匂い立つ北京

香菜 異文化を食う

                                       写真・文 林 望
 


 柔らかい緑色の茎に、キクの葉状に裂け目の入った小さな葉がついている。鼻を近づけると、青臭く、くせのあるにおいがツンと漂ってくる。

 最近、日本では「コリアンダー」という名で紹介されることが多いようだが、「こえんどろ」という和名もある。一風変わった音の響きからも分かるように、東アジアの在来種ではなく、地中海沿岸から伝わってきたセリ科の植物だ。香辛料としての歴史は古く、古代エジプトやギリシャの文献にも出てくるという。日本には十世紀以前に渡来し、生魚を食べる時のにおい消しに用いられたこともあったが、結局日本人の口には合わなかったのだろう、伝統的な日本の食文化にはついに定着しなかった。

 ところが、この香りの強い植物は中国ではしっかりと受け入れられ、その名も香菜と呼ばれている。餃子の餡や各種のスープに入れられるほか、前菜や肉・魚料理など、実に多くの料理に添えられるため、中国古来の香辛料だと思っている人も多いようだ。

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 海淀区大鐘寺にある青果卸市場。ニンジンや白菜の山の陰に隠れるように、香菜が積まれていた。頬かぶりをした卸売りの女性に「どこで取れた香菜ですか」と聞いてみる。「北京で出回る香菜は、ほとんど河北省か山東省のものだよ」。卸値は五百グラムあたり0・5〜11元と、季節によって大きく変動するものの、「80年代にハウス栽培が普及してから、一年中出回るようになった」という。(1元は15円)

 香菜は普通、ほかの野菜を植えた畝の間に種をまいて育てる。「適当に水をやっておけば一カ月半くらいで出荷できる。手間はかからないよ」と言うのは河北省易県で農業を営む劉克安さん(36)。香菜は大好物で、家でもよく食べるそうだ。「香菜は癖になるんだ。香菜が入っていない餃子やスープは、なんとも物足りない感じがする」。ハウス栽培ができるようになる前は、秋に天日で干したものを大切に使って冬を越したという。「俺みたいな人間にとっては塩や醤油と同じさ。どうしても欠かせないものなんだ」

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 日本の先人が拒んだにおい。今も、これが苦手な日本人は少なくない。以前、だれかが「香菜は、中国を好きになれるかどうかのリトマス試験紙だ」と言っていた。必ずしも当たっているとは思わないが、確かに、このにおいに慣れなければ、中国での生活は少し厄介なものになるかもしれない。

 中華料理のにおいというと、思い出すことがある。学生時代、マレーシア出身の華僑を母に持つ同級生がいた。何かの話の中で、彼は「小さい頃、近所の人から『君の家はいつもニンニク臭い』と言われたことがある」とつぶやいた。その表情は淡々としていたけれど、幼い彼が受けた痛みの深さが伝わってくるようだった。

 ある地域の人々はニンニクを好み、ある地域の人々は嫌う。ある国の人々は香菜を受け入れ、別の国の人々はこれを拒む。そこに優劣や善悪の別などないはずだが、嗅覚というのはひどく直感的なものだ。私たちは異質なにおいに対して、ある種本能的な拒否感や嫌悪感を抱く。そしてそのにおいが立ち上がってくる暮らしや文化を拒絶したり、否定してしまうことがある。

 そう言う私も、中国に来たばかりのころは香菜が嫌いだった。薬臭いとでも言うのだろうか、眉間の裏あたりをくすぐられるような感じがして苦手だったのだ。初めのうちはいちいち取り除いていたが、あまり多くの料理に入っているのでそのうち面倒になり、ええいままよ、と息を止めて食べるようになった。やがて息を止める必要もなくなり、気がつけば、自分で料理をする時にも香菜をたっぷり入れるようになっていた。劉さんの言う通り、「香菜は癖になる」のだ。

 「異臭」という言葉がほぼ「悪臭」と同じ意味であるように、未知なるにおいに対して私たちの身体はこわばってしまいがちだ。そのにおいの向こう側にある魅力を知ろうともせず、遠ざけてきたものは少なくないだろう。鼻をつまみながらワシワシと食ってしまうことも、時には必要なのかも知れない。(2001年5月号より)