【清風茶話 (3)】


竜之介と「草決明」

                        日本在住中国人作家 キン飛


  《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。

 日本では、サクラが開花する旧暦3月(新暦では4月頃)は「サクラの月」と呼ばれる。しかし、この季節に私が最初に思い浮かべるのは、サクラではなく、大作家・芥川竜之介である。今年は、1892年3月1日生まれの彼の生誕110周年に当たる。

 私は、まだ日本について全く知らなかった16、7年前、初めて芥川の作品に触れた。当時北京では、毎年一回、古本市が開かれていて、私は大量の古雑誌を買い集めたが、その中に、中国の作家・夏丐尊が1920年代末に翻訳した芥川の『支那遊記』があった。手に入れたのは、わずか十数編だけだったが、大きな感銘を受けた。

 本心を言うと、私は、フレミンク・H・レベル社の『チャイニーズ・キャラクタリスティックス』のような書籍には反感を覚える。なぜなら、傲慢な欧米人が、実験用動物のように中国と中国人を観察している文体が鼻持ちならないからだ。一方、芥川の文章は、深い中国文化の理解、寛大で思いやりある心が出発点になっている。私は、彼の表現の中に、近現代の中国を観察する独特の視点を発見した。

日本茶を味わう天津・大悲禅院の方丈宝カン法師(写真・呂東)

 そして時は流れ、私は芥川の国に移住した。まず最初に、日本人である妻の助けのもと、芥川の散文を読み、あまりにも早く世を去ってしまった先輩作家をあらためて悼んだ。彼は、1927年7月14日にこの世を去った。今年は逝去75周年でもある。

 サクラをめでる季節になると、芥川への思いがよみがえる。本当にサクラのように駆け抜けてしまった文人だった、と。

 彼は、竜年、竜月、竜日、竜時に生まれた(中国の干支では「辰」は「竜」に当たる。「竜」は中国の象徴でもある――訳者注)。私は、芥川にぴったりの八文字を思いついた。「桜才桜命桜文桜情」(芥川には日本の象徴である桜に負けない才能、魅力があるの意。対句表現――訳者注)。「竜」や「桜」一文字では、芥川の魅力は表現しきれない。

 ここに、芥川の生誕110周年を記念して、彼の漢詩を紹介したい。

 鼎茶銷午夢、薄酒喚春愁。
 杳渺孤山路、風花似旧不?

大意:お茶は昼のうたた寝の夢を消し、粗酒は春の愁いを呼び起こす。果てしなく続く寂しい山道がぼんやりとかすんで見える、いまの日々はあの頃のようにすばらしいと言えるだろうか。

 この漢詩を読むと、芥川が心に抱いていたであろう、どうしようもない孤独や寂しさを感じる。詩は、詳しく解説すべきではない。しかし、彼が言いたかったのは、お茶を楽しむ情景のことだったのだろう。芥川は、中国の昔の文人のように、自分でお茶を煎じることはなかったが、その情趣を表現したかったにちがいない。喫茶については彼自身、『支那遊記』にこう書いている。

 茶は随分飲む。机の{そば}側の火鉢に始終鉄瓶をかけて置くが、この鉄瓶の湯を日に三度はからにする。それほど茶好きだ。茶は煎茶を用ゐてゐる。珈琲紅茶折々飲む。然し、夜は眠れぬことを恐れて、紅茶は決して飲まない。


 芥川は自分では茶を入れないが、正真正銘の茶客でありうれしく思う。彼は、1921年3月から8月、中国に足を運んでいるが、これは彼の生涯でただ一度の海外旅行だった。中国では茶館でしばしば友と会し、飲んだ中国茶も少なくなかっただろう。『支那遊記』では、江蘇省揚州に住んでいた日本人の友人宅で飲んだ「草決明茶」についても触れている。

 私は手紙を書きかけた儘、「やあ」と高洲氏に御時儀をした。高洲氏は其時私の前へ、一椀の草決明を勧めたからである。(中略)――私は窓の硝子の外に、さう云う庭先を眺めながら、書きかけた手紙はそつちのけに、ゆつくり熱い草決明を啜つた。

 「これさへ飲んでゐれば無病長寿さ。僕は珈琲も紅茶も飲まない。朝夕こればかり飲んでゐる」

 高洲氏はやはり茶椀を前に、草決明の効能を吹聴した。按ずるに草決明と称するのは、はぶ草の実を煎じたものである。これは牛乳や砂糖を入れると、飲料としても悪いものぢやない。

 「つまり何首烏の類ですか?」
 島津氏は一口飲んでから、口髭についてゐる滴を拭つた。
 「何首烏は君、婬薬さ。草決明はあんな物ぢやない」

菊花茶

 「草決明」は漢方薬で、「決明子」とも呼ばれる。目と通便に効く。しかし苦くて塩辛く、美味とはいえない。中国では、漢方薬を煎じて水に溶かし、お茶に代えて飲用する習慣がある。また場合によっては、数種類の漢方薬とお茶を混ぜ合わせる。このような飲料は、通称で「薬茶」と呼ばれている。

 「草決明」を主成分にした「薬茶」には、「決明飲」「決明菊花茶」「決明ショウ蓉茶」などがある。

 「決明飲」は、「草決明」「石決明」、菊花などの数種類の成分が入った液体漢方薬で、めまいや睡眠障害などに効果がある。「決明菊花茶」は、お湯を「草決明」と野菊に注いだもので、お茶の代わりとして飲まれ、鎮静と血圧抑制の効果がある。「決明ショウ蓉茶」は、便秘に効く。

 きっと、おいしくないからだろう。現在、「草決明」を飲用する人は非常に少ない。一方で、「菊花茶」と「金銀花茶」は、一般的な飲み物だ。菊花は、風邪を予防し、のどに良く、消化を促進するなど、たくさんの効能がある。金銀花には、解毒と夏ばて防止効果がある。

 菊花は、プーアル茶と混ぜて飲むことが多く、そのお茶は「菊普」と呼ばれている。中国南方で菊花茶を注文すると、しばしば「菊花茶」ですか、それとも「菊普茶」ですか、と質問される。茶葉の入っていないものが「菊花茶」だ。

 お茶の中国での位置づけは、ずっと飲料と漢方薬の中間だった。中国人は、喫茶を始めたばかりのころ、お茶の薬効を強調、誇張していた。もっともよく言われたのは、長寿の薬という説だ。道教や仏教でも、お茶にある長寿の効能が信じられていて、積極的な社会宣伝も行っている。

 面識のあるお坊さんにもお茶好きは多い。毎日緑茶をたしなんでいた北京の広化寺の方丈修明法師は、享年93歳だった。天津の大悲禅院の80歳を過ぎた方丈宝カン法師は、いまでも精力があふれている。

 ここで、また芥川に触れないわけにはいかない。私は、もしお茶に長寿の効能があるのなら、お茶好きの芥川は、もっと長生きすべきだった。どうしてそそくさと浮世を去ってしまったのだろうか。芥川の誕生日には、書斎にある『芥川竜之介全集』の前に中国茶を供え、彼に味わってもらおうと思う。

 私には二つの願いがあるが、どちらも私の力では達成しそうにない。一つは、芥川の『支那遊記』の完全中国語訳版が発行されること。もう一つは、中国人作家が、芥川の『支那遊記』のような『日本遊記』を書き上げることだ。これらの願いが叶う日を見届けるために、私は毎日お茶をいただきながら長生きしたいと思う。もちろん、「草決明」のような「薬茶」も例外ではない。もし、茶神が存在するなら、私はこう祈りたい。

 「どうか時間をください。どうか待たせてください」(2002年3月号より)