすい目安になる。鄭さんは言う。「新中国ができて竜髭溝が埋められてから、ようやくワシらはまっとうな生活ができるようになったんだよ」

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 北京市政府と国は九八年から、総事業費十億元を超える三カ年の市水系総合整備事業を始めた。湖や水路の護岸工事、周辺の歩道整備や緑化、水底にたまった泥の除去などを行っている。昨年一年間に除去された泥の量は三百万立方bに達するという。

 北海公園の北側に広がる前海という湖も、今回の整備事業で随分きれいになった。夕方になると、近所の人たちが湖畔で麻雀をしたり、釣りをしたり、社交ダンスを楽しむ。禁止されているはずなのに、湖で泳ぐ人が少なくないのはご愛敬だ。

 ヤナギの木の下に座って、じっと湖水を見つめているお年寄りもいる。楊坡さん(75)もその一人。毎日、夕方になるとこうやって涼むのだそうだ。 「解放当時、ここには一面稲が植えられていたんだよ」。この湖畔で生まれ育った楊さんは、湖の変化をずっと見守ってきた。「その頃は蚊が多くてね。いつも裸で遊んでいたから、毎日体中刺されていた」。五〇年代に湖に戻されたのだが、「泥の生臭いにおいがいつも漂っていた」という。昨年の「大掃除」でその臭いもなくなり、日課の夕涼みが快適になったと喜ぶ。

 「湖を見ながらたまに思うのさ。俺が子供のとき、うちのじいさんもこうやって夕涼みしていたなってね」。庶民の水辺の暮らしは、これからもずっと受け継がれていくのだろう。

 「溝不臭、水又清、国泰民安享太平」。老舎の『竜髭溝』に登場する程瘋子の口癖だ。「溝臭わず水{す}清めば、国{やすら}泰かにして民{やす}安んじて太平を享す」。北京の水辺の風景は変わった。さて、これから庶民の暮らしはどう変わっていくのだろうか。(2000年11月号より)