チェーンストア展開はかるイトーヨーカ堂
 「華堂商場」北京二号店がオープン

                李要武 張春侠

亜運村店の成功をめざす麦倉弘・総経理(写真・馮進)

 昨年12月12日、「華堂商場・亜運村店」が、小売業の注目を集める北京市の北部、亜運村(アジア選手村)の商業地区にオープンした。これは、中国でチェーンストア展開をはかる華糖洋華堂商業有限公司〔(株)イトーヨーカ堂と中国側企業による合弁企業〕の北京二号店となる大型の総合スーパーマーケットだ。売り場面積約21000平方メートルで、同地区の小売店では最大の広さをほこる。中国のWTO(世界貿易機関)加盟直後にオープンを果たした華堂商場は、中国における外資系小売業の「新潮流」を示した。

         小売業の激しい戦い

亜運村店のオープニン
グセレモニーには、多
くの人たちが集まった
(写真・楊振生)

 外資系小売業の中国進出は、初めてのことではない。中国の小売業は、1992年には条件付きで対外開放をスタート。その後、中国側企業が日本のヤオハンと合弁した「賽特」、シンガポールの企業と合弁した「百盛」が相次いで北京にお目見えし、中国の小売業に一大旋風を巻き起こした。

 95年には、世界的規模の大手小売業・アメリカのウォルマートと、フランスのカルフールがほぼ同時に中国進出を果たした。アメリカとヨーロッパでそれぞれ四十年の実績をほこる現代的なスーパーマーケットのモデルを、中国の業界に示したのである。続いて、ドイツのメトロやオランダのマクロ、アメリカのプライスマートも前後して進出し、中国の小売業にかつてない繁栄をもたらした。

日本のように行き届いたサービスが魅力の亜運村店(写真・楊振生)

 WTO加盟にともない、中国政府の対外政策が緩和されたことを受けて、世界の大手小売業は、中国市場をめぐる激しい競争を繰り広げている。ウォルマートの最高経営責任者(CEO)であるリースコット氏は中国を訪問した時、中国首脳や国家経済貿易委員会、各地方政府の幹部と接し、「今後一、二年間に八店舗をオープンする」ことを公表した。それは、同社のこの5年間の店舗開設総数に相当する。また、世界三大スーパーマーケットの一つであるメトロも、同様に動きはじめている。

 この二社に比べれば、カルフールの存在は最も目立つものとなっており、中国全土にすでに28店舗を構えている。「整頓・改造措置」により、国家経済貿易委員会の営業許可を受けた同社では、首席執行官のバーナード氏が「今後、年に十店舗ずつ中国に増やしていきたい」と発表している。

子ども服やおも
ちゃなどが所狭
しと並ぶ子ども
用品売り場(写
真・楊振生)

 ほかに、フランスの業界第三位のオーシャン・グループ、イギリスの業界トップのテスコ、建材の小売業界ではヨーロッパ最大のイギリスB&Qなども続々と北京を訪れ、立地条件などを調べている。進出への意向もあるという。統計によれば、昨年末までに外資系企業が申請し、許認可を受けた大型小売店の建設目標は、32店舗にのぼっている。

 こうした世界的規模の大手に比べると、イトーヨーカ堂の中国進出は早いとは言えなかった。97年11月、四川省成都市に、同市の強い要請で「成都伊藤洋華堂(イトーヨーカ堂)」をオープン、好業績を上げたのに続いて、98年4月には北京市東部の十里堡に「華堂商場」北京一号店を開いた。同店は、東部地区の商業の中心として発展している。

 しかし、北京ではまだ二店舗のイトーヨーカ堂に比べると、「家楽福」は北京ですでに四店舗、プライスマートは五店舗に達している。これについて、華糖洋華堂商業有限公司の麦倉弘・総経理は次のように語る。

 「華堂には、中国に徐々に慣れていくプロセスが必要だった。何度かの調整をへて、ようやく私たちに適した発展パターンが見つかった。亜運村店はそのスタートだと言え、今後は店舗をもっと増やせると思う」

 その言葉のとおり、チェーン展開をはかる同公司は現在、北京・西直門店の契約にすでに調印したほか、第四、第五の店舗についても立地調査を進めているという。華堂商場の法人株主の一つ、伊藤忠商事の丹羽宇一郎社長は、「華堂商場は今後、中国全土で10から15店舗の設置をめざし、チェーン展開をはかりたい」と意欲を述べる。

 各国の激しい進出に対し、中国の小売業は統合・合併・提携などの手段でこれに対抗したい構えだ。昨年12月18日、北京の大型スーパー「北京天客隆」は、スーパー「超市発」と提携することを発表した。中国の小売業界が、いよいよ過渡期にさしかかったのである。

         個性的な亜運村店

 華堂商場・亜運村店は、亜運村の商業地区に位置する。周囲五キロ内には、北辰ショッピングセンター、物美大売場など五つの大型スーパーがあり、熾烈な戦いを繰り広げている。

 これほどまでの「激戦区」を選んだ理由について麦倉総経理は、「競争は激しければ激しいほど、チャンスも増えるからだ」という。市の中心部から離れた十里堡店でも、激戦区の亜運村店でもそうだが、「特色を持ち続け、近隣の住民たちのニーズに応えれば、本当の勝者となることができる」と麦倉総経理は強調する。

 新店舗は、GMS(大型総合スーパー)という形態をとっている。約21000平方メートルの広さをほこる売り場には、流行のファッションやアクセサリー、新しい暮らしを提案する家具や家庭用品、新鮮で衛生的な食品などがとりそろえられている。

ファッションフロアには一流のブランド品がそろう(写真・楊振生)

 イトーヨーカ堂は現在、日本に180店あまりのチェーンストアを抱える業界大手だ。近隣の住民たちのニーズに応えた個性的なショッピングストアが、その成功の秘訣である。日本のイトーヨーカ堂では、新店舗のオープン時に合わせて、一年前から店長がその地区に住み込み、住民たちの生活レベルやニーズ、住環境や文化環境などを調べている。

 亜運村の華堂商場でも、従来の方法がとられた。住民たちの衣食住や交通状況について四回もの調査を行ったところ、次のような結果が表れた。

 @亜運村の一人あたりの消費水準は、一カ月1700元(1元は約15円)。北京市民の平均1200元を大幅に超えている。

 A住民の80%が85年以降に転入。亜運村は、新しい購買層を持つ消費地区である。

 B大型企業や大学、高等専門学校、高級マンション、体育館、競技場などが集中しているため、サラリーマンや大学生、外国人が多く居住する。周辺人口は2万5000人を超える、など。

 こうした結果にもとづき北京二号店では、新しいライフスタイルを求める高収入・高学歴で、子どもの教育に熱心な30〜40代の住民を主なターゲットにするとともに、外国人や「中産階級」以下の住民にも配慮した店づくりを行った。

ショッピングをする間、子どもたちは娯楽室で遊ぶことができる(写真・楊振生)

 ビジネス街や大学・学院街を持つ消費者たちのニーズに伴い、二号店ではファッションのフロアにとくに力を入れた。最新の生活情報を提供し、現代的なライフスタイルを提案した。また、「東京と並んで歩く」を理念とし、時代や流行、上品さに重きをおいた。北京で最初のファッションブランドを多数仕入れたのをはじめ、オリジナルブランド「IY BASICS」(アイワイベーシックス)などのカジュアルウエアを打ち出した。

 ファッションフロアの売場面積は一万平方メートルあまりで、総売場面積の二分の一を占める。ここでは、カラーコーディネートやファッションのアドバイスを行うなど、実用的なサービスを提供した。また、東京の流行ファッションに並ぶため、日本のイトーヨーカ堂が持つ巨大な国際情報網と、世界各国にある仕入れルートを生かして、現代的なブランドを開発した。そうすることで周辺住民たちは、海外へ行く必要なく世界の流行に歩調を合わせることができるのである。

 リサーチにより、昨年末までに新たに一万人前後が亜運村に転入し、今年上半期にはまた一万人以上が転入すると予想されている。これにもとづき、さまざまな比較検討を行った結果、ディスプレーによるライフスタイル提案コーナーを新たに設けた。売り場を「ミニ生活ステージ」として、見本のバスルームや化粧室を設けたり、マイホームのインテリアコーディネートを提案したりして、消費者たちを引きつけた。同店の責任者は、「家具や家庭用品の価格をおさえれば、より購買力が高まるだろう」と期待をよせる。

 子どもたちを魅了するのが、子ども用品売り場の特徴だ。子ども衣料やおもちゃを並べた大きな売り場を設け、しかもその隣には子どもたちが遊べる娯楽室やベビーベッドをそなえた育児室を配した。

 食品面では、華堂の経営姿勢を守り、新鮮な食材と作りたての惣菜を「看板」とした。生きのよさやおいしさ、衛生面や栄養面を重視して、「健康的な暮らし」という新しい概念を打ち立てるとともに、日本風・韓国風の食品を増やして、外国客のニーズに応えた。また、サラリーマンが多いという環境から、栄養バランスに配慮したおいしい弁当をつくり、多くの顧客を引きつけた。今後は、大学・高等専門学校の運動会や、春秋の遠足に合わせた特別メニューも準備するという。

 品質のよさと日本のように行き届いたサービスは、きっと亜運村の住民たちに新しい感覚をもたらすだろう。「十里堡店と同じように、亜運村店も北京市民に迎え入れられるだろう」との期待は高まる。

       住民の大冷蔵庫・十里堡店


 華糖洋華堂商業有限公司は、96年に国務院(中央政府)に外資系小売業として初めて、チェーンストア全国展開の認可を受けた。その第一号店として北京にオープンしたのが、華堂商場・十里堡店だ。

華堂商場の一号店・十里堡店は、北京市東部の商業の中心となっている(華堂商場提供)

 正式オープンは、98年4月28日。以来、こんにちまで4年近くの模索と調整をへて、しだいに周辺住民たちの生活に欠かせない存在となっていった。豊かで質のよい商品と、日本的なサービスのよさが多くの顧客を引きつけている。とりわけ食料品売り場は、「北京で最も新鮮な品ぞろえだ」と認められている。

 北京市東部の十里堡店は、市の中心部から離れ、人口密度や生活のレベルも比較的低い地区に位置する。オープン当初は、商品のディスプレーが定まらず、経営状態も理想的とは言えなかった。が、リサーチと理解を深め、顧客の意見を広く求めて、住民たちのニーズに合わせて生鮮食品を主とする経営方針を定めた。こうして何度もの調整をへたことで、99年から運営が好転し始めた。十里堡店は、北京の多くの小売店の中でもしだいに影響力を増していった。

 現在、多くの人々が、市内の繁華街から車で十里堡店へショッピングに訪れている。北西へ五キロも離れた三里屯から来たというおばさんは、「街の改造が進められている三里屯では、多くの店が取り壊されてしまったわ。そばにある百貨店も値段が高くて、不便でしたし……。そんな時、おりよく十里堡店ができてとても満足しています」と語る。

 また、十里堡店のそばに住むというある老夫妻は、華堂商場について訪ねると、やや興奮気味に語ってくれた。「華堂のどんな変化もよく知っていますよ。一日二回、足を運ぶ日もありますが、それは新鮮な食品や納得のいく値段が魅力だからなのです」

華堂商場・十里堡店
の新鮮な食品売り場
(華堂商場提供)

 華堂商場の企画部長・蘇暁飆氏によれば、「十里堡店は多くの顧客に支えられている。2000年には店の前にとまる車が多く、年中、交通渋滞を引き起こしていた。昨年初めには、顧客の安全確保のために、前の通りに通行用の隔離帯を設けたほどだ。大まかな統計によれば、集客力は平日で2〜3万人、週末で4万以上をほこる。週間では20万人ほどになり、週に2度、3度と訪れた客は六〇%を超えた」という。開店後3年で、累計集客数は3000万人あまり。売上高は20億元近くと業績をのばし、同店は中国に7300万元以上の税金を納める優良業者へと発展した。

 十里堡店の人気の秘訣は、商品の質のよさはもちろん、スタッフの熱心で行き届いたサービスにもよっている。開店当時は、5人の日本人スタッフがいたが、現在は二店舗のいずれも日本人は店長だけ、あとのスタッフはみな地元の雇用者たちである。そうすれば、顧客のニーズを十分に理解し、必要な商品とサービスが提供できるというわけだ。

 彼らは周囲3〜5キロ以内の顧客を引きつけ、華堂商場と人々の生活を一体化させようと日々努力している。祝祭日には必ず祝賀イベントを行い、顧客との交流をはかる。中国の最も重要な祝日――春節(旧正月)でも十里堡店は、平日より早めに営業を始め、鮮度の高い食品を提供してきた。おかげで周辺住民は、春節前に物を買い込む必要がなくなり、随時買い物ができるようになった。そのため華堂商場は、住民たちの「大冷蔵庫」と呼ばれ、親しまれている。

 十里堡店は、サービス意識とその水準をとくに重視している。朝会では、全スタッフが一斉にサービス精神とサービス理念を唱える。総経理は、毎朝のように開店時間になると、スタッフとともに顧客を迎える。各売り場では、顧客と総経理が古い友人のようにあいさつを交わす姿をよく見かける。商売人は伝統的に「お客様は神様だ」という言葉を座右の銘にしてきたが、ここではいつも「給料やボーナスはお客様がくださるもの」「お客様は華堂の現在と未来だ」という理念でスタッフたちを指導する。

 WTOに正式加盟し、2008年北京オリンピックの開催が近づく中国では、内外の小売業者の競争が激しさを増すだろう。しかしなおかつ華堂商場は、確かな自信を持っている。麦倉総経理は、「(重要なのは)日本的なサービス理念と、人々のライフスタイルにふさわしい営業方法を組み合わせることだ。華堂商場は三年来の業績と高い信頼に支えられており、(それを生かせば)小売業の激戦時代でも、魚が水を得たようにますます発展するに違いない」と強調していた。(2002年4月号より)