匂い立つ北京

白酒 いの中に託すもの

                                       写真・文 林 望
 


 冬のレストラン。席を埋めた客たちの熱気で窓が曇っている。隣のテーブルから、かまびすしい笑い声と一緒に白酒のにおいが漂ってきた。鼻腔を突き抜けて、脳髄に直接響くような甘いにおい。久しぶりに嗅ぐと、それだけで頭がクラッとするようだ。

 白酒とは、コーリャン、小麦、トウモロコシなどから作る透明の蒸留酒を指す。アルコール度は低いものでも四十度弱。高いものだと六十度前後あり、火をつければしっかり燃える。

 白酒については、苦い思い出がある。五年ほど前、取材で吉林省長白山のスキー場に行った時のことだ。到着したのがちょうど昼時だったこともあり、現地の関係者がさっそく私のために一席設けてくれた。宴が始まると、テーブルを囲んだ人たちが次々に「乾杯」を求めてきた。拒む術を知らない私はすすめられるままに呑んでしまい、途中で意識を失った。目が覚めたのは翌日の午後。慌てて飛び起き、氷点下二十度のスキー場を走り回ったが、やはり十分な取材はできずに終わってしまった。

 白酒おそるべし――。同じ失敗を繰り返すまいと、その後私は中国の友人からいくつかの知恵を授けてもらった。飲む前に肉を食べておく、同席の人に気づかれないようにお手ふきにこぼす、などの方法を覚えたが、幸か不幸か、最近はそんな技を使う必要があまりない。白酒を呑む機会そのものが減っているからだ。

 例えば二十代、三十代の友人が集まるとき、「白酒を呑もう」と言い出す人はほとんどいない。ビールで始まりビールで終わるパターンがほとんどで、料理の種類によってたまにワインや紹興酒などを頼む程度だ。年配の人との宴会でも、強引に白酒を呑まされることは随分少なくなった。

 これに関連して、ちょっと興味深いデータがある。中国の白酒の生産量は一九九六年の八百二万トンをピークに減少を始め、九九年には六百五十万トン余りにまで減っている。一方、一九九九年のビールの生産量は二千百万トンで、これは一九七七年のなんと六十倍。近い将来、中国はアメリカを抜いて世界一のビール生産国になるだろうと言われている。

 とはいえ、白酒は数千年にわたって中国の人々に愛されてきた酒だ。好きな人にとっては、ほかでは代え難い魅力がある。「毎晩、燗をつけた二鍋頭を、グラス一杯やるのが楽しみ」というのは会社員の劉雄さん(58)。「二鍋頭」は白酒の中でも最も庶民的な酒だ。「あの香りと、舌の上で転がすときの甘みがいいんだ」と頬をゆるめる劉さん。「酔いの中に身を委ねれば、腹の中に溜まったクサクサした気分も消えて行くよ」。安くてうまくて酔える酒といえば、何といっても「二鍋頭」だと彼は言う。

 劉さんは一九七〇年代まで、北京の街に「二鍋頭」を量り売りする一杯飲み屋があったのを覚えている。夕方になると、馬方や車夫、建設現場で働く労働者などが集まってきて、落花生をつまみにお碗で呑んでいたという。「体に溜まった疲れを吹き飛ばそうとするような呑み方だった。ビールではそういうわけにはいかない」。確かに、ビールは酔って何かを忘れるための酒ではない。酒を呑むという習慣は変わらずとも、彼らが酒に求めていたものは、今の私たちとは少し違っていたのかも知れない。

 調査によると、北京に限らず、農村でも住民の平均収入が一定水準に達すると、白酒の消費量が減る傾向が現れているという。暮らしが変われば、人々が口にする酒も変わる。烈しい酒から優しい酒に。酒のにおいと一緒に、何が薄まり、変わろうとしているのだろう。(2001年4月号より)