孫家正 文化部長からのメッセージ
 中日文化交流のいっそうの発展を
              
孫家正

孫家正・文化部長の略歴
 1944年、江蘇省泗陽生まれ、漢族。66年に中国共産党に入党。68年、南京大学中文学部卒業後、江蘇省六合県で10年間、働く。78年以後、共産主義青年団の南京市委書記、同江蘇省委書記、中国共産党江蘇省委常務委員、同秘書長兼徐州市委書記、同副書記などを歴任。94年、ラジオ映画テレビ部部長、同党組書記に任じられる。98年3月、文化部長、同党組書記に就任。中国共産党第12期、13期、14期の中央候補委員、第15期中央委員。

 このたび私は、中国政府の文化代表団を率いて日本を訪問しますが、その前に、『人民中国』を通じて、広範な日本の読者の皆様にご挨拶を送りたいと思います。

 1999年5月、私は中国の文化部長として日本を訪問しました。日本訪問中に私は、当時の小渕恵三首相と会談しました。不幸にも小渕首相はこの世を去りましたが、このときの友好的な話し合いや、21世紀へ向けて中日両国の友好関係と文化交流を発展させたいという小渕首相の熱意を、私はいまも忘れることはできません。

 私は何回も日本を訪問しています。人々をうっとりさせる富士山や桜の花はもちろんのこと、「山麓の春は海に似て 嶺上の雪は雲のごとし」といった北海道の景色や、高度に発達した日本の経済、大切に保存されている歴史的な文化遺産など、みな、私の心にすばらしい印象を残しました。

 とくに長年、中日友好のため、志を変えず、心血を注いで尽くしてきた日本の友人の皆さんのあの笑顔が、何度も私の目の前に浮かんできます。彼らは、日本から言えば真の愛国者であり、中国から言えば信頼できる友人であると、私は深く感じています。

 彼らは過去の歴史に対しては大いなる知恵と勇気を示し、日本の未来に対しても、中日関係や世界の将来に対しても、心からの願いと実際行動で努力しており、それは本当に、人を粛然とさせ、尊敬の念を起こさせるものです。

 中日両国は一衣帯水の隣国同士で、両国の文化交流の淵源は深く、その歴史は数千年もさかのぼることができます。六回にわたって日本に向かい、度重なる失敗にも屈しなかった唐の鑑真和上、中国の詩文に長じた日本の文学者、阿倍仲麻呂、近代の魯迅や郭沫若ら中国の新たな文化運動の巨匠たち……。彼らはみな、両国の文化交流史上の重要な人物です。

 新中国成立後、中日両国の民間文化交流は、その規模も勢いも日増しに盛んになりました。両国の国交が正常化された後、とくにこの数年来、双方の共同の努力によって、両国の文化交流は、官民あげて、さまざまなチャンネルを通じ、さまざまな階層の、多種多様な形式で発展する新しい局面を見せています。

 文化交流はすでに、文化芸術の分野から教育、新聞、出版、ラジオ・テレビ、スポーツ、衛生、科学技術、宗教、建築など、さまざまな領域に及んでいます。両国の文化交流と協力は全面的に発展し、その範囲の広さ、数量の多さ、活動の頻繁さ、内容の豊富さにおいて、中国の対外文化交流の中でトップクラスの地位を占めています。

 1998年に、江沢民主席が、国家元首として日本を公式訪問し、成功を収めました。両国の指導者は、歴史を鑑とし、未来に向かって、平和と発展の友好協力のパートナーシップを築きあげることで共通認識に達したのです。

 また2000年には、朱鎔基総理が日本を公式訪問し、これも成功を収めました。

 文化の分野において、両国指導者が達した共通認識を具体化するために、文化交流を拡大し、相互理解と友好を増進するため、21世紀の中日友好関係と文化交流を発展させることに着眼し、私と同僚たちは今年四月、再び日本を訪問し、日本で挙行される「中日国交正常化30周年を記念する中国文化年」の開幕式と一連の活動に参加いたします。それぞれ相手の国が相互に催す「文化年」は、両国の指導者が達成した重要な共通認識であり、中国の文化部はこのために誠心誠意、準備をしています。

 「文化年」の活動には、芸術公演や展覧会ばかりでなく、両国の各界の友人たちが直接交流する機会も含まれています。広範な日本の友人たち、とくに若い人たちに喜ばれるよう、さらに多くの人がその中に参加できるよう希望しています。

 江沢民主席は、日本訪問中に、一首の七言絶句を詠みました。それは

 丹楓似火照秋山 碧水長流広瀬川 
 且看乗空行万里 東瀛禹域誼相伝  

 という詩です。

 (その詩の大意は「赤い楓は火のように秋の山を照らし、青い水は長く広瀬川に流れる。また空を翔けて万里を行けば、日本と中国は、誼を相伝えているのを看ることができる」というものです)

 私は双方が共同で努力し、中日両国人民の間の友誼と両国の文化交流が、時空を超えて絶えず強まり、絶えず発展するよう心から希望しています。さらに両国人民、とくに若い世代が、歴史を鑑とし、未来に向かってさらに一歩、中日の文化交流の発展に力を尽くし、中日友好事業の松明の火を伝えて行くために新たな貢献をするよう希望しています。(2002年4月号より)