座談会 新農村建設 「豊かになる」道を模索する農民たち
特集2
多様化する経営方式

各自の資源を活用

広西チワン族自治区は科学技術農業の普及に力を入れている。写真は、西芦葫(ユウガオ)とスイカを「接ぎ木」しているところ

  張 私は北方の農村で育ちましたので、今回雲南でコーヒーやサトウキビ、茶が栽培されているのを、珍しく感じました。

  林 もし1970年代だったら、あのような光景は見られなかった。当時は「食糧を要とする」といって、穀物の生産が主で、農民たちはそれしか栽培していなかった。79年の改革開放からようやく「多角経営」が始まり、様々な経営方式が許されるようになった。

  原 雲南は大部分が山間部なので、穀物の栽培には向かないのでは?

春は茶農にとって最も忙しい時期。多いときで1日に3〜4キロの茶葉を摘む。

  林 その通り。山間部で穀物を栽培すると、土地の利用率は低く、収穫量も高くない。しかも、田畑を開墾するため大量の樹木を伐採するので、森林や環境、水資源、気候など自然を大きく破壊する。

  当時、思茅の農村はかなり貧しかった。農家には生活用品がまるでなく、家の真ん中に穴を掘って囲炉裏を作り、それで煮炊きしたり暖をとったりしていた。寝るときも囲炉裏の側だった。ところが今回、イ族が集まって住む茶樹林という地区に行ったとき、目を見開いてしまった。テレビ、ステレオ、バイク、トラクターなどがすべてそろっているばかりか、メタンガスやソーラーシステムの湯沸かし器が使え、毎日シャワーを浴びることもできるのだから! かつては、夏に近くの川で水浴びするのみだった。中国のほとんどの農村がみなそうだった。

野菜や果物の収穫を体験させる観光は、農民たちが豊かになるための一つの方法となっている。写真はイチゴ摘みをする観光客

  張 茶樹林が属する南島河村は加工業が発達しているため、村民2000人余りはほとんど出稼ぎに行かないそうですね。これにはびっくりしました。私の実家の農村は北京にとても近いので、若者はみな出稼ぎに行きます。

  ――中国の多くの農村、特に中・西部の農村の若者は、ほとんど上海や北京など大都市または広東省などの発達地域へ出稼ぎに行く。専門家によると、農民の出稼ぎ労働者は一億人以上に及ぶ。

  原 北方の農村でも加工業を発展させたらどうですか。

  林 土地によって事情が異なるからね。茶樹林はいろいろな資源に比較的恵まれていて、加工業が発展する条件が整っている。しかし北方の一部の地域は、特色となる農産物がなく、発展も困難なのです。

茶樹林は、古風で質朴な民家とこぎれいな住宅が混在している

  原 今の農村の経営方式は多様化していますね。広西チワン族自治区の紅岩村は、豊かな自然の中に別荘風のきれいな家屋が建っていて、まるで桃源郷の中に入り込んだかのようでした。現地の農民たちは柿を栽培し、干し柿に加工していました。そして美しい自然環境と豊かな民族情緒を利用して、農村観光を発展させていましたね。

  張 私たちが訪れたのはちょうど金曜日だったので、観光客を受け入れる準備をしている家も多かった。観光客の受け入れだけでも毎年かなりの収入になると聞きました。

  林 うらやましいんじゃない?

  張 もちろんですよ! あんなに美しい環境で、家も大きくてきれいで、空気だって澄んでいる。お年寄りたちもみな健康で長生きだと言っていました。帰りたくなかった。「ここに残って農民になろう!」ってみんなで冗談を言っていましたよ(笑い)。


 
茶樹林 農作物加工業で労働力を100%消化

他の農民と同じく、方順生さんの家にもハンドトラクターやステレオなどがある

  雲南省思茅市南屏鎮南島河村の村民小組(グループ)の1つ。イ族が集まっている地区で、64世帯275人が住む。2005年の一人当たりの純収入は2700元。メタンガス設備が60あり、57世帯がソーラーシステムを設置している。
 
  茶やコーヒーなどの栽培が盛ん。茶樹林が属する南島河村はこれらの加工業が発展しているため、村の労働力を100%消化でき、若者は外へ出稼ぎに行く必要がない。逆に、隣の四川省や広西チワン族自治区、それに省内の他の地域から4000人以上が出稼ぎにやってくる。
 
  方順生さん(63歳)の家では、合わせて20ムー(1ムーは6・667アール)の耕地で、茶、コーヒー、稲、竹を栽培している。年収は3万元以上に達し、各種の出費を差し引いて、毎年1万元くらいを貯金できるという。1995年以前は稲作しかやっておらず、一家の年収はたったの300〜400元だった。

紅岩村 環境を活かした農村観光で発展

野菜などの食材を買ってきた朱明成さん。今晩到着する観光客の夕食の支度をする

  広西チワン族自治区恭城ヤオ族自治県に位置し、95世帯390人が住む。柿やミカンの栽培が主で、一人当たりの果樹園面積は2ムー、平均年収は4000元余り。
 
  2003年、青々とした山や川、果樹園など美しい自然環境を活かした農村観光の村として建設することを決定。村人たちは貯金やローンを利用して、別荘風の家屋を新築し、そこを民宿にして観光客の受け入れを始めた。
 
  都市やよその土地からやってきた観光客から、民宿に泊まって農家の食事を食べたり、果物狩りを楽しんだりと、農村の風景や雰囲気にどっぷりとつかり、日常の疲れを癒すことができると人気を博している。
 
  村には43軒の別荘風家屋があり、客室数は合わせて170室、食堂は23軒。1日に700人余りの観光客の受け入れが可能だ。2003年からの観光客数はのべ36万人に達した。
 
  朱明成さんの家ではちょうど、週末を農村で過ごすために広州からやってくる団体(15人)を受け入れる準備をしていた。朱さんの家は4階建てで、上部2階はすべて客室。観光客の受け入れで得る収入は、年間2万元にのぼる。しかし村の中では少ないほうで、多い家庭は5〜6万元稼ぐという。(2006年7月号より)

 

 
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