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四川汶川大地震から2年 被災地を再訪

 

復興の中での新生活

沈暁寧=文・写真

紅白鎮 小さな山村の再生

紅白鎮商店の春節用商品。春節前の気分があふれている
成都から北に100キロ余り行った什邡市は、2008年5月2日の四川汶川大地震で大きな被害を受けた。とくに同市の管轄する紅白鎮など山奥の小さな村は、壊滅的な被害に遭った。

当時、紅白鎮に通じる道路の両側の家屋は、絨毯爆撃にでも遭ったように瓦礫の山と化した。工場の建物は、歪んだ鉄骨だけが残っている。曲がりくねった山道はぬかるんで、険しく、緩んだ山肌から巨石がいつ転がり落ちて、通行する車を谷底に突き落とさんとも限らない。

紅白鎮にはまともな家は見当たらない。鎮政府の建物も倒壊した。ホテルは瓦礫の山に突っ立つ高い塀にしか見えず、民家はまるで倒された積み木のようである。村の責任者や解放軍の兵士たちは夜を日に継いで廃墟の中から遭難者や生存者を探した。ヘリコプターが毎日救援物資を運びこみ、けが人を運んでいった。紅白鎮全体がまるで戦場のようで、人々は絶えず生きるか死ぬかの試練に耐えていた。

目に触れるものすべてに痛ましい記憶が残されている。記者は1月下旬再び紅白鎮に向かったが、路上の光景はあの日とはもはや全く違っていた。

村のここかしこに真っ白な建物が建っていた。通りに沿って野菜、果物、肉や卵、書籍や衣服といった露店が並ぶ。竹かごを背負ったお年寄りや子供を抱いた女性がのぞく。電器店では、店主が液晶テレビの性能をお客に説明している。料理屋の中では、若者がテーブルを囲んで湯気の上がる食事を食べながら、大声で談笑している。

被災後、北京が什邡市の「一対一」復興支援都市となり、70億元を下らない資金を投入した。今年の10月までに270の復興支援項目を完成し、みんなが新しい家に帰れるように、廃墟の中に新しい町を建設した。盛んな活気がまたこの村によみがえってきた。

町はずれの110平米の小さな2階建ての家に、陳俊さん一家3人が住んでいる。もともと家族8人のうち5人が地震で亡くなった。その中に陳俊さんの13歳の娘も含まれる。この話をすれば彼女は未だに深く悲しむ。しかし、去年3月夫との間に男の子が生まれて、趙重建と名づけた。この名前どおり、2ヵ月後に村が彼女を手助けして家を建て替えた。彼女と夫と息子が新しい家に越した。今は夫は家からそう遠くない山で石炭を掘り、彼女は家で子どもの面倒を見ている。それほど豊かではないが、落ち着いた生活を取りもどした。「子どもが1歳になれば、親戚に預けて私は出稼ぎに行ける。暮らしはだんだん良くなってくるわ」。40歳の陳俊さんは家庭の未来をそう描いている。

元石鎮 孤独なお年寄りの心のよりどころ

什邡市元石鎮の市社会福利救助センターには、230人以上の身寄りのないお年寄りが住んでいる。79歳の何乾貴さん夫婦2人は、この中の20平米の一軒の平屋に住んでいる。家には二つのシングルベッド、机と椅子、タンスとテレビなどの家具、家電、それにシャワーとトイレが一体になった部屋がある。何さんにとっては、これで十分。

「私たちのお年寄りへのサービスは、主に衣食住、医療、葬式です」と、この社会福利救助センターの劉貴徳主任は言った。「私たちの目的は政府と共に、子どもに替わって親孝行し、お年寄りが安心できるよう、お年寄りを敬い労わる中国の伝統的な美徳を守ることです」

什邡市社会福利救助センターは2009年5月19日に設立された。敷地面積は1万7000平米、建築面積は8646平米。これは北京市の什邡市への最初の復興支援項目の一つである。お年寄りが住んでいる家のすべてに、環境保護、省エネの建築材料が使われている。「建てられた家は、保温、防火、耐震です」と劉主任は言う。

お年寄りによりよいサービスをするため、センターに勤める36人はすべて北京市石景山福利院の専門家の訓練を受けた。センターの中には、閲覧室、ゲーム室、ゲートボール場を開設し、お年寄りたちが歌ったり、踊ったり、映画を見たりできるようになっている。毎週、ケアカウンセラーが来て心のケアをし、什邡市の各大病院も医者や看護師を派遣して健康診断や治療を行う。サービスの内容によってお年寄りは月に820元から1200元を支払う。地震で息子を亡くした何さんのようなお年寄りは、政府がすべての養老費用を負担する。

被災後の孤独なお年寄りを集めて扶養することにより、什邡市は四川省の被災地区再建の中で注目を浴びている。北京からの支援について、劉主任は「北京の援助に感謝しなくてはなりません。素晴らしいハードの建設だけではなく、私たちの養老救助の仕事の理念とサービスまで大いに高めてくれました」と言った。

蘿蔔寨 夢が現実になった

去年の3月中旬、四川汶川大地震が起きてほぼ一年後、筆者は汶川県付近の有名なチャン(羌)族の村――蘿蔔寨を訪れた。当時、大雪に見舞われた村はまるで悲しみをまるごと真っ白に包みこんでいるようであった。この標高1950メートルにある「雲上の村」は災難によって瓦礫の山となった。村人は低く、うす暗く、寒い仮設住宅に身を寄せ、身内や家屋敷を失った苦しみを耐え忍んでいた。

王国栄さんの奥さん(右端)は娘(右から2人目と3人目)や隣人たちといっしょにチャン族の刺繍をしている。着ている服は全部自分で刺繍したもの(写真・李莉娟)
しかし、崩壊した山村からそう遠くない高地で、広東省江門市からやってきた「一対一」復興支援チームは村民のために、堅固な新居の建設を急いでいる。この村の修復とチャン族の伝統文化の保護、伝承に関しては、国家文物局が全面的に計画し手配している。中央や地方政府は蘿蔔寨の将来の発展と村民の生産・生活スタイルの改善についても長期的計画を綿密な構想のもとに、着実に進めている。このような努力が、村民たちに強烈な新しい希望と夢を与えた。

今年1月の下旬、私たちは再び蘿蔔寨にやってきて、村の会計係、49歳の王国栄さんに再会して取材した。

2008年の汶川大地震は王さんのすべての家財を奪った。もうすぐ熟する56本のサクランボの木からひと粒さえも取れなかった。

2009年3月にはじめて王さんと出会ったとき、板で組み立てられた仮設住宅で夕食を作っているところだった。ぼろぼろな家具の中で多少目立つのは寄付された電気炊飯器と中古のコンピューターである。薄暗い明かりと鼻につんとくる炊事の煙の中、王さんは自分の三つの夢を教えてくれた。「新居へ引っ越す、もっとお金を稼ぐ、コンピューターを勉強する」

今年1月、王さんと再会したとき、満面に笑みを浮かべて新居の前で出迎えてくれた。これは2階建てのチャン族様式の建物で、8つの寝室、客間2つと、他に独立した台所とトイレがある。100平米以上の建物である。家族5人がゆったりと心地よく暮らしている。「去年10月に引っ越してきました。とっても満足しています」と、王さんは言った。

建設計画では、全村で新居の統一基準があり、新居は一階建てで、一世帯あたり52平米であるが、ゆとりのある人は2階を増築することができる。新居に入るには、一世帯あたり6万元を納めるが、そのうち、政府からの補助金が2万元近く、広東省からの支援が1万元近く、華僑の献金から1万元、村民は銀行から2万元の低利子ローンを借り入れることができる。お陰で王さんはあまり苦労せずに新居に入ることができた。彼はさらに2万元あまりを集めて2階を増築した。現在、ほとんどの村民がすでに新居に引っ越したが、ほんの一部の家庭がまだ新居の竣工を待っている。

王さんの2階の客間に上がると、数人がけの新しいソファー、大きなカラーテレビ、DVDプレーヤー、オーディオコンポなどの家具や家電製品がある。私たちがおしゃべりをしているところに、注文した洗濯機が届いた。「もとの値段は918元ですが、実際に払ったのは799元だけ。国の『家電下郷(家電を農村に)』政策のお陰で、119元の補助金をもらったのです」と、王さんは洗濯機を指さしながら言った。

前回出会ったとき、王さんは一人だったが、今回は一家団欒。春節(旧正月)が迫っているため、少し前に結婚した次女を含め、出稼ぎに行った娘たちが次々戻ってきた。王さんにとって一番うれしいのは、広東省江門市の「一対一」復興支援学校で教育を受けていた16歳の息子が実家に戻ってきたこと。現在、成都市付近の大邑県の専門高校でコンピューターを勉強している。蘿蔔寨がある阿壩地区は「9プラス3計画」を実施している。すなわち、学齢に達した子どもは国が定めた9年制義務教育のほか、地方政府によってさらに3年間延長して教育を無料で受けるようになった。こうして、王さんの息子はこれからまた3年、経済的負担がなく安心して技術を勉強することができる。

聞くところによれば3月から、古い村の修復工事が始まるという。大体3年後、昔の「雲上の村」が再現される。そのときは、蘿蔔寨は観光業や特色ある農業が大いに発展し、村民の収入もさらに増えることになる。

現在、蘿蔔寨の人々はまだまだ裕福とはいえないが、被災の暗い日々からやっと抜け出したばかりの彼らは、いつも他人のことを思いやる。少し前、汶川地区の人々が行っていたハイチ震災地への寄付活動に、蘿蔔寨の九百人以上から1万4000元余りが届いた。王さんも200元を献金した。「国や国際社会からの支援がなければ、被災した私がこんなに速く正常な生活に戻ることはできません。ハイチの人々の苦境がよくわかります。たいしたお金ではないが、少しでも役に立てればと思っています」と、王さんは言った。

 

人民中国インターネット版 2010年4月26日

 

 

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