俳優・中井貴一さん
      話題の大作映画
『ヒーローズ・オブ・ヘブン・アンド・アース』
  中国ロケで得た夢と友

(プロフィール)
1961年生まれ。大学在学中にデビューし、83年TBSドラマ『ふぞろいな林檎たち』大ヒットでスターに。88年NHK大河ドラマ『武田信玄』主演。94年『四十七人の刺客』日本アカデミー賞助演男優賞受賞など、実力派として知られる。
(写真 岩崎稔)

 今年、全米公開予定の大作映画『ヒーローズ・オブ・ヘブン・アンド・アース』は、唐代の中国を舞台に、二人の剣士が繰り広げる戦いとロマンの物語。主人公の一人を演じるため、日本から参加した中井貴一さんに、三カ月にわたった中国ロケ体験を語ってもらった。

中井さんが演じるのは、少年時代、中国に渡り、数十年を経て帰国を願い出たため皇帝に咎められ、刺客を命じられる遣唐使。中国の人気俳優・姜文が演じる元将軍を追って放浪を続け、やがて二人の死闘が始まる。

 昨年アクション映画『グリーン・デスティニー』を世界的に大ヒットさせたコロムビア・ピクチャーズが、第二弾として総製作費十億円を投じる大作。そのロケはゴビ砂漠周辺で三カ月、セリフは二行以外、すべて中国語という大変なものだった。

 「引き受けたのは、脚本の面白さももちろんですが、僕がちょうど四十歳になること、結婚したばかりのこともあったと思う。年齢的にも、私生活でも、放っておいたら守りに入ってしまう。僕は役者というのは、常に何かに挑戦していないと感性が鈍っていくと思っています。それに、周囲の人間があまりにも全員一致して、大変だからやめろと言うのも、かえってヤル気になった。僕は全員が反対するときは、あえて、やってみる主義なので(笑)」

 それに、かねてその才能を聞いていた姜文と共演できること、日本から参加するのが自分一人、というのも気に入った。

 「以前、日中合作映画のお話なども頂いたこともあるんですが、日本側から大勢スタッフが参加すると、どうしても、そこに日本人社会ができてしまう。僕は自分が中国と関わるなら、そういう逃げ場のないところで勝負したかった」

 かくて、日本から参加するのは、中井さんと通訳の女性だけ、というプロジェクトがスタート。昨年春、打ち合わせで初めて北京を訪れ、9月8日、ロケ開始のため、再度北京空港に降り立った。翌日は飛行機でウルムチに向かい、そこからさらに、モンゴル国境に近いアルタイに飛んで一泊。最初の撮影は、そこからさらに、車で7時間近く移動したカナスだった。

 「アルタイ、カナス、と移動するにつれて、ホテルがどんどん汚くなっていくんです(笑)。アルタイでは水道をひねったらジャーっと泥水。この先どうなるんだろうと思ってて、カナスに夕方到着してみると、気温が六度くらいでもう寒いのに、暖房がない。それにバスタブもないシャワーだけの部屋で、この寒さでお湯を浴びたら風邪をひくと、それから一週間、結局シャワーさえもしませんでした」

 かなりのカルチャーショックからスタートしたロケでは、厳しい環境に加えて、中国語でも苦しんだ。

出発前は多忙で、10回ほどのレッスンを受けただけ。しかも、遣唐使という役柄上、セリフは文語調の難しい言い回しが多く、中国人でも一息には言えないようなものだった。時間があれば常にテレビを見て、耳を慣らす毎日。


 「撮影現場でスタッフの言っていることが分からないのは、これまでにない相当の孤独感でした。もちろん、監督の指示は通訳の方が訳してくれるけど、照明やキャメラが何を言ってるかは、まったく分からない。でも、逆にその孤独感を役に反映させたくもあった。
だから、あえて、一人ポツンとしていた部分もある」

 スケジュールは遅れ、現場が零下20度前後の厳冬期に入っても、戸外のアクションシーンの撮影が続いた。

 「甲冑をつけなくてはならないから、下着を着込むといっても限界がある。しかも、状況は夏、という設定だったので、衣装が夏物なんですよ。Tシャツで冷凍庫のなかにいるようなもので、もうホントに寒い! それに、雨のシーンの撮影では、日本では普通ウエットスーツを衣装の下に着るんですが、中国ではサランラップを巻くんです。初めて全身に巻いたんですが、皮膚呼吸ができないから、時間が長くなると、これも苦しい。今までいろんな食べ物をラップでグルグル巻きしてたんですが、何だかその気持が分かるなーなんて思ったり(笑)」

 精神的に落ち込んでも仕方がないような日々のなか、それでも不思議に、小さなことに喜べるようになっている自分を見つけたという。

 「水道の水が飲める、お湯が出る。日本にいたら当たり前のことのスゴさに気づき、感謝できるようになった。僕は役者としてより、一人の人間として、それが良かったと思う。厳しい土地で、自分が逆に癒されたようにも思います」

 加えて共演者たちとの友情にも恵まれた。

左からマニター画面をチェックする中井貴一さん、姜文さん、趙非さん(キャメラマン) (写真 白小妍)

 「僕は演技する時、相手の役者の目に見える姿でなく、何かその人の背後にある、オーラのようなものに向かって芝居をしている。それがある人と、ない人がいて、あるのは、百人いたら30人……いや、20人くらいかもしれない。姜文には、それがはっきり見えるんです。彼は本当に芝居を愛しているんだと思う。また、ぜひ一緒に仕事がしたい。それに趙薇の天真爛漫な明るさにも本当に救われました。いまや国民的人気女優で、美人なのに、朝、ボサボサの寝グセ頭で撮影現場に来て、鏡を見て、アッ、いけない、なんてやってるの。外では集まった大勢のエキストラが大歓声で手を振ってるのにね。彼女の自然な、リラックスした生き方にも、ああ、こういうのいいな、なんて思わされたり。中国のテレビを見ていて、上質のラブコメディがまだ少ないように思えたので、ぜひやりたいね、と彼女とも話しています」

 大変な3カ月だったはずなのに、終ってみたら、中国が好きになり、その地への夢が広がっているという。

 「僕の誕生日は、実は9月18日なんですよ。それを今回は中国で迎えたわけなんだけど……。他のスタッフの誕生日には、飲めや歌えの大騒ぎなんだけど、僕の日には、みんな慎んで、耳元でヒソヒソッと、おめでとう、なんてささやくだけ。あんな淋しい誕生日は生涯で初めてでした(笑)。でも、今は、こんな日に生まれた僕だからこそ、映画を通して、中国と日本の交流に役立てるのでは、と思っている。中国の友人たちもそう言って励ましてくれたんです。両国はもっともっと交流すべきだし、それにはまず文化から、と僕は信じています」(取材 構成・原口純子)(2002年4月号より)