日本観光が促す草の根の交流
特集3
毛丹青が企画した中国文人の日本旅行

  2006年の年初、中国で『莫言北海道走筆』が正式に出版され、中国に北海道の「風」が吹いた。

  実は、中国人は北海道に対して、前から特殊な思い入れがある。1980年代に、男女の間の信頼と愛情を描いた映画『君よ、憤怒の川を渉れ』は、中国で上映され、一世を風靡した。主演の高倉健と中野良子に、当時の中国の若者は夢中になった。ここから「北海道」という地名は、中国人の記憶の中に入り込んだ。

  作家、莫言の一行十数名は、14日間にわたって、北海道の各地を訪ねた。肌を刺す狂風が吹き荒れる襟裳岬、若くて整然とした都市札幌、夜間に灯火がキラキラと輝く函館、そして、海に流氷が漂う知床半島……。

北海道でスキーを楽しんだ莫言(左)と毛丹青(右)(写真・テキ東風)

  莫言は、北海道の土を踏むなり、一種の「放心状態」になったようだ。雪や氷、牧場、白鳥、土方歳三……北海道のどの景色も人物も、いつかある日、莫言の小説に現れるかもしれない。
 
  莫言の同行者の一人、在日作家の毛丹青が、今回の北海道の旅を企画した。18年前、毛丹青は日本に留学し、そして定住した。文学をとくに愛する彼は、その後、中国語と日本語の2つの言葉で創作を始めた。
 
  彼が描こうとしたのは日本人だ。1998年、毛丹青の日本語による随筆集『にっぽん虫の眼紀行』が出版され、第28回神戸ブールメール文学賞を受賞した。中日2カ国語を自由に操るバイリンガル作家である毛丹青にとって、似てもいるが異なってもいる中日両国の文化的雰囲気は、文学創作活動の巨大な源泉であり、動力でもある。
 
  2000年から、日本へ旅行に行く中国人がますます増えてきた。そこで毛丹青に、中国の作家やカメラマンを組織して日本を旅するという考えが芽生えた。「空間を変え、インスピレーションをかきたて、みんなの目で日本を発見する」というのは、彼の独創だ。

旅行は認識を変える

 この考えに共感して莫言が日本に来たのをはじめ、映画監督の田壮壮、作家の阿城、衛慧や哲学者の李沢厚、さらに多くの有名な編集者や記者が、相次いで日本へ来て、毛丹青の案内で日本の旅を始めた。
 
  日本を旅する中国人にとって、もっとも喜ばれるものの一つは温泉である。独特な温泉文化が、中国人にとっては非常に新鮮なものだからだ。莫言も温泉が大好きで、日本へ来るたびに温泉があるところへ行き、温泉につかる。
 
  北海道の十勝川に行った時のこと、あたり一面、果てしない茫々たる雪原の中にある露天の温泉に入った莫言は、中国の文人が言う、道を修め、精神を涵養する最高の境界である「浴雪精神」という言葉を想起した。「浴雪精神」とは、身体と頭脳の中の世俗に染まったものを、雪で身を清めるように洗い流し、思想を昇華させることである。

莫言は初めて野生のキツネに会った(写真・蕭傑)

  「十勝川の朝と夜が、私にこの精神を真に体験させてくれた。雪で身体を洗うことはなかったが、私は精神の洗礼を受けたと感じている」と莫言は感慨を込めて語っている。
 
  莫言は、日本の映画『キタキツネ物語』を見たことがある。映画の中では、成長した子ギツネが、親と離れたくないのに、キツネの父と母は、子ギツネを暴力で追い払う。子ギツネが独り立ちして生活できるようにするためだ。その映画に深く心を打たれた莫言は、キツネの精神に励まされ、家を離れ、自分の文学の道を歩み始めた。
 
  彼に言わせれば、キツネは神秘的で美しい動物だ。中国では、野生のキツネに出会うのは難しい。しかし今回は、北海道の海辺で、一匹のキツネが運良く莫言のそばを通って行った。莫言は手を伸ばしてキツネを撫でた。するとキツネは、猛然と彼の指を噛み、身を翻してすばやく逃げていった。
 
  莫言は立ち上がって独り言を言った。「キツネとは本来、こんなものだったのか。これからはもうキツネを神秘的と思うことはなくなるだろう」
 
  キツネの一つの動作が、莫言の多年にわたる考えを変えてしまった。旅行とは、作家に対し、言葉では言い表せない体験をもたらすものだ。

旅は政治経済を超える

 日本を旅行するといつも、中日両国の文化的な近さを発見できると毛丹青は言う。あるとき、温泉旅館でのこと、外は雨が降っていた。風が障子の紙をカサカサと鳴らし、室内の火影がゆらゆらと揺れた。突然、哲学者の李沢厚が、興奮気味に窓を指差して「この音は、中国の古書に描かれた美の境地ではないか」と言った。この一言で、みんなはその夜、ことのほかぐっすりと眠ったのだった。
 
  和歌山の高野山は、日本仏教の聖地である。空海大師が中国の唐朝から帰国した後、ここに寺を建て、経を講じ、法を説いた。線香の煙は1200年以上にわたって絶えることがない。
 
  毎日、寺の僧侶たちは空海大師がかつて住んだ部屋の前に置かれたご飯とおかずを新しいものに取り替える。1200年来、いまだかつて中断したことがない。信徒たちの目からみれば、空海大師は依然、生きているのだ。彼はその部屋の中に生きており、人々の心に生きているのだ。ここに来た中国の旅行者は、中日両国の2000年来、連綿と続き、絶えることがない文化の根源を感じる。
 
  当時の空海大師は1人の遊歴者であり、彼が唐で見たこと、学んだことを日本へ持ち 帰り、中日両国の文化交流を代々伝えた人物である。
 
  毛丹青は言う。「旅行が中日両国の民衆の交流と理解に果した役割は、ある意味では、政治と経済を超えることができる。日本で1人の中国人の旅行者が増えれば、日本を発見する両眼、日本の声を聞く両耳、日本のことを話す口を増やすことができる。もっと多くの中国人が日本を旅行したら、中日両国の理解と交流はもっと深まる」(文中敬称略)(2006年6月号より)


 
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