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| 元文化部副部長 |
| 劉徳有
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| 1964年秋、新中国第1陣の日本駐在記者として東京に派遣された私は日本各地の日中友好のムードをつくづくと感じた。中日国交正常化という歴史的偉業に触れる機会を得たのは、記者冥利に尽きると言ってよかろう。 |
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| メディアプロデューサー |
| 渡邊満子
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| 1972年9月25日、田中角栄首相らは、国交正常化交渉のために北京へ旅立った。あの日、羽田空港22番スポットには多くの見送りが詰め掛け、特に野党の幹部までもが顔を揃えたのは異例の出来事だった。 |
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| 元東京銀行駐華総代表 |
| 大久保勲
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| 1971年4月にピンポン外交、7月のニクソン・ショック、10月の中国の国連復帰、翌年2月の米ニクソン大統領訪中、9月の日中国交正常化など、歴史に残る大きな出来事を、昨日のことのように思い出す。 |
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| 元国家ラジオ映画テレビ総局映画局局長 |
| 劉建中
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| 私は新中国成立以降の中日映画交流を目撃し、経験してきた。交流の歴史を振り返ると、中日の政治関係が正常なときであれば、映画または文化交流も盛んに行われていたことに気付く。 |
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| 全日空中国室常任理事 |
| 朱金諾
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| 今年は中日国交正常化50周年だが、全日空の中国路線就航35周年でもある。私は中日国交正常化の立役者として活躍した、全日空元副社長の岡崎嘉平太さんのことを思い起こしている。 |
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