汽車と火車

  18世紀、西欧で蒸気機関が発明され、それを動力として蒸気機関車が発明された。のちに、ほとんど同時に中国と日本に伝わった。

  1872年、日本はまず新橋―横浜間に鉄道を敷設した。4年後の1876年には、中国にも上海―呉淞間に鉄道が敷設された。

  蒸気機関車は大きな音を立てて、黒煙と蒸気をはきながらレールの上を走る。それまで馬車と牛車しか知らなかった中国人や日本人にとっては、新鮮そのものであった。日本人は、科学というものを少し学んでいて、それが蒸気で働くものだと知っていたせいか、「汽車」と呼んだ。ところが、中国人は、火を燃やして煙をはいているというので、「火車」と呼んだ。

  その後、自動車も両国に伝わったが、日本人はそれを「自動車」と呼んだのに対して、中国人を「汽車」と呼んだ。それでいささか面倒なことになった。「汽車」の両字を見ると、中国人は自動車を、日本人は煙をはく汽車を思い浮かべる。




 
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