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東西をつなぐ大動脈へ 東単—西単

 

長安街は中国でもっとも有名な通りだ。その中心となる北京天安門広場では、毎日、国旗護衛隊が日の出、日の入りの時間に合わせて、国旗の掲揚と降納を行っている。この光景は北京の風物詩の1つとなっており、時間ともなると、掲揚台の周りは中国各地からの観光客でいっぱいになる。

天安門広場と天安門城楼の間を走る長安街は、1949年に毛沢東主席が天安門の楼上で中国人民共和国の成立を宣言するなど、いくつもの歴史的重大事件と関わりを持ってきた。

新中国成立以降、長安街は一貫して、北京そして国家の、シンボル的な道路であった。

長安街の由来

東単との交差点から、長安街西方面を望む。右側の建物が東方広場
長安街は、明朝永楽4年から18年(1406~1420年)にかけて宮城とともに建設され、当時の北京城全体の重要な一部分であった。「長しえに安穏である世が続く」ようにとの願いを込めて名づけられた長安街は、今ではもう600年の歴史を有している。

明清の時代の長安街は、今のような貫通した大通りではなかった。天安門の左右それぞれに長安左門と長安右門があり、その門から東西に延びる2つの通りだった。長安左門から東単牌楼までの通りを東長安街と呼び、長安右門から西単牌楼までを西長安街と称していた。

民国時代(1912~1949年)、北京の人口増加に伴い交通量も増加した。その解決策として、当時の政府は2つの城門周辺の城壁を撤去し東西の長安街を貫通させ、長さ7.4華里(1華里は0.5キロ)の一本の通りにした。そして1952年、長安街拡張プロジェクトが起工する。東単から西単までの長安街周辺の建物は取り壊され、長安街は広々とした道路へと変身した。

天安門広場と北京飯店

故宮西側にある中南海の新華門。中南海は中国の党と政府指導者のオフィス
百万人を収容できる天安門広場は、天安門前に広がり、周辺の建物とともに北京の政治の中心エリアを形成している。広場の東には国家博物館があり、西には人民大会堂がある。ともに1950年代建築の風格をとどめる巨大な建物は、対になっており、見る者に荘厳な印象を与える。現在、国家博物館は外観保存のため、内部の改装工事を行っており、竣工すると、館全体の総建築面積は15万平米になり、フランスのルーヴル美術館の広さとほぼ同じになる。

その昔、天安門広場は今の5分の1ほどの広さほどしかなく、天安門から南にT字形に延びていた。もともと紫禁城正門である天安門の前の広場と通路であった天安門広場は、宮城の壁を際立たせる効果があった以外、科挙の最終試験である殿試の、合格者発表の場であった。

新中国成立以降、市民活動に使用できるようにと、政府指導部らが天安門前に広場を設置することを決定した。しかし広場の面積については、さまざまな意見が飛び交った。

当時の北京の人口は140万人余りなので、広大な広場を建設する必要はないと主張する専門家らがいれば、世界一の人口を誇る中国の政治活動の中心になる広場なので、小さすぎてはだめだという考えを持つ人たちもいた。長安街方案は長い時間をかけて議論がなされ、結果、指導部が100万人収容できる大広場を造ると最終決定を下した。その計画に基づいて、1958年天安門広場プロジェクトが着工し、東西500メートル、南北800メートル、総面積44万平方メートルの巨大な広場がついに完成した。

建国から現在まで約60年の間、天安門広場は数回にわたって建設工事を行っている。70年代、毛主席記念堂を建設し、前門一帯を改修した。90年代に入ると、緑地を増設し音量システムなどを改善した。天安門広場は現在、さらに美しさを増すとともに、北京の政治や外交活動の中心となっている。天安門地区の清掃員を務める湖南出身の彭さんは、記者の質問に対して「私たち地方から来た人に言わせると、北京に来たら必ず天安門広場を見にくるべきです。これは国家のシンボルですから」と語った。

故宮の東側に位置する北京飯店(右)と貴賓楼飯店。異なる時期に建設された4つの棟は、いわば長安街変遷の目撃者だ
長安街を挟んで、天安門広場の東北に位置する北京飯店は、50年代に拡張された広場と違い、すでに100年近い歴史がある。

1917年、中法銀行の出資により7階建てのホテルが建築され(現、北京飯店中楼)、北京飯店と名づけられた。これが北京飯店の始まりである。当時としては長安街一高い建物であった。その後、1954年の2期工事、70年代の3期工事を経て、ゲストルーム1000室あまりを持つ高級ホテルとなる。

同ホテルは、1949年から60年代にかけて、何度も国家レベルの宴会が催された。1972年、ニクソン米大統領が中国を訪れた際、宿泊したのもここである。北京五輪期間中は、オリンピックファミリー総本部のホテルの1つとして、オリンピックゲストの接待所として活用された。

西単と東単、商業の場所

北京市内でショッピングをするならば、長安街沿いの東単と西単をおすすめする。この2つの地にはその昔、東単と西単の名前の由来となった、屋根のある装飾門の牌楼が建っていた。

長安街から西単の通りに入ると、すぐに濃厚な商業的な雰囲気に気づく。中友百貨、西単商場など、いくつもの大型ショッピングセンターが同じエリアに集まっていて、多くの人でにぎわっている。西単文化広場の地下には、小売店がずらりと建ち並び、買い物をする若者たちでいっぱいだ。

西単一帯は北京でも有数の商業エリア。新しい商業施設が次々と出現している
西単の市民化と比べると、東単の王府井大街は高級な雰囲気が漂っている。王府井は北京の有名な歩行者街で、昔から「金街」と呼ばれていた。この通りは元の時代からすでに存在しており、明の時代には、10もの皇族が住む王府があることから「王府街」とも呼ばれていた。清の時代、この通りには王府に提供する飲用の井戸「甜水井」があったので、それに因み王府井大街と名づけられた。

王府井沿いの東安市場は、清の頃からすでに商業の場であった。現在、王府井はショッピング、憩いの場、エンターテインメント、旅行、飲食、ビジネスなどが一体となった商業歩行者街だ。

王府井大街の南交差点の東側にある東方広場は、中国最大級の商業建築群だ。ショッピングセンター、ホテル、マンション、オフィスビルなどが一体化した11棟からなる大型総合施設は、毎日、十数万の人々が行き来している。

王府井には、このような新しいショッピングセンターがある一方、シルクの「瑞蚨祥」や、帽子の「盛錫福」といった老舗も店を出し、多くの観光客で繁盛している。

今も王府井は北京観光に必須のスポットといえる。

 

人民中国インターネット版 2009年3月1日

 

 

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