北京大学と『日経新聞』 協力講座開く
    中国の新聞学に新風

                   黄秀芳

昨年9月10日、日本経済新聞社・鶴田卓彦社長(中央)にとる第一回の講義が行われた。

 2001年9月、北京大学新聞学院(「学院」は学部と同義)が設立され、大学院生の課程に、全16回シリーズ「国際メディア比較」という目新しい講座が登場した。この講座には、別名「経済報道メディア概論――『日本経済新聞』の経験」という副題がついていた。

 これは、日本経済新聞社が北京大学に無償で開講したもので、講師の選任から講義内容の決定まで、すべてを同社が担当した。『日経新聞』の全面的な紹介講座ともいえる。

 同講座は、一セメスター(半年の一学期)で一連の講義を終了する構成で、一セメスター限りの暫定的な試みだった。『日経新聞』としても、このような取り組みは初めてだった。

 イデオロギーと体制の違いから、西側のメディアが中国の大学で系統立てて紹介されたことはなかったため、このような合作の実現は、それだけで十分価値あるものだった。内容が経済報道に限られていたとはいえ、今回の双方の合作は、中国の新聞学の新機軸を作りだすために、貴重な経験になったといえる。特に、中国のWTO加盟の直前に、同講座が開講した意義は大きかった。

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 『日経新聞』と北京大学の合作は、北京大学が新聞学院の設立準備を開始した頃からはじまった。北京大学には、過去に新聞学部があったが、50年代、教育部が単科大学と学部を再編した際に、同学部を含む多くの専門学部が廃止されてしまった。そして50年近くの時を経て、名門大学の規模を拡大するために、他校の合併、専攻の新設という改革が行われた。

 「北京大学が新聞学院を設立する」との情報をつかんだ『日経新聞』は、この絶好のチャンスに協力関係を築く選択をした。双方は2000年から接触をはじめ、何度も意見交換を重ね、合意に達した。

 「国際メディア比較」は、必修科目として開設された。週1回3時間、三単位に相当する講座で、期末試験の代わりにレポートの提出が義務づけられた。北京大学では、学生の理解をさらに深めるため、『日経新聞』が毎回派遣した講師のほかに、中日経済の専門家である馮昭奎氏を指導教授として招き、また、一流の通訳を同席させたことで、講義の質と効果を高めた。

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 新聞学院の大学院生は28名。2名を除いては、英語または日本語以外の外国語を学んだ学生だった。そのため、日本に対する認識は、表面的なものにすぎず、これほど身近に日本と日本人に触れ合うのは、はじめてだった。この講座のもっとも大きな収穫は、学生たちが日本に興味を持ったことだろう。

 ハルビン出身の女性は、「彼ら(講師)の講義からは、仕事への情熱や効率追求の心を感じた」と話し、北京生まれの女性は、そんな講義を受けたことで、「日本に興味を持つようになった」とつないだ。彼女がその時読んでいたのは、『中国人と日本人』という本だった。同級生には、日本語を学ぼうと考えるようになった人もいるそうだ。

 皆出席の劉揚さんによると、(昨年9月から今年1月までのセメスターで)人気の講座は二つあった。一つは、中国の各界の専門家百名がリレーで講義する「新聞メディア学専門家論壇」で、もう一つは、『日経新聞』の講座だった。共通点は、どちらも現場の経験が出発点だったことだ。学生たちは、この講座を「日本と中国のメディア制度比較」と名づけ、それぞれの国の良さを見つけようとしていた。

 劉さんは続けてこう言った。「ある新聞社について深く理解することは、価値あることだと思う。私たちが、たとえこの講座の名前を忘れたとしても、新聞社の具体的な業務遂行方法は忘れません。私たちの国はWTOに加盟したのですから、国外のたくさんの事柄を学ぶのは意義あることです」

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 この試みは、満足できる成果を収め、潜在的な影響もすでに出始めている。協力関係は今後も続くのだろうか。今年1月、はじめての試みは終了し、双方は継続の意向を示さなかった。しかし、事情をよく知る関係者は、中国との関係を重視する『日経新聞』は、今後も中国との協力関係を切ることはないだろうとの希望を語った。(2002年4月号より)