匂い立つ北京

朝食屋 湯気とともに始まる一日

                                       写真・文 林 望
 


 寒い朝。職場に向かう人々が、ちょっぴり身をかがめながら足早に通り過ぎていく。街角の食堂の店先に並んだ蒸籠から、白い湯気が濛々と立ち上っている。すべてが凍てついたような街の風景に、温かみを添える優しい湯気。人々は吸い寄せられるように足を止め、包子(肉まん)の入った蒸籠や油条(棒状の揚げパン)を揚げる大鍋の中をのぞき込む。

都会の朝が慌ただしいのは、おそらくどの国でも一緒なのだろう。とくに仕事を持っている人は、なかなかゆっくりと朝食を楽しめないものだ。食事の時間を大切にする中国の人でも、それは同じようだ。

そんな忙しい都会人にとってありがたいのが、早朝から営業している「早点舗」という小さな食堂だ。人通りの多い道端に店を構え、雑然とした店の内外には、油条や{ヨウビン}油餅を揚げる油の香ばしいにおいが立ちこめている。

 西城区、展覧路わきの路地にある「煥星包子舗」という店に立ち寄ってみる。鰻の寝床のような狭い店。八つのテーブルが並び、客たちが黙々と箸を運んでいる。サラリーマンや学生らしい人が目立つが、中には老夫婦や小学生の姿もある。注文してから一分もせずに料理が出てくるので、客の回転が速い。

 壁に掛かった黒板には、肉包子、油餅、ワンタン、米粥、豆漿(豆乳)など、八種類のメニューが書かれている。肉包子や油餅は一個〇・五元、ワンタンや豆乳は一杯〇・七元、最も高い炒肝(豚の内臓を煮て醤油ベースのあんかけでとじたもの)でも二元という庶民的な値段だ。(一元は約十三円)

 「一人のお客さんが使うお金はだいたい二、三元ってところね」と、店主の阮京栄さん(40)が早口の北京語で教えてくれた。客の財布のひもの固さは、景気の良し悪しによって微妙に変わってくるという。「最近は炒肝がよく売れる。景気が上向いている証拠よ」と顔をほころばせる。

 阮さんは毎朝四時過ぎに起き、八人の店員と一緒に下ごしらえを始める。包子だけでも毎日約千個作らなければならない。一日の売上げはおよそ千元。「きついわりに利が薄い商売だけど、張り合いをもってやっていますよ」と阮さん。長らく市内の運送会社で働いていたが、一昨年、夫が{シア}下{ガン}崗(一時帰休)したのを機に退職し、この店を始めたという。そう言えば、朝食屋は比較的少ない元手で始められるということもあり、職を失った人や出稼ぎに来た人が経営しているケースが多いと聞いたことがある。

阮さんは「最初のうちは包子がおいしく作れなくてね。なかなかお客さんが寄りついてくれなかった」と笑って当時を振り返る。「味はもちろんだけど、朝食屋にとって一番大切なのは人柄だと思ってやってきた。地元の人に慕われなければ商売は成り立たない」。今では常連客も増え、商売も軌道に乗ってきた。近くに住む人たちが通りがけに彼女に声を掛けていくのを見ても、この店が地域に溶け込んでいることが伝わってくる。

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 以前、北京には街のあちこちに朝食を売る屋台があったが、昨年、市当局が衛生上の理由から取り締まりを強化して以来、ほとんど姿を消してしまった。店舗を持つ「早点舗」に対する衛生管理の要求も高くなっており、基準を満たせない店は次々と営業許可を取り消されているという。朝の街に立ち上る湯気の数は、少しずつ減る傾向にある。

 毎朝、朝食屋に通っているという会社員羅京生さん(50)は「不衛生な店が淘汰されれば客は安心さ」と言った後、ちょっと眉間にしわを寄せ「とは言え、あんまり減りすぎたら困るだろうな」とつぶやいた。ほとんどの朝食屋が休業する旧正月、いつも思うことがあると羅さんは言う。「普段は気がつかないけれど、無くなってみてそのありがたさが分かる。朝食屋は、庶民にとっては空気みたいなものなんだ」。(2001年1月号より)