竹林に生きる紙すきの里
                                       写真 文・魯忠民
 

四川省の農村で
の紙すき風景。

 製紙は、古代中国の四大発明の一つとして知られる。紙すき職人たちは、よく槽缸(紙すきぶね)を使って紙をすいたことから、俗に「槽戸」と呼ばれた。

 四川省の製紙の里・夾江県石窖村では、そうした職人たちの家の母屋に必ず「蔡倫先師」と書かれた護符が供えられている。昔は、中国の蔡倫という人物が後漢の元興元年(105年)に紙を発明したと考えられていたため、蔡倫が「紙の神様」として崇められているのだ。毎年陰暦の8月になると、今も各地方で、蔡倫をまつる「蔡侯会」が開かれている。

 しかしこの数十年来、考古学者らにより、後漢をさらにさかのぼる前漢の時代に作られた紙が陝西、甘粛両省や新疆ウイグル自治区などで数多く発見されている。その後、さらに研究が進められ、こんにちでは中国で製紙技術が発明されたのは紀元前2世紀、つまり今から2000年以上前だと考えられている。

 伝統的な製紙法は、この千百年来ほとんど変わることがなかった。近代になり、西洋の工業化された製紙技術が中国に伝えられてから、次第に古い技術がその舞台から姿を消したのである。伝統的な手すき技術は現在、農村などでわずかに残っているだけだ。そこでは、厚手のざらざらした「草紙」(包装紙などに使われるわら製の紙)や、書画家たちが使う「宣紙」などが生産されている。

 夾江県は、製紙の里として知られる。1980年代には、古い製紙工房が3000以上あり、職人たちは4000人あまりもいたという。工房は、そのほとんどが川の流れる山辺に建てられている。竹を取っては紙作りの材料とするため、周囲は広い竹林であることが多い。各家には小さな工房があり、そこには竹を浸す水溜場や竹を煮る鍋、紙すき場などが配されている。

 ここでは、昔のままの素朴な製紙法が守られている。毎年春になると、職人たちはその年の若竹を切り落とし、2尺(約67センチ)の長さに切りそろえ、たち割ってから打ち砕く。石灰を入れた水溜場にそれを浸し、数十日後に取り出せば、木棒でたたいて樹皮や不純物を取り除く。その後、竹の繊維に石灰液を二度塗り、木製の大きなおけを使って、6、7日間蒸し煮にする。蒸した後は、のり状になった「紙花」(繊維のかたまり)をさらにつぶし、槽缸に入れてかき混ぜると、乳白色のパルプとなる。

 次は72段階からなる製紙工程のなかで、最も重要な紙すきの作業だ。槽缸のなかからパルプを簀の子の上にすくい上げ、そっと揺すりながら紙をすき、水を切ったら簀の子を逆さまにしてテーブルの上に置くのである。

 最後に、紙の一枚一枚を竹ざおに掛けたり、壁に貼ったりして自然に乾かす。こうして、昔のままの風合いを残す、手すきの紙ができあがるのである。(2002年4月号より)