大移動する農村の余剰労働力


                        張春侠

春節(旧正月)が終わって間もなく、広州の鉄道の駅からバスの停留所に向かう路上は出稼ぎ労働者で溢れた





 朱鎔基総理の記者会見は、それがいつ開かれても、彼の答えが広く社会的な関心を引き起こす。先日挙行された第9期全国人民代表大会第5回会議と第九期全国政治協商会議第5回会議の終了後の記者会見でも、朱鎔基総理は米国・CNNの記者の質問に答え、過去4年間の総理としての仕事を総括し、農民の収入をいかに増やすかが現在もっとも頭の痛い問題であり、もっとも大きな関心事だと表明した。

 中国には八億の農民がいて、その収入は全般にかなり低い。20世紀の80年代以来、農民がその経済的収入を増やす主な道の一つは、故郷を出て都市に出稼ぎに行くことだ。とすれば、大量の余剰労働力が都市に流入することになる。それは中国社会にいったいいかなる影響をもたらすのだろうか。

八千万の農民が出稼ぎに

 江西省中部にある泉港鎮は、ごくありふれた農村の鎮である。この土地のやせた小さな鎮の周囲には、いっそう貧しい村々がある。そこの生活は貧しく、そのために多くの「無謀な」若者たちが次々に村を出て、大都市に働きに出かける。このためこの村々は、名実ともに「出稼ぎの村」となっている。

北京には大量の「民工」が盲目的に流入し、雇用を待っている

 20数歳の青年農民の根発は、五年前、広東省の深ロレに出稼ぎに行った。家の15ムー(1ムーは6・667アール)の土地の耕作は、父母と妹に任せた。1年でこの15ムーの土地からとれた食糧は、自家用分を除いて全部売り払い、3000元余りになった。しかし、村には各種の「管理費」があり、これに1500元余りを支払った。さらに2頭の豚と一頭の子牛を売って4000元近くになった。だが、根発が結婚するには、最低7000元が必要なのだ。彼は引き続き深ロレで働かなければならないのだ。

 この一帯では、人々は出稼ぎに出る以外には大金を得ることはできないと考えている。青水という名の農民の家は、貧しいことで知られていたのだが、数年前からハンドトラクターで運送業をし、後に浙江省に行き、私営企業でトラックを運転し、運輸の仕事をした。これで月に2000元以上を稼ぎ、数年で、金を貯めて結婚し、村でもっとも良い住宅を建てた。現在は、大型トラック一台を自分で買って運送業を営み、年間収入は十万元以上で、村でもっとも豊かな人に数えられている。

 泉港鎮の農民のように、全国各地で出稼ぎに出ている農民は少なくない。1980年代中期以来、農村の余剰労働力が都市に移動する大きなブームが巻き起こった。統計によると、目下、中国農村の余剰労働力はすでに1億5000万人に達しているが、その中のかなりの部分が都市に出稼ぎに行っていて、県クラス以上の都市で就業している者は8000万人以上いるという。安徽省は農業が盛んな省だが、2001年末までに、1000万人以上の余剰労働力のうち、省外に出稼ぎに出た者は770万人を数える。

貴州省から来た女性の「民工」馬麗珍さんは、浙江省義烏市の人民代表に選出された。

 実際、こうした出稼ぎ者の数は、絶えず増加している。「中原」といわれる中国の中央部から、北は北京へ北上し、南は広東に南下し、東は上海に進み、西は成都に到る「民工」(農村からの出稼ぎ労働者)の流れがある。それは市場経済の発展の法則に従って、自然に経済の発達した地区に向かって流れて行くのだ。

 中国が世界貿易機関(WTO)に加盟したあと、国際的な農業生産物の輸入が認められるが、この政策は中国の農業に巨大な衝撃をもたらすに違いない。そして農村の余剰労働力の矛盾はますます突出した問題にならざるを得ない。大量の農民は「民工」となってさらに猛烈な勢いで都市に流入してくるであろう。専門家の推計によると、「民工」の流れは、今後5年でピークに達し、毎年、都市に入って来て働く農民は800万人を突破するだろうという。2020年までに少なくとも3億人の農村人口が、都市に移動するだろう。中国では、米国一国よりも多い数の人が都市に移動することになるのだ。

 大量の農民が「民工」となって都市に流入することによって、農民自体の収入も大きく増加した。2001年に安徽省の農民1人当たりの平均年収は2012元で、前年比で84元増加したが、その中の36元は出稼ぎで得た所得であった。また、重慶市黔江区では、全部で延べ6万5000人が出稼ぎに出て、持ち帰った金は2億元近い。これは農民の年間純収入の20%に当たる。

 これとともに、都市における建築、サービス、飲食などの関連する業種も飛躍的に発展した。北京では、安徽省からは子守りやお手伝いさんが、河北省からは建築労働者たちがやって来ている。街中にあふれる衣料品の露店は、浙江や広東から来た人たちが開き、市民が毎朝飲む牛乳は、河北省から来た青年が三輪車で運んでくる。髪は、浙江省の床屋が刈り、ビールの空瓶は、河南省の若者が引き取って行く。北京の繁華街・王府井の軽食の屋台街には、全国各地の味が氾濫している。

 世界銀行が1997年に発表した数字では、中国は改革・開放政策以来、農業労働力の非農業部門への移転によって、中国の経済成長率を1%近く押し上げる効果があったという。

軽視される諸権利

 しかし、農民は都市に流入してきたあと、多くの問題に遭遇する。

 中国においては、「民工」の数が多く、労働力の価格は低い。それに加えて彼らの意識はまだ十分に近代化されていない。そのため自分の権利を守る能力が低く、多くの場合、自分の合法的な労働収入を守ることさえできない。

 2002年の春節(旧正月)直前の1月8日、深ロレで、四川省から来た「民工」、尹勇らが建築現場の地上40メートルのクレーンに登り、「死ぬぞ」と言って、ここの建築会社の経営者が支払いを拒絶した百万元以上の賃金を払ってほしいと迫った。これは深ロレの「賃金支払い要求クレーン事件」として全国的に有名となった。最後に、政府の労働部門が介入し、農民たちは賃金を獲得することができた。この種の似たような事件は、最近、新聞報道でよく見られる。

 労働に応じて報酬を得る、というのは、労働者の基本的な権利の一つである。もしこうした基本的な権利さえ保障されなければ、健康な生活を営む権利や生命が保障される権利……などの合法的な権利は、「民工」たちにとってはさらに遠い存在になってしまう。

南京では、「民工」になろうとする農民に、就業情報を提供する措置をとっている

 今年初め、山東省の青島では、「バスの中に『民工の一角』を設けよう」ととんでもない提案した人がいた。その理由は、「民工」は「資質が低く、衛生にかまわず、全身、油で汚れているから」で、彼らを隔離すれば、市民の嫌悪感を減らすことができる、というものだった。

 また、「民工」が都市に流入することによって都市住民の仕事を奪い、都市の就職がますます難しくなるという人もいる。そこでこの数年来、多くの都市では、農村から来た「民工」を大規模に追い出しながら、「民工」が都市の労働市場に参入するのを阻止するため、数々の制限を設けてきた。2001年初め、河南省のある市の労働部門は、市外から来る労働者の就業条件を次第に高度化し、高卒以上か、あるいは職業資格証明書を取得してはじめてこの市で働くことができると宣言した。また、北京や上海などの大都市でも、程度の差こそあれ、外地から働きに来る人に制限を加えている。

 ところが、農村から来る労働力が、都市の労働市場で活況を呈している所以は、彼らが従事する仕事の大半が、都市の人々のやりたがらない「三K」(きつい、汚い、危険)の仕事だからだ。例えば、道路の清掃、下水道の汲み取り、ごみ収集所の請負い、自転車の修理、排煙換気装置の清浄など、都市の人たちがほとんどやりたがらない仕事である。

人民代表に選ばれた「民工」

 当然のことながら、すべての農民が不平等な待遇を受けているわけではない。
 中国の憲法は、公民には選挙権と被選挙権があると規定している。ただ、選挙には、戸籍の所在地においてのみ参加できる。

 2001年12月12日、浙江省義烏市の大陳鎮で、貴州、江蘇、安徽などさまざまな省から働きに来た七人が、人民代表大会の代表に選出された。これによって浙江省は全国ではじめて、「民工」の中から直接選挙された郷鎮の人民代表を選んだ省となり、これまで「民工」の選挙権と被選挙権が軽視されてきた状況が打破された。

 80年代初期には、農民が「民工」となって都市に流入することは制限されたが、80年代後期には「民工」を受け入れざるを得なくなった。「管理せざるを得ない」という受身の状態から、現在のように政府や専門学者が、いかに外から来た労働者の集団のために服務するかを主体的に考える――こうした大きな転換の過程で、社会の絶えざる進歩にともない、「民工」問題がすでに政府と社会によって非常に重視されるようになったことがわかる。

 現在、国と一部の地方の政府はすでに、制度と政策の手直しを始め、積極的に一連の規則を定め、農村と都市を一体化する形を推し進め、農村の余剰労働力が自然に、秩序よく、都市に流入できるようにしている。

 2001年に、全国のすべての鎮と県クラスの市区は、農民戸籍から非農民戸籍に変わる人数の制限を撤廃した。これは、鎮と県クラスの市区の範囲においては、都市戸籍と農村戸籍がもはや差別されないことを意味している。

 最近、国の関係部門は、相次いで「民工」の合法的権利を擁護する一連の措置を打ち出した。これは、2002年末までには、「民工」に課せられている「暫定住居費」や「新たに都市に流入した者に課せられる費用」など七種の費用を取り消すこと、外来の労働者を使用するすべての組織は必ず、就業証を発行し、養老保険、失業保険、労働傷害保険に加入させること、都市の労働者の中にある身分的な差別を撤廃し、平等な就業を実現すること、「民工」を騙して金銭を詐取したり、身体の権利を侵害したりする不法行為に厳しい打撃を与えること……などである。

 このように、社会の各方面の支援と配慮で、「民工」の境遇はすでに一定程度、改善された。

 近年、「民工」が早く安全に里帰りして、春節を迎えられるよう、「民工」が比較的集中している北京やその他の都市と地区で、相次いで「民工専用列車」が増発された。

 5年前、安徽省霍山県では、労働サービス就業センターがオープンし、農民に北京や上海、広州、深ロレなどの就業情報を提供し、農民たちが合理的に、秩序だって流動できるようにした。数年間でかなり多くの農民が、このルートを通じて仕事を探しだすことができた。

 「民工」の境遇は日に日に好転している。しかし、根本から「民工」の合法的権利を全面的に実現しようと思えば、政府や各地方の政策的、法的な保証のみならず、本当に持続的な、広い社会の理解と人道的な配慮が必要である。(2002年7月号より)