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四川汶川大地震から2年 被災地を再訪

 

加速する「一対一」復興支援

喬天碧=文  趙渓=写真

インフラの「飛躍的発展」

2008年「5・12」四川汶川大地震の後、国務院は『汶川大地震被災後の「一対一」復興支援計画案』を発表し、東部及び中部の18の省・直轄市に対して、「一つの省による一つの重度被災県扶助」という方式での汶川大地震重度被災地区復興支援を求めた。「一対一」復興支援の期限は3年間で、各省市が毎年支援する物資と作業量は当省市の前年度財政収入の1%を下回ってはいけないと定められている。『計画案』によると、広東省は汶川県への「一対一」復興支援を担当しており、広東省内の13の市は汶川の13の郷や鎮と「一対一」復興支援の関係を確立している。

広東省珠海市の最初復興支援項目である汶川県綿虒鎮の城門
中央財政の直接振替決済は、中央政府の一貫した主な被災地救済手段であるが、汶川大地震の復興支援では、中央災害復興資金を基本とした上で、「一対一」復興支援を追加した。「一対一」復興支援とは、1970年代末、中央政府が採用した経済的に発達した内地の省市が辺境地域と少数民族地域を支援して、経済発展を促進するという重要な措置であった。30年余り以来、「一対一」復興支援の領域はその後経済から文化、教育、衛生など多方面に拡大し、支援の方式は経験・技術移転、人材交流、資金・物資支援などから、幹部交流、辺境貿易、外向型経済の発展などの方面にまで拡大された。

広東省の汶川県への「一対一」復興支援は、資金総額82億元に達し、その80%は民生プロジェクトに充当されている。2009年末までに、投資総額は30億元を超え、農村と市街地の住民住宅、医療衛生、上水道、道路、社会福祉、文化・スポーツ、及び農村公共サービス、農産物流通、防災避難施設などを含む「10大民生プロジェクト」の内の333項目がすでに完成し、実際に稼動している。さらに、新しく建設された市街地住民の住宅と公共サービス施設はすべて、「耐震強度9」の基準に従って、設計施工されたものである。各郷鎮ではすべて避難場所を設けるようにし、全県の新規避難場所の合計面積は5万平米近くに及ぶ。今、汶川では、「各家庭に住宅、各村に道路、各住宅に上水道、各児童に学校教育を」の目標を基本的に達成した。

珠海市汶川県綿虒鎮担当の「一対一」復興支援チーム総合部の李緒鵬部長は、「自分たちがこの1年間余り行ってきたことは、確かに震災前の数十年間に渡るできごとだ」と感じている。珠海市の「一対一」復興支援資金総額は3億4000万元に達し、「一対一」復興支援項目は55あり、民生プロジェクトはその内の88%に達している。

「一対一」復興支援によって、「地方は10年、20年、さらには50年の『時空を超えた復興』を実現させた」という言い回しが汶川の各郷鎮ではしきりに口にされている。現地のある担当者は言う。「インフラ建設面の『飛躍的発展』という表現こそが今の汶川の状況にはより適切なのだ」と。

「輸血」的支援から「造血」的支援へ

復興支援作業開始後、広東では200人余りの専門家や技術者を組織して、汶川県の町機能復興再建計画を編成した。2009年5月、『汶川県被災後の町機能復興再建総合計画』など13の郷鎮に関する全体的計画の編成が完成し、批准されている。

『計画』に基づき、汶川は阿壩新型工業集中発展区、岷江河谷近代的農業モデル区、羌禹生態文化体験区、防災減災モデル区を目指している。その内、九寨溝・臥龍自然保護区に通じ、その途上に位置する映秀鎮は観光業を基幹産業とする鎮に変貌しつつある。

震災前、世界文化遺産の都江堰市から34キロしか離れていない水磨鎮は、阿壩チベット族チャン族自治州で唯一のエネルギー高消費工業区であった。90平方キロメートルの区域内にエネルギー高消費、高汚染企業が60社余りも存在し、工業汚染が深刻で、農民たちが田畑に植えたトウモロコシは一粒も収穫できない有様である。広東省仏山と現地政府の計画の下、水磨鎮では現在、「汶川エコロジー的新しい街、西牆文化伝承の名物鎮」を目標に、懸命に復興再建に取り組んでいる。

水磨鎮で先ず着手されたのは工場の移転で、低汚染の五つの工場を残して、阿壩師範専門学校、四川音楽学院の分校を移転導入して、水磨鎮を阿壩州で唯一の幼稚園―小学―中学―高校―大学の完全な教育体系が整備された郷鎮へと変貌させた。

仏山市政府は3000万元を投じて、禅寿の古い街を再建した。街全体に四川省西部民家の古風で質素にして、しかも優雅な建築様式を採用し、門や窓の彫刻も精緻を極めている。古舞台や大夫の邸宅など明清時代の建築も再建し、全長800メートルの通りには、300戸余りの人家が軒を連ね、人々はそこで商いをし、暮らしている。

2009年3月、仏山は350万元を投じて、阿壩羌芽茶の生産基地の再建を援助し、今ではその生産高は震災前の6倍に達している。

仏山のある担当者は、「水磨を新しい街へと変貌させるだけでなく、持続的発展が可能な方法を探し出すように援助しなければならない」と語る。

実際のところ、水磨鎮と同様、四川省重要水源保護区域である汶川では、エネルギー高消費、高汚染工業の発展の是非について、震災前から果てしない議論が繰り広げられていた。生態系の保護と現地産業再建の援助を両立させるため、成都金堂県では、広東汶川工業パークが地域工業集中区としてすでに落成している。広東側ではすでに4億元の再建援助資金を準備し、目下、広東や香港などで展開されている企業招致活動を通じて、64のプロジェクトの導入と契約金額40億元の獲得に成功している。

物を超えた交流

「中国の国力から言って、政府が『一対一』復興支援を採用する必要など全くないのだが、『一対一』復興支援には、実は非常に深い意味がある」と、珠海市汶川県綿虒鎮担当「一対一」復興支援チーム工程部の張彤部長は語る。汶川大地震の被災地区は主に西部に集中している。中央政府は2000年から西部大開発戦略を実施しているが、自然環境などの複雑な原因で、東西両地域の社会及び経済的発展レベル上の格差は依然深刻化を増すばかりである。

水磨鎮禅寿の古い街

復興支援の過程で、復興支援担当者たちは「一対一」復興支援の深い意義を絶えず感じずにはいられない。広東省珠海市「一対一」復興支援チーム総合部の李緒鵬部長は、「綿虒鎮は西部に通じる戦略的ルートであり、西部は中国の水源地帯であることに気づかされた」と言う。李総合部部長は、「政府はここを復興させようとしているだけでなく、ここに道路、鉄道を敷設するなど、より良く建設しようとしている。そしてそれは戦略的視点から考慮されたことなのだ」と語る。

歴史愛好家である張彤部長は、西部地域に対する認識についても、「東部は経済的貢献、西部は戦略的貢献。自分の家の裏庭を建てるのに、復興支援をするしないの問題など存在しない」という独自の見解を持っている。数年前までは、西部地域を訪れる人々はビジネスマンが主だったが、今は公務員が主で、東部地域からの幹部は「国家」の概念に対するさらに正確な認識を持つようになった。

汶川県のある担当者は、「復興支援担当者が現地にもたらした最大の衝撃は、彼らの効率の良さだ。現地の私達にとって、『間もなく』とは1、2時間以内を意味するが、広東人にとっての『間もなく』とは数分でしかない」と語る。

「『一対一』復興支援は東西両地域において、物資面だけでなく、思想観念面、イデオロギー面での一大交流と邂逅でもあった」と、広州復興支援前線作業チーム工程調整部の徐明貴部長は語る。広州が「一対一」復興支援を担当する威州鎮は汶川の県城所在地である。復興支援の当初から、広州は復興支援に必要な物資だけでなく、その管理マニュアルやシステムなども現地に伝えることを目標とし、それが完了するまで撤収はありえないと考えている。

このような邂逅は、「一対一」復興支援の過程の中で随時目にすることができる。広州人の生活リズムは非常に速く、要求も非常に高いが、四川人の生活リズムは比較的ゆったりとしている。被災後のより迅速、且つ規範的な復興再建を推進するため、復興支援チームと現地地方政府の間では、相互理解を基礎とした密接な協力関係が徐々に形成されていった。

広州には、復興支援過程での厳格な履行監督制度とシステムが存在する。現地地方政府は広州側の高い実務能力に気づき、自らもその履行監督制度と効率検査制度を確立し始めた。徐明貴部長は、「現地幹部の考え方と実務能力は、復興支援チームが現地に来たばかりの時と比較すると、大きな差がある」と語る。

珠海市側と綿虒鎮側双方の自慢は、自分達だけが共同建設方式を採用して、「一対一」復興支援を進行させたことである。それは全プロジェクトの実施過程において双方が主体的であることを意味している。綿虒鎮の蔣芝輝鎮長は、「私達は家族であり、彼らは兄弟同様に付き合ってくれた。多くのことは本来なら、私達自身だけでやるべきだが、彼らは一貫して助けてくれた」と語る。

張彤部長は、「国が『一対一』復興支援方式で被災後の復興再建を行っていることには深い考えがあってのことだと思う。その内の一つは東西両地域間の相互作用的交流にある。現地の人達は我々の技術をより多く学んでいるし、私達自身も現地の文化をより多く学んでいる」と語る。

ポスト支援時代のための準備

綿虒鎮では、インフラの再建が基本的に完成したため、すべての復興支援項目は今年5月には終了する。地震の後、一人あたりの土地が半ムー(1ムーは約6.667アール)にも満たない綿虒では、復興支援項目終了後、いかにして発展してゆくかという問題に直面している。復興支援を担当する珠海市及び現地政府が共同で制定した計画によれば、観光業及びエコ農業が将来綿虒の基幹産業となる。張彤部長によれば、観光業を綿虒の基幹産業とするのは、ここには豊富な観光資源があり、さらに生態系の回復を考慮しており、また地元の人々には精神的な支柱となるものが必要なためであるという。「計画は『一対一』復興支援を長期的なプロジェクトにするものです。東西両地域共同発展の実現こそ中央政府が『一対一』復興支援を実行する真の狙いです」

この計画の実施に関して、珠海復興支援チームの責任者である陳仁福さんによれば、観光計画全体の完成には数億元の資金が必要になり、珠海市が1億元以上の資金を投入するが、残りは現地政府及び民間資金の投入が必要になるという。

「いまは外から引っ張り上げて、基礎をつくる手伝いをしてくれますが、最終的な発展は地元の人々自身が努力しなくてはなりません」と蒋芝輝鎮長。しかし、蒋鎮長によれば、綿虒と珠海は長期的な協力関係によって、復興支援チームが去るときには産業発展基金を残し、産業の回復及び発展の資金にすることになっているという。

大多数の『一対一』復興支援項目は今年後半には終了する。広東省の汶川に対する『一対一』復興支援も最終段階に入ろうとしており、人々の関心は「ポスト支援時代」の被災地の発展に向き始めている。広東省の汪洋省党委員会書記は「長期的協力のメカニズムの構築」の必要性を明確に表明している。

これに対し、四川省社会科学院副院長、四川省政府科学技術顧問団の郭暁鳴研究員は、次のように考えている。「現在、『一対一』復興支援をする側がリードする形で支援が行われているが、供給と需要には若干のずれが生じている可能性もある。復興支援をする側は大型のインフラ建設に注目しがちだが、村民たちが関心を持っている小さなものには手が回らない。引き続き長期的協力のメカニズムを構築してゆく過程では、利益を受ける側の需要を考慮する必要がある。特に被災地の長期的発展計画を制定する過程においては、地元の人々の意見に耳を傾けなければ、実施過程においてずれが生じてくるだろう」

将来的な協力発展に対し、もっとも重要なのは成果のメカニズムであり、それがなければ、協力は長期的なものにはならない、と郭院長は考えている。東西両地域の相互補完的互恵関係の構築を可能にすれば、例えば汶川の農産品などは、良いものができれば、復興支援側の市場に参入し、彼らの特色ある農産品の需要を満たすことができる。

もちろん、無償提供から産業発展の提携関係へ移行するには、中央政府の政策面からの推進が必要とされる。

 

人民中国インターネット版 2010年4月26日

 

 

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