荻原健司氏、「より多くの中国人がスキーを好きになる」

 荻原健司氏はスキーで名を上げた。冬季五輪2大会連覇というステータスも長野市長選で大きな力を発揮した。北京冬季五輪が近づくなか、荻原氏はより多くの中国人がスキーを好きになることを、またスキー産業が中国でさらに発展することを願っている。

 長野では1998年に冬季五輪が催された。市内の街ではよく長野冬季五輪のエンブレムを目にする。県庁の外のエンブレムはさらに目立っている。市長に就任してからわずか2カ月余りの荻原氏はここで、新華社の独占取材に応じた。荻原氏は北京冬季五輪への期待について、「より多くの中国人がスキーを好きになることを願っている。中国で多くのスキー場が建設されたと聞いているが、私が愛するスキー産業が中国で必ず繁栄することを願っている。北京冬季五輪という大きなチャンスにより、より多くの人々がウィンタースポーツに関心を持ち、自らチャレンジすることを心より願っている」と述べた。

 52歳の荻原氏は冬季五輪に4回出場した。1992年と1994年の冬季五輪では、ノルディックスキー複合(団体)で日本に2枚の金メダルをもたらした。荻原氏は選手を代表し1998年の長野冬季五輪の開会式で宣誓し、ノルディックスキー個人で金メダルを目指したが、残念ながら4位となった。2002年のソルトレイクシティ冬季五輪の後に引退を発表。荻原氏はその後政界に進出し、経済産業大臣政務官を務めたが、大半の時間はスポーツに身を捧げた。観光庁のスポーツ観光マイスターとして、日本のスポーツ観光、特にスキー観光事業の普及に取り組んだ。長野市長選の前にはスキーの指導者に就任した。北京冬季五輪の金メダル候補の渡部暁斗選手はその弟子だ。

 小学生の頃からスキーを始めた荻原氏は、「五輪が私を育んでくれた。このスポーツにより私は努力すれば収穫があることを知った。五輪は私を育み、教育してくれた。私の今日があるのはスキーと五輪のおかげだ」と述べた。

 自ら北京で冬季五輪を観戦できないが、荻原氏はテレビで観戦し日本の選手を応援するという。また弟子の渡部暁斗選手が冬季五輪2大会で銀メダルを獲得した後、北京で表彰台の頂点に立つこと、また長野の選手(スピードスケートの小平奈緒選手や小島良太など)が北京で好成績を収めることを願っているという。これらの選手は1998年の冬季五輪会場となったスピードスケート館で、北京冬季五輪に向け練習している。

 「今は市長に就任しており、長野市を離れられそうにない。機会があれば彼らの練習を見に行く。冬季五輪でもテレビで応援する」

 2008年の北京五輪の開催期間中、荻原氏は北京に約1週間滞在し、日本の選手が出場する柔道やレスリングなどを観戦した。当然ながら最も忘れがたいのは、「鳥の巣」で観戦したウサイン・ボルトが百メートル走で金メダルを獲得した瞬間だ。北京は荻原氏に深い印象を与えた。

 「北京は大都会で、五輪の会場は非常に素晴らしかった。あれほど多くの一流会場があるのだから、中国国内でもスポーツのブームが起こり、スポーツの素養がさらに上がり、得意とする競技も増えることだろう」

 荻原氏は長野で約30年生活し、冬季五輪が現地にもたらした大きな変化を見ている。長野市長選に出馬したのは、この冬季五輪開催都市に「恩返し」をし、37万人の市民のため奉仕し、長野を「より輝かしい」都市にするためだという。公務が忙しいが、荻原氏は毎朝6時にSNSでラジオ体操をライブ配信し、市民が積極的に運動に参加するよう働きかけている。

 「私はこのオンライン活動を市民との交流としている。日常的な運動がより多くの市民の生活の一部になることを願っている。市民が健康を感じ、心身の健康が幸福と幸運をもたらす。長野がそのような都市になることを願っている」

 最新の統計データによると、日本全国のスキー人口は冬季五輪が開催された24年前の1800万人から500万人未満に減少した。これは長野のスキー産業に大きな衝撃をもたらした。荻原氏は、長野の関連産業が多用なサービスを提供すること、またより多くの外国人客を集めスキー産業を盛り上げることを願っているという。また長野市は積極的に札幌による2030年冬季五輪の招致を応援している。招致が成功した場合、長野は関連会場を利用し、札幌の冬季五輪開催を全力でサポートする。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年1月17日

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