【清風茶話 (5)】


「春茶」の味わいと思い出

                        日本在住中国人作家 キン飛


  《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。

 2月初めから3月初めの1カ月、私は北京、天津、南京、上海を訪れた。どうしたことか、旧正月前後の北京と天津は、大げさに言えば、まるで初夏のような陽気だった。3月初めの南京では、ぐずついた日が続き、ようやく肌寒さを感じた。

 南京に着いた日、ちょうど梅祭りが開幕した。私は友人と連れ立って「梅見」に出掛け、ふと「梅の花が春を告げる」という故事を思い起こした。北はもう初夏で、南では梅で春を感じるなんて、南北が入れ替わってしまったようでおかしい。

 時は南北朝時代、江南地方の文士・陸凱が、長安にいた友達の范曄に一枝の梅を贈り、こんな詩を添えた。

  江南無所有、聊贈一枝春

 「江南には何もないから、春でも贈ろう」といった意味だ。私は北で冬服を脱ぎ捨て、江南の梅を楽しんだ。北にまず春が来たことは、世間だけでなく、人も気候も変化したということだろう。

人気の中国茶館にて(写真・波多野竜)

 宋代の張 は、『梅品』という本の中に、梅を思い浮かべる26の情景を列挙している。それらは、淡い雲、朝日、小雨、細い煙、美しい月、夕陽、みぞれ、夕焼け、珍しい鳥、渓流、小橋、竹林、松の下、明るい窓辺、垣根、緑の苔、青銅製の花瓶、膝の上の琴、石の碁盤で碁を打つ様子、雪かきと茶を入れる様子、かんざしをさした美人の薄化粧など。

 すでに現代人が気にしないものも多くなったが、小雨と肌寒さに震えていた私は、古風で上品な興趣を味わいたい気持ちを抑えきれず、地元の雨花茶を一缶手に入れて、ホテルでゆっくり味わうことにした。

 雨花茶は1986年、全国規模の緑茶品評会で、31の名茶の一つに選ばれた。もともと、柔らかい茶葉で知られ、お湯を注いだ後の茶葉と茶湯の色がとてもきれいな緑茶だ。

 残念なのは、今回の滞在で、雨花茶のすばらしさを味わいきれなかったことだ。私が手に入れたのが、中級以下の茶葉で、しかも昨年のものだったこと。それに、ホテルにお茶を味わう環境が整っていなかったことが原因だった。

 ちょっとした愚痴をお許しいただきたい。私は、旅の途上でお茶を楽しむ難しさをますます感じるようになった。喫茶大国の中国で、なぜホテルでは、お世辞にも高品質とは言えない袋詰めの茶葉しか扱っていないのだろうか。

 私は、たとえ旅行中でも、間に合わせをしたくない人間なので、なるべく茶葉を持って出掛けることにしている。しかし、それでも水質の問題にぶつかってしまう。各地で水質は違う。まあ、これは我慢するにしても、最近のホテルの部屋には、電気ポットが置かれていることが多く、そのポットの中に入れて使う加熱器が、臭いを発してしまう。これでは、お茶に味が移ってしまうから、以前の魔法瓶式ポットの方がうれしかったくらいだ。ホテル業界の方々には、喫茶愛好者の便宜をはかってほしい。

 もちろん、私が江南を訪れた時期もよかったとは言えない。もし一カ月遅ければ、今年の新茶を味わえたのだから。茶葉は、摘み取りの時期で、「春茶」「夏茶」「秋茶」に分けられる。清明節(新暦の4月上旬)前、遅くても穀雨節(新暦の4月20日頃)前に摘み取ったものを春茶と呼び、6月から7月のものを夏茶、七月中旬以降に摘み取ったものを秋茶と呼んでいる。

 味なら春茶がぴかいちで、秋茶が続き、夏茶は取るに足らない。茶葉をお湯に浸したあと、一番早く沈むのが春茶で、香りが良く、色が明るく、口当たりが良いという特徴がある。

 摘んだばかりの春茶をいただけるのは、幸せなことである。私の恩師の一人は、北京に暮らした江南人で、彼のふるさとはお茶作りが盛んなため、春茶摘みがはじまると、彼のもとにも茶葉が届けられていた。そして先生は、受け取った茶葉を小さな竹筒に入れて、友人や私たち学生にお裾分けしてくれた。私たちが飲み終わるころ、先生は竹筒を回収して、翌年も使うようにしていた。

 このお茶は、それほど有名ではなく、ひいては名もないものだったが、それでも春茶のさわやかさ、先生の思いやりを感じ、殊のほか珍重したものだった。

天津にある双泉名茶園の韓国慶総経理と談笑する(写真・波多野竜)

 このお茶が届く頃になると、私も必ず家で茶会を開いて、仲の良い友達と一緒に味わった。数年前に東京に移り住み、しばらくして先生も亡くなられてしまった。しかし、春先に春茶を賞味するのは私の習慣になっていて、買ってくるたびに、先生を思い出して人生の寂しさを感じてしまう。

 こう考えると、摘んだばかりの新茶は、新鮮な野菜をその場で食べるかのようだ。本来、茶葉には加工が必要だが、茶摘みと加工の工程は知らない人が多い。もし単なる消費者ならそれで構わないが、お茶の愛好者となると、どうしても知っておきたいものである。

 個人的には、茶摘みと製茶、それに養蚕と糸つむぎは、江南地方の根気のいる二大産業だと考えている。大げさな言い方をすれば、その精緻さ、その過程そのものに高い芸術性が備わっていると思う。その上、茶業と養蚕は、江南の人々の性格にも影響を与えている。

 ちょっとわき道にそれてしまった。さて、誰でも知っている竜井茶を例にすると、西湖竜井と浙江竜井に分けられ、後者は前者の産地を広げたものに過ぎない。西湖竜井の中でも、獅峰、梅塢、竜井の三地方のものが正統である。その理由は、お茶作りには、産地の自然条件の影響が大きいからだ。しかし、竜井茶が好まれる理由には、生産者の努力に負うところも大きい。竜井茶は、品質を保つために清明節前の数日に芽生えた新芽しか摘まず、しかも雨の時、露の時、昼時の「摘まない時間帯」まである。このように摘まれた数万の新芽は、わずか一キロの竜井茶にしかならない。

 摘まれた茶葉は、殺青、すなわち、水分を取り除き、発酵を防ぎ、新鮮さを保つための加工がほどこされる。殺青法には、蒸しと釜炒りがある。日本茶では蒸し、現在の中国緑茶では釜炒りが多く用いられているが、どちらにも長い歴史がある。

 竜井茶では、釜炒りの殺青法を用いる。釜炒り後には、揉捻(もみ)という工程で、茶葉を平らに延ばし、最後に乾燥させる。

 加工が終わると、ようやく茶葉の等級を確定でき、特級、一級から六級を分別する。竜井茶はまさに、自然環境と加工技術の結合が生んだ絶品と言え、私たちが味わう際には、茶農家の労作だということを忘れるわけにはいかない。このように、精緻な心と手の込んだ労働で自然からの恵みを大切にする茶作りは、あたかもある種の哲学的意味を含んでいるかのようだ。そう思うと、ゆっくり味わうべきだという思いをさらに強くする。(2002年5月号より)