自治区成立50年 新疆はいま
 
 
                                     
中国各地からの商人や外国の商人も買い付けにやって来て賑わうウルムチの国際バザール(新疆ウイグル自治区宣伝部提供)
新疆は、中国全土の6分の1を占める広大な土地である。
しかし、中国の西の辺境にあり、人口は約2000万にすぎない。
シルクロード、砂漠、オアシス、隊商、少数民族、果物……
新疆といえば、こんなイメージを思い浮かべる人が多いだろう。
その新疆が、いま、変貌しつつある。
その原因の一つは、ソ連の崩壊である。
緊張の最前線だった新疆が、中央アジアや欧州への陸の窓口になった。
もう一つは、経済の発展である。
経済は、改革・開放政策が始まってから約16倍になった。
さらに少数民族の教育レベルが高まっている。
中国語と民族語を教える「双語学校」が設立された。
新疆の「国内留学生」が大都市で学んでいる。
新疆は10月1日、自治区成立50周年を祝った。
その新疆の、最新事情をレポートする。

 
特集1
シルクロードの交易が復活した
                                    横堀克己=文・写真  于明新=写真

国境越えるヒトとモノ

鋼滓を積んできたカザフスタンの大型トレーラーと運転手のジイロフさん

  新疆ウイグル自治区の最北端の大都市、アルタイ市から西南西に約200キロ。広々と開けた草原と土漠の中に、きちんと舗装された道路が、ほとんどまっすぐに走っている。

   カザフスタンとの国境の町、ジムナイ鎮は、人口約5000人の小さな街だ。街はずれに、カザフスタンと中国を結ぶ陸上の貿易港がある。細い川に架かった橋のたもとに、「中国国界」と刻まれた石碑が立っている。川の向こうは無人地帯。遠くに、白い建物が見える。そこがカザフスタン側の国境検問所だ。

  カザフスタン側から、古ぼけた大型トレーラーが黒煙を吐きながら、喘ぎ喘ぎやって来て、「中国国界」を越えて停車した。車のナンバー・プレートはカザフスタンのものだ。積荷は、20トンもある巨大な黒い塊だった。鉄を製錬した後に残った鋼滓である。

   運転してきたのはカザフ人のジイロフさん(48歳)。30年間、運転手をしてきたベテランである。半年前から貿易会社の運転手になり、中国への輸出品を運ぶ仕事を始めた。この日は、60キロほど離れた町からやって来た。

   「この仕事を始めてから、月に2万5000テンゲ(約150ドル)になる。人よりも収入は多いから、満足しているよ」とジイロフさんは言った。これから中国側で一泊してから帰るという。

緊張緩和で貿易再開

カザフスタンから国境を越え、ジムナイにやって来た大型トレーラー

  ジムナイは、約百年の歴史を持つ貿易港である。帝政ロシアと清朝の中国とを結ぶ6カ所の貿易港の一つだった。新中国成立後は、新疆における最大の対ソ連貿易港となり、最盛期は新疆の対ソ貿易の39%を占めていた。しかし、中ソ対立の激化に伴って、中ソ国境は閉鎖され、1962年、ジムナイ貿易港も閉じられた。

   それから30年。ソ連が解体し、カザフスタンが完全に独立した。92年、中国とカザフスタンは、ジムナイの国境貿易再開に正式に合意した。97年にはジムナイは、中国政府が認可する「一類」貿易港となった。新疆の一類貿易港は現在、16。

   ジムナイの昨年1年間の貿易は8万4000トンで6700万ドル。前の年の約4倍に増えた。中国からの輸出は、量は少ないが、金額では9倍も多い。これは、カザフスタンからの輸入品が鉄くずやスクラップ、冷凍魚などが主であるのに対し、中国からは、家電、果物など金額のはるものが輸出されているからだ。

  今年に入っても、輸出入は飛躍的に増えており、2004年の倍になる勢いだ。連日、中国、カザフスタン双方の大型トレーラーが国境を行き来している。

   ジムナイから国境を越える人の往来も盛んになっている。バスは、抱えきれないほどの荷物を持ったカザフの人たちでいっぱいだ。この一帯には、国境をはさんでカザフの人たちが住んでいる。中ソ対立のため、親戚付き合いは長く絶たれていたが、今は往来できるようになった。

   昨年1年間に、カザフスタンと中国を往来した人は延べ約2万人。カザフスタンから中国への入国は、旅行・親戚訪問が約6600人、業務が約2900人で、いずれも飛躍的に増加している。中国からカザフスタンへの出国も、ほぼ同様の傾向を示している。

   アルタイ地区にはジムナイのほか、国が認可した外国との貿易港が3カ所ある。やはりカザフスタンとの国境にあるアヘイトゥビエク、モンゴルとの国境にあるタクシュケンとホンサンズイである。このほか、ロシアとの国境のカナス貿易港も近く開設される見込みという。

   『漢書』の「西域伝」によると、シルクロードは、玉門関を起点として西に向かう2筋の道であった。1つはミーランからヤルカンド、さらにパミール高原を越えて行く西域南道、もう1つはトルファンから天山山脈南麓、カシュガルへ抜ける西域北道である。

   それが唐代になると、西域南道がすたれて、西域北道が、敦煌からハミ、カシュガルへ向かう天山南路と、天山山脈の北を通ってハミからウルムチ、イリ、さらにタシケントへ抜ける天山北路ができた。

   アルタイ地区の四カ所の貿易港は、かつての天山北路に位置している。シルクロードの天山北路が現代に甦ったということもできるだろう。

賑わう国際バザール

中央アジア最大といわれるカシュガルの国際バザール

  新疆の西南部にある最大の都市、カシュガルには、大きな国際バザールがある。「オッタラ・ラルビー・アシア・ソーダ・バザリー(中西ア国際貿易市場)」と呼ばれる。20ヘクタールという広大な土地に、6200以上の店が並んでいる。売られているのは食糧、日用雑貨、民族工芸品など40種類。中央アジア最大のバザールである。

   アラムジャンさん(45歳)は、このバザールの一角で、絨毯屋を営んで7年になる。90平方メートルの「アラムジャン・ドカン(アラムジャンの店)」は、色とりどりの絨毯が所狭しと並んでいて、客足が絶えない。家賃として年間1万5000元をバザール管理処に支払う。

   「最近、日本人や白人の客だけでなく、パキスタンの客も来るようになったよ」とアラムジャンさんは言った。バザールの場長を勤めるイマム・メイメットさん(32歳)も、ソ連の解体後、キルギスなど中央アジアやパキスタンなどの商人が増えてきている、と言った。

   カシュガル市を含むカシュガル地区は、東はタクラマカン砂漠に接し、南は崑崙山脈、西はパミール高原、北は天山山脈に囲まれている。人口約350万で、90%以上がウイグル族である。カシュガル地区はパキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギスとの国境を抱え、インド・パキスタンが領有権を争っているカシミールとも接している。

 長い間、友好関係にあるパキスタンとは、1985年以来、クンジュラブの貿易港が正式に開放され、86年からは、第三国の人もここを通過できるようになった。毎年約2万人が出入国し、2万トンの物資が行き交う。

よみがえる天山南路

アラタウの国境を行き交う貨物列車群(新疆ウイグル自治区宣伝部提供)

   中央アジアの国々とは、中ソ対立で長く国境は閉鎖されていた。しかし、ソ連の崩壊と中国の開放政策とによって、いま、急速に貿易が活発化している。

   タジキスタンとの間は、海抜4300余メートルの高地にあるカラスーに貿易港が開設され、2004年5月に正式にオープンした。2004年の輸出入総額は約5万ドル(うち中国からの輸出は約4万ドル)。

   キルギスとの間にはトルガット、イルケシタンの2カ所に貿易港が置かれている。ここを通じて中国が輸入しているのは、鉄鋼スクラップ、畜産品、農産物、石炭など。輸出しているのは繊維製品や果物、軽工業用機械、陶磁器、プラスチック製品などである。

   トルガットは、1983年から開放されたが、95年に貿易港が整備された。年間100万トンの貨物と50万人の旅客が通過できるよう設計されている。2004年は、貨物25万トン(総額1億4000万ドル)がここを通過した。

   イルケシタンは、2002年に正式にオープンした。2004年の貿易は、28万トン、総額2億7000万ドルだった。

   カシュガル市内にも、香港資本が投資して造られた「新怡発」貿易港がある。ここは地方政府の認可した「2類」の貿易港で、新疆にある7カ所の「2類」貿易港の1つである。

   「新怡発」には、ひっきりなしに大型トラックが出入りしている。パキスタン、キルギスとの小規模な国境貿易が行われているが、時にはタジキスタンやインド、アフガニスタンに向かう車もあるという。2002年に正式に開業し、昨年は4万3000トン、総額約9700万ドルの貨物がここを通して運ばれた。輸出品は家電、繊維製品、ドライフルーツ、玩具、機械など、輸入品は、鉄や銅のスクラップ。

   カシュガル、トルガット、イルケシタンはともに、漢代に栄えたシルクロードの要衝である。ここが再び貿易港として活動を始めたことは、かつての天山南路が復活したと言ってもよい。

   さらに、カシュガルの国際空港も1993年に「1類」貿易港として政府に認可され、2002年から正式に開業した。すでにカシュガルとパキスタンのイスラマバードを結ぶ空路が開設され、これからはインド、キルギスとの空路も開かれる予定だ。

欧州に向かう中国物産

カシュガル市内にある「2類」貿易港の「新怡発」には、パキスタンやキルギスに向かうトラックが次々にやって来て、税関の検査を受けている

  この数年、新疆の国境に多くの貿易港が開設され、どこも貿易量は飛躍的に増えているものの、圧倒的に貿易量が多いのは、アラタウ(阿拉山口)の鉄道による輸出入である。

   税関の統計によると、2004年、アラタウの輸出入総額は28億4200万ドルに達し、過去最高を記録した。輸入は約23億5000万ドル、輸出は約4億9000万ドルで、これは新疆に16カ所ある貿易港の輸出入総額の57%を占めている。

   主な輸出品はコークス、繊維製品、建築材料など。主な輸入品は原油および石油製品、鋼材、金属スクラップ、化学肥料、鉱物など。最近は原油および石油製品の伸びが目立ち、かつてトップを占めていた鋼材や金属スクラップを抜いてトップになった。貿易相手国は、中央アジア諸国やロシアなど隣接する諸国だけでなく、ECなど欧州も含め20カ国に達する。

   「外引内聯、東聯西出」(外から引いて内に結び、東と結んで西に出す)というのが新疆の政策である。この政策に沿って新疆には、辺境経済開発区や輸出加工区が設立され、国内の各省、特に東部の各省、直轄市の資金を導入し、国境を通じて貿易を行っている。この結果、新疆から輸出される産品は、東部の産品が大部分を占め、輸入される産品は、そのほとんどが東部に運ばれて、売られている。

復活の背景と今後

クレシ・マイハスティ新疆ウイグル自治区副主席

  近年、新疆の国境地帯に次々と陸上貿易港が開設され、ヒトとモノの往来が盛んになったのはなぜか。関係者の一致した見方は――

   一、中国、なかんずく新疆を取り巻く国際環境が変わった。

   ソ連の崩壊と中央アジア諸国の独立によって、国境の緊張は緩和され、相互補完的な貿易の必要性が高まった。2001年には、中国とロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンで構成されるこの地域の総合的な協力組織である「上海協力機構(SCO)」が結成された。インドとも、関係が改善され、今年、パキスタンとインドがSCOにオブザーバー参加した。

   二、中国の改革・開放が進み、経済が発展し、中国がWTOに加盟した。

   新疆の国内総生産(GDP)は、2004年、2200億余人民元で、1978年に比べ16倍になった。

   三、新疆の社会が安定し、経済が発展して、国境貿易や文化交流の発展を促した。

   クレシ・マイハスティ新疆ウイグル自治区副主席は「新疆では1995年前後にかなり重大な民族分裂主義による治安問題が起こったが、祖国分裂に反対する自治区共産党委員会の努力で、ここ数年、大きな成果をあげ、各民族の団結が強化された」と述べている。

   今後、新疆の対外貿易はどう発展するのか。

   カシュガル地区対外貿易経済合作局のムフタル・モハメッド副局長は、近隣諸国との貿易は、「さらに急速に発展するだろう」と見ている。「例えばカシュガル地区は、国境の全長が888キロあり、各国と陸上でつながっているという地理的な条件がある。インドとも通商を開く道を模索している」という。

   6月には、パキスタンのカラチで開かれたカシュガルの展示即売会で、百万元の売上げがあった。今後は、近隣諸国との間に、商談会や展示即売会を開催する予定だ。(2005年10月号より)



 
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