【上海スクランブル】

注目の女性作家 潘向黎さん
                                    須藤みか
                 
潘向黎さん

 上海では最近、若手女性作家の活躍が目覚ましい。日本でも、衛慧の『上海ベイビー』が翻訳出版され、版を重ねている。彼女のような、1960年代後半から70年代生まれの女性作家たちを近ごろ、「美女作家」と呼ぶ。ウェブの文壇サイトには美女作家の項目があって、若い女性であればほとんど皆、そこに分類されている。 

 「作家が美人かどうかは、作品とは関係ないはず。作品自体で評価してほしいわ」とはっきり口にする作家もいて、当の美女作家のなかには、ひとくくりにそう呼ばれることに抵抗を感じる人もいるようだ。

 『十年杯』など十数冊の著作があり、中国作家協会会員の潘向黎さんも、世代から見て美女作家と呼ばれる一人。

 彼女は、美女作家と分類されることをやんわりと否定しながらも、「美女作家という呼び方が生まれたのも、女性の作家が増えたからでしょう。女性の社会的地位が高まり、社会の束縛から放たれて自由に発言できるようになったからこそ」と、若手女性作家の台頭を歓迎する。

留学経験生かし日本舞台にした作品も

 向黎さんは、都市の若者の恋愛や心情を細やかに描く若手として文壇から注目を集めている。1999年には「上海十佳文化新人」称号を受けた。流麗な文章には定評があり、文学・女性雑誌や新聞などのインタビューにもたびたび登場する人気作家だ。東京外国語大学に2年間留学した経験もあり、日本を舞台にした作品もある。

 「読者のなかには、日本男性と恋する中国女性の主人公を私本人だと勘違いする人もいますね」と苦笑する。

 ストレートの黒髪とたおやかな所作。めまぐるしく変化する上海のなかで、彼女のまわりだけは穏やかな時間が流れているようだ。しかし社会の変化や雑音には左右されない芯の強さも感じる。雑誌や新聞のインタビュアーたちは、「澄みきった緑茶のような人」と評している。

 「私、自分では普通の人でありたいと思っているんですけど、普通じゃないみたい(笑)。留学して帰国すると、周囲の人に日本でいくらお金がたまったかと聞かれるので、そのたびに『全部使っちゃったわ』と言うのですが、信じてもらえなくて」

 彼女の留学生活は大学で講義を受け、図書館で勉強し、そしてアルバイト。時間があれば、博物館に行ったり、旅行へ出かけた。アルバイトで稼いだお金は、二度と来られないかもしれない日本を知るために惜しみなく使った。貯金なんて発想はかけらもなかったようだ。多くの人が成功を夢見てひた走る上海で、緑茶と評される所以はこのへんにもあるのかも知れない。

 

『十年杯』など10数冊の著作がある
 

 復旦大学中文系大学教授で評論家の父と、図書館司書の母という文学を愛する家庭に生まれた。十歳で『紅楼夢』を読破したほどの、早熟で本が大好きな少女だった。上海大学中文系在学中に執筆をスタート、上海社会科学院で修士号をとると、雑誌『上海文学』の編集者に。留学後は、『文匯報』に所属しながら、執筆活動を続けている。良き理解者である夫は雑誌編集者で、妹は書籍の装丁者。なるべくして作家になった人と言ってもいいかも知れない。

 現在、書店には人々の多様な価値観を反映して、さまざまなジャンルの書籍が並ぶようになったが、一方で手軽なハウツーものや翻訳ものがベストセラーに名を連ねる傾向もある。丹念に作られた国内の良書や純文学は売れにくくなっており、作家にとってはつらい時代でもある。

 しかし、もとより改革開放政策のもと、自由な空気を当然のものとして育ってきた若手女性作家たちは、海外も視野に入れている。潘さんも大陸だけに限らず、台湾や香港の媒体でも精力的にペンをふるう。彼女の紡いだ物語を日本の読者が目にする日も遠くないかも知れない。
2020年の上海を見よう

 日々刻々と変化する上海、今後どんな姿を見せてくれるのだろうか。2020年の上海を知りたければ、上海市政府ビルの横に立つ「上海都市計画展示館」に行くといい。

 同館のメインテーマは、「都市、人、環境、発展」。圧巻は、3階にある600平方メートルの大型模型だ。環状線内にある6階以上の建物はすべて網羅しており、これを見れば18年後の上海が一目で分かる。

 「東方明珠タワーがあそこに見えて、南京路が走っているから、○○ホテルはあそこにあるはず」

 「あった、あった。じゃ、私の家はどこかしら」

 子供でなくとも、見ていて楽しくなる。あちこちから、自分の家を探す声が聞こえてくる。

 そのほか館内には、中2階で中国第一のショッピング街と称される南京路の今昔をジオラマで見せるなど、さまざまな側面から上海の過去・現在・未来を知ることができる。(2002年4月号より)

[筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生