【画家たちの20 世紀(19)】


飽くなきリアリズムの追求 陳丹青(1953〜)

                       魯忠民


『牧羊人』
75×50センチ
油彩 1980年
個人所蔵(北京)

 「文化大革命」(1966〜76年)後、中国の芸術家たちは、「本当の現実主義とは何か」について、改めて考えをめぐらせた。そして80年、画家・陳丹青の『チベット組絵』がセンセーションを引き起こした。当時の彼は、まだ中央美術学院の大学院生で、同組絵は、卒業創作のためにチベットで半年間暮らしたあとで描いたものだった。組絵は、『母と子』『街に行く』『街に行く―二』『康巴の男』『巡礼者』『牧羊人』『洗髪女』の七幅の作品からなる。

 事実上、陳丹青の描く作品はすべて、見慣れてしまえばまったく珍しくはないチベット族の日常生活である。例えば、一組の夫婦が乳飲み子を背負って街に出掛ける様子、豪放なチベット族の男性の一群、敬虔なラマ教の信者が聖地に向かって五体投地する情景、チベット族の愛情が直接的に表現されている作品などである。

 彼の作品を改めて鑑賞すると、その高い油絵の技巧を除き、テーマ設定には、何も感動させられない。しかし、当時の歴史を鑑みると、やはり、作品はすべての知識人の考えを代表し、一つの時代を表現したものだと言える。

 1953年、上海に生まれた陳丹青は、絵を描くのが好きな子どもだった。小学校卒業の頃はちょうど「文化大革命」に当たり、中学の美術教師の指導で、あちこちで毛沢東などの国家指導者を描き、その中で油絵を学んでいった。のちに思想改造のために江西省の農村の生産隊に下放され、ポスター、連続絵物語、挿絵、広告画のほか、農村の家具や地方政府経営の企業が製造していた骨箱に各種イラストを描いた。

 彼はのちにこう語っている。1974年、はじめて北京で全国美術展覧会を観賞した時には、後年ニューヨークやローマに行ったとき以上に感動した、と。

 彼は、のちに結婚した黄素寧の推薦で、一時期、チベットに赴任していた。その際に『豊作の田畑での涙』『チベット進軍』などの作品を創作し、美術界の注目を集めた。1978年、優秀な成績で中央美術学院の大学院に入学、文革後はじめての同校の大学院生の一人となった。82年には米国に渡り、改革・開放後、もっとも早く海外に出た画家の一人となった。

 米国では、彼の一貫した現実主義的思考のために、すぐに壁にぶつかった。西洋芸術は当時、とうにポスト・モダンの時代に入っていて、彼は長く、「文化の時差」の中で、居眠りをしたり、驚いて飛び起きるという状況の中をさまよった。一方で、チベットにいた当時の手法はニューヨークでは使えなかった。しかも、商業主義の道を歩みたくはなく、同時に、ポスト・モダンの潮流に流されたくもなかったため、常に自分の精神世界にこもり続けた。

 外国での18年の生活では、日曜日と旅行中を除けば、毎日のように絵を描き、彼自身の言葉を引用すれば、「忙しいが静かで、愚かだが楽しい」暮らしをした。2000年、中国に戻り、清華大学美術学院の教授、博士課程の教授、陳丹青画室の責任者として招かれた。

 1982〜99年に彼が開催した油絵回顧展では、作品を通して、自分の心理的変化の過程を示した。かつて中国の新潮流の代表だった画家であり思想家である彼は、今では集団に所属する個人を超越し、観念も中国的生活とは大きくかけ離れている。しかし、それでも人々は彼に注目している。それは彼が、一貫して芸術の道を盲目的に追求するのではない、思想家であり探索者だからだ。(2002年7月号より)