相互理解は高校生から始まる
特集2
 
日本の高校生は何を感じたか

 中国の高校生が訪日した後をうけて、第一陣の日本の高校生訪中団が2006年12月、北京に到着した。134人の生徒たちで、三重、千葉、茨城の各県からやって来た。中国での10日間の滞在で、日本の高校生たちは何を見、何を感じたのだろうか。

似通った環境で育つ

北京の月壇中学で授業を受ける日本の高校生たち

 北京にある月壇中学(日本の中学と高校に当たる)は、普通の学校が第一外国語に英語を教えているのに対し、日本語を第一外国語として教育している。このため、日本からよくお客さんがやってくる。しかし、12月23日にやってきた日本の訪問団は特別だった。新中国が成立して五十数年来、日本政府が初めて組織した高校生を中心とする大規模な訪問団だったからだ。

月壇中学でいっしょにバスケットに興ずる中日の高校生たち

 茨城県立北高校3年生の佐藤由香さんは中国へ来る前に、大学入学試験を受けたばかりだった。「大学の面接試験で、私はまもなく中国へ行くと試験官に話しました。これを聞いて試験官は、中国には多くの魅力的なところがあると私に教えてくれました」と佐藤さんは言った。「中国は日本の隣国であり、世界の中で非常に重要な国の一つなので、私は以前から中国に行きたいと思っていました」と彼女は言うのだった。

 三重県立神戸高校の角井綾希子さんは、中国へ行きたいわけがあった。この年の夏に、彼女の家庭は「中日高校生交流」に参加した一人の中国の高校生を受け入れた。そのとき、彼女は中国の高校生とまる一日、いっしょにショッピングしたり、雑談したりして過ごした。ほんの短い時間だったが、2人はすっかり友だちになった。その後、日本の高校生を中国に派遣する計画があるのを知った角井さんは、進んで参加を申請した。「ぜひ、中国の真の姿を見たい」と思ったからだ。

中国の高校生は日本の高校生に、京劇の隈取の描き方を教えた

 月壇中学を訪れた日本の高校生たちは、中学校3年生の日本語の授業を聴講した。授業の内容は「ロボットと人類との関係」だった。先生はまずスライドを使って「ドラえもん」と「アイボ」の写真を映し出し、日本語で「みなさん、彼らを知っていますか」と尋ねた。すると生徒たちはどっと笑った。

 続けて先生は「ロボットの普及は人類にどんな影響を及ぼしていますか」と質問した。1人の男子生徒が立ち上がり、日本語でこう答えた。「ロボットの普及によって、私たちの生活は便利になりました。しかし、人と人の間はさらに冷やかなものになるかもしれません」

 この発言を聞いて、教室の後ろに座っていた日本の生徒たちはざわついた。中国では中学生でも、高校生のように物事を深く考える習慣がついていることを知ったからだ。

佐藤由香さん(左)は友だちといっしょに万里の長城に登った

 1人の高校生は「中国に着いたばかりなのに、よく知っているアニメのキャラクターを見ようとは思わなかった。また、日本語ができる生徒がこんなに多いので、交流するのに心配がなくなった」と言った。

 現在、日本のアニメと漫画は、中国の、とりわけ中国の青少年の間に多くのファンがいる。「ドラえもん」「ハローキティー」「コナン」などのアニメキャラクターは、誰でもよく知っている。多くの中国の子どもたちは、最初に日本のアニメや漫画が好きになり、その後で次第に日本に対して興味を持ち始める。

 しかし、アニメや漫画、電子ゲームの流行が青少年に与える悪い影響は、中国でも日本でも、教育界の悩みの種になっている。中国と日本の子どもたちの授業で「ロボットと人類」の問題が取り上げられたことは、両国の子どもたちが似通った環境に置かれていることを物語っていた。

発展する北京、悠久の北京

佐藤知佳さん(手前左)と康セイさん(手前右)はパンダ飼育基地を参観した

 訪問団に参加した日本の高校生たちは、ほとんど、中国に来たのが初めてだった。北京滞在の数日間、古いものとモダンなものとをあわせ持つ北京という都市は、高校生たちに深い印象を残した。

 高校生たちの感想はさまざまだった。生徒の1人は「想像していた中国は、非常に貧しく、道路は自転車でいっぱいだと思っていた。けれども来て見ると、北京は非常に近代的な都市で、高層ビルが立ち並び、道路が非常に広くて、自動車も多いことが分かった」と言った。

 「故宮はとても神秘的で、しかも迫力があり、非常に美しかった」と別の生徒は感想を述べた。「北京の空気はあまりよくないし、ほこりがやや多い」という生徒も多かった。

江心怡さん(右)と今瀬裕香里さんは校内で交流を深めた

 これに対し中国側のガイドさんはこう説明した。「2008年の北京オリンピックを迎えるため、北京はいま、大規模な都市建設をやっているところです。新しい体育館や地下鉄の建設や改造の工事は、猛烈な勢いで進んでいます。工事現場が多いことが、大気汚染の原因の一つになっています。2008年になれば、多くの工事は竣工するので、北京の環境は一新されるでしょう」

 これを聞いてある生徒は「もし北京オリンピックの期間に休みが取れたら、ぜひ北京に試合を見に来たい」と言った。

 有名な八達嶺の万里の長城を登る―それは、たぶん北京滞在中、日本の高校生たちをもっとも興奮させた活動だった。

話し合う康セイさん(右)と佐藤知佳さん

 「見学開始!」というガイドさんの声がまだ終わらないうちに、生徒たちはワーッと叫びながら長城を登り始めた。先頭集団は、茨城県から来た数人の生徒たちだった。彼らの目標は、長城のもっとも高い地点だ。しかし、一つの烽火台に上ると、目の前にもっと高い山の峰が現れ、長城がうねうねと延びている。彼らはゼーゼーと息を切らした。

 近代的な大都会の北京のすぐそばに、悠久の歴史をもつ巨大な万里の長城があることに、高校生たちは改めて驚いた。「万里の長城は、中国でもっとも行きたかった場所なので、いまここに立つことができ、本当に感動しました」と茨城県から来た園部貴也君は嬉しそうだった。

『三国志』の舞台を歩く

 北京での日程を終え、日本の高校生たちはグループに分かれて、中国の西部へ向かった。一組は陝西省の西安、もう一組は四川省の成都だった。

 北京から飛行機で2時間余り。成都の気候は暖かく、湿った空気に包まれていた。寒く、乾燥している北京と比べて、冬の成都は、日本の生徒たちにとって過ごし易かった。見渡すかぎりの緑。黄土地帯やはげ山の多い華北とはまったく異なる風景だった。広い中国は南北で大きな地域差があることを、生徒たちは実感した。

成都で武侯祠を参観する日本の高校生たち

 成都は四川省の省都であり、悠久の歴史と文化を持っている。三国時代(220〜280年)、ここは蜀国の領土だった。今でも諸葛孔明を祀った武侯祠などの歴史遺跡が残っている。人々は『三国志』の物語をよく知っている。唐代の著名な詩人、杜甫も、ここに左遷されたことがある。彼のうたった『茅屋為秋風所破歌』(茅屋 秋風の破る所となる歌)に出てくる草堂も、ここにある。

 しかし、日本の高校生たちは、「成都」や「四川省」と聞いてもピンとこない。どこにあるか、ほとんどの生徒は知らないのだ。だが、『三国志』と聞くと、多くの生徒たちの目が生き生きと輝く。男子生徒の何人かは、劉備や関羽、張飛らの物語を、すらすらと暗唱することもできるのだ。

 麻婆豆腐は、日本でもよく食べられている中華料理の定番である。ある日の昼食に、その麻婆豆腐が出た。「これが本場の麻婆豆腐か」と生徒たちは食べ始めた。

 千葉県から来た伊藤君は、少し食べただけで大汗をかいた。彼は口を大きく開けて、手で口の中に風を送りながら「オー辛い。日本の麻婆豆腐とまったく違うね」と叫んだ。同じ麻婆豆腐でも、中日間でこんなにも違う味であることを、生徒たちは自分の「口」で知ったのである。

評価された礼儀正しさ

成都の特色ある軽食は、日本の高校生たちに人気だった

 成都での重要な活動の一つは、まる一日のホームステイだった。ほとんどの中国の家庭は、外国人の生徒をホームステイで受け入れたことはない。そこで親も子もいっしょになって、受け入れ計画を立てた。

 成都市棕北中学の中学3年生の康セイさんは、2歳年上の日本の千葉県立幕張高校2年生の佐藤知佳さんを受け入れることになった。佐藤さんは開放的な性格で、中国人と友だちになりたいと思っていた。中国語はできないので、康貅さんとは簡単な英語で、なんとか話し合えた。

 しかし、中国語しか話せない康さんの両親と初めて会ったときは、通じる言葉がなかった。そこで佐藤さんは、準備してきた一枚の紙を取り出して、康さんの両親に見せた。その紙には「私は中国語がわかりません。英語もうまくありません。でもあなた方とお友だちになりたいと心から想っています」と日本語で書いてあった。それを中国人のガイドさんに頼んで訳してもらった。

 それを見た康さんの母親の裴娟さんは非常に心を動かされた。「なんて礼儀正しい子なのだろう」と思った。「今日、初めて会ったばかりだけど、自分の家の娘のように感じるわ」と裴さんは優しく言った。

奥地でも売られている日本食

 裴さんは、成都の有名デパートの「百貨大楼」で働いている。これまでに日本人と付き合ったことはない。だから日本人のイメージは、メディアやテレビ、映画などからつくられたものだ。

 「私の印象では、日本人は非常にまじめで、とても勤勉。私は売り場の管理職をしていますが、日本の会社は管理の面でも特徴があるようです」と言い、成都で営業している伊藤洋華堂(イトーヨーカドー)の例を話し始めた。

日本の高校生たちは成都を去るとき、みんな涙をこらえることができなかった

 それによると、成都の伊藤洋華堂の営業成績は非常に良く、管理の面で管理職と一般の社員を平等に扱い、管理職も第一線で仕事して現実の問題を解決するよう求められているという。「この日本特有の管理方式はたぶん、日本人が人や物事に接するやり方なのでしょう」と彼女は分析した。

 裴さんは初めての日本人の佐藤さんに会い、その礼儀正しさを見て、日本人に対するイメージをいっそう膨らませたのだった。

 康さんの一家は、四川の特徴と歴史を深く知ってもらおうと、佐藤さんを成都市の近くにあるパンダの飼育基地や広漢市にある三星堆遺跡博物館に連れて行った。パンダの基地には多くのパンダが飼われており、三星堆遺跡からは、3000年以上前のすばらしい文物が出土している。

 また、話題となった伊藤洋華堂へも行った。日本から遠く離れた中国の奥地にも日本のスーパーがあり、食品カウンターでさまざまな日本食品が売られているのを見て、佐藤さんはびっくり。そして「日本と中国がこんなに深く結びついていたなんて」と感心した。

 ホームステイは中日双方にとって相互理解を深める大きな役割を果たした。しかし、楽しみにしていたホームステイの当日、風邪を引いて行かれなくなった日本の高校生もいた。千葉県立幕張高校2年生の今瀬裕香里さんである。

 受け入れを予定していたのは、やはり成都市棕北中学の中学3年生の江心怡さん。性格が明るく、よくしゃべりよく笑う女の子である。日本の高校生が家に来るのを楽しみにしていたのだが、急に来られなくなり、江さんは本当にがっかりした。「それなら」と彼女は、母親といっしょにホテルへ行き、今瀬さんを見舞うことにした。

 パンダのぬいぐるみのプレゼントを持って現れた江さんに、今瀬さんはびっくりし、そして感激した。「これからは、手紙などで連絡を取り合いましょう」と2人は約束して別れたのだった。


中日高校生交流に参加して                  人とのふれあいの中で
柏陽高等学校 3年 渡辺真理子

 私が今回の中国訪問で一番良かったと思うことは、たくさんの人との出会いだ。学校訪問やホームステイなど普通の個人旅行ではまずできないような内容の濃い体験や人とのふれあいがあった。

 私たち訪中団は、訪問2日目に天津外国語学院付属外国語学校を訪れ、中国の学生と交流をした。到着するとすぐ、「熱烈歓迎」の文字が電光掲示板に映し出され、私たち1人1人に対し、1人ずつ案内の生徒がついてくれた。

 私を案内してくれたのは、王鐸君といい、私と同い年のとても気さくで親切な男の子だった。彼は受験を控え、将来は日本の東京大学の大学院に進学し、通訳になりたいと話してくれた。とても同い年とは思えないほどしっかりした意思を持っていて、自分の未熟さに少し焦りを覚えた。

ホームステイした渡辺真理子さん(中央)と、受け入れ先の基茉含さん(左)

 さらに、彼らは日本語がペラペラだった。普通に私たちが話す日本語を理解し、しっかり応答してくれる。私が王鐸君とこのようにうまくコミュニケーションを取ることができたのも、彼の勉強のお陰だ。

 また、教室での彼らの発表もすばらしいもので、留学について調べ、それに対する考察を流暢な日本語で発表したり、中には趣味が日本語の勉強だと話す生徒がいたりと、中国人の勤勉さを目の当たりにした瞬間だった。

 しかし、ホームステイでは対象的に全く日本語が通じなかった。私の滞在先の基茉含という女の子は、まだ日本語を習ったばかりらしく、少しの単語なら分かるものの、会話をするのはとても難しかった。

 私はハンドブックで覚えたばかりの中国語や、身振り手振り、筆談、絵などのあらゆる伝達手段を使って彼女と意思の疎通を図った。最初はどうなることかと思って心配していたが、自分の伝えたいことを相手に分かってもらえるよう一生懸命努力することで、言葉は通じなくても気持ちを伝えることができた。

 このような経験は生まれて初めてだったが、言葉がほとんど通じない相手と意思疎通ができた瞬間、この言語を介さないコミュニケーションが今までにないような不思議な感覚で、新鮮な楽しさを感じた。

 この二人との出会いから私が思ったことは、異文化を理解する時には、まず、相手のことを理解し、伝えようとする姿勢、分かってもらえるように努力する姿勢が大事ということだ。しかしそれだけではなく、相手の国の言葉や文化を知っていれば案内してくれた男の子のように、国籍が違っても対等に話ができ、より交流を深めることができるのだ。私はもっと中国語や中国のことについて勉強してから、ぜひもう一度訪れてみたいと思った。

 短期間ではあったが、私にとってこの体験は人生の糧となる大きなものになった。この経験を生かして、将来、日中友好の一翼を担えたらと思う。
(2007年4月号より)




 
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