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芳醇な香りと極上の味わい 「茶海」が育む自然の恵み

 

茶道 茶礼 茶俗

茶の故郷では、茶人たちと語り合うなら当然茶事、茶礼、茶俗、茶文化のことを語り合わずにはいられない。

古代の人々は、元々茶を治療薬として飲用していた。現在、養生専門家たちは茶に暑気あたりの防止、唾液の分泌促進、目の保養、解熱、解毒、消化促進、下痢治療などの効果があり、茶を常飲することは長寿の一助になると見ている。

唐代では、文化人たちの間で茶を飲むことが流行り始め、茶を以って作法を身につけ、高雅で気品ある志を養っていた。特に陸羽は、さまざまな景勝地を行き巡り、泉を訪れては茶を尋ね、有名な高僧大徳と共に茶道を探求した。陸羽が人生の大半を費やして書き上げた『茶経』は、茶の栽培、製茶、茶の飲用などの経験を体系的にまとめ、陰陽五行の弁証法や道教の天人合一、儒教の中和思想、中華古典の美学理念などの精神的な文化を茶事活動と結びつけ、「茶道」という高雅な文化に昇華させた。

中国茶道の精神に含まれているのは「和、静、怡、真」だ。「和」は、茶道の哲学思想の核心であり、すなわち世の中の万物において、余すところなく益をもたらしながら陰と陽は調和を取っているという意味だ。また、穏やかさと善良さをもって他人に接し、誠意ある生き方を心がけ、事業において一致協力して困難を乗り越えること、そして国々が平和のうちに共存するという意味も含まれている。「静」は、茶道の修業の道を指し、心を静まらせることにより、初めて修養を積み、品性や品格を磨くことができる。「怡」は、茶道に携わる者が心と身体で享受できるものであり、地位、信仰、文化などが異なっていても、すべての人々が茶事から楽しみや喜びを見いだすことができる。「真」は茶事を通じて真の道、真摯な感情、真の品性を追い求め、人生において真・善・美の境地に達することを意味する。

栗香茶業集団公司のブランド茶「貴州印象」の茶葉選別エリア

現在、湄潭の茶人は、みな穏やかで物腰が上品であり、また謙遜で礼儀正しく、茶道にふさわしい風格を備えている。

民間に伝わっている茶礼、茶の習慣は温かくて、素朴なものだ。湄潭では、客を迎える際に茶は不可欠で、さらに「寒夜客来茶当酒(寒い夜に客がやってくると、酒の代わりに茶でもてなす)」という詩があり、茶が酒の代わりに客への接待に用いられることもある。春節(旧正月)には、湄潭の人々は茶の贈り物を持って親戚や友人を訪ねるが、これを「送茶」という。親族や友人を答礼訪問する際に贈る茶は「還茶」という。湄潭では人生儀礼においても、茶は極めて関係が深い。たとえば、昔は縁談の際に、仲人が女性の家に行って仲立ちをすることを「問茶」と呼び、「下茶」とは、女性の家に結納を納めることを指し、結婚を催促することは「催茶」という。また、湄潭では建物を建てる際、厳かに魯班を祭る儀式に、二碗の「浄茶」は欠かせないものだ。

現在、湄潭で定期的に開催される貴州茶文化祭は、多彩な文化イベントや豊富なビジネスチャンスで、各地の茶商人、観光客、文化人を引き付けている。

茶葉を戦争用物質と交換

1937年7月7日、抗日戦争が全面的に勃発した後、華北、華東、華中の多くの国土が占領され、国民政府は都を重慶に移した。東南沿海部が日本軍に占領され、茶葉やシルクなどの伝統的な生産品の輸出ルートが遮断された。政府は張天福(1910年~)ら茶葉専門家の提言を受け入れ、南西部山地で茶葉の生産地や研究基地を建設し、雲南とミャンマーを結ぶ国際道路を通じて、茶葉を輸出して、抗戦に必要な武器と弾薬を手に入れようとした。

1939年4月、当時の中央農業試験所や中国茶葉公司は張天福らを派遣して、貴州各地で視察を行わせた後、山紫水明で、気候が穏やかで湿気も高く、茶の栽培に最適な湄潭を選び、中央実験茶畑を設立した。そして四十数名の茶葉、昆虫、農芸、林業などの分野で活躍している専門家がやってきて、500ムー(1ムーは約667平方㍍)以上の茶園をつくり、浙江、福建から上質な茶種を取り寄せた。彼らは茶の栽培や製茶の傍ら、茶の木についての資源調査、栽培や育種、防虫、製茶にかかわる研究を行い、多くの成果を収めた。1940年、欧米人が紅茶を好んで飲む習慣に着目して、「湄紅」を開発した。その高い品質が評価され、欧米、西アジア、オーストラリアなどの地域で広く販売された。

湄潭の「茶海」で茶摘みに精を出す農業従事者

そのとき、戦火は浙江大学の教師や学生たちを湄潭へと向かわせた。英国科学史家のジョゼフ・テレンス・モンゴメリー・ニーダムから「東方のケンブリッジ」と讃えられた浙江大学は竺可楨、李四光、蘇歩青、王淦昌、貝時璋、呉有訓などの優秀な科学者を擁していた。彼らは、僻地の山村でも西湖龍井のようなおいしい茶が味わえるとは思ってもみなかった。それで喜びのあまりに、そこの緑茶を「湄潭龍井」と名づけようと提案しただけでなく、頻繁に茶園へ行って、製茶を見学したり、茶を味わいながら詩を詠んだりしていた。生物科の教師と学生は茶葉の成分を分析したり、製茶工場で見習いをしていた。卒業後、製茶工場に就職した学生たちもいた。

湄潭茶とのかかわりは、浙江大学の教師と学生にとってすばらしい思い出となった。ノーベル物理学賞を受賞した李政道氏が浙江大学で学んでいたとき、よく近くの永興茶館で座席代を払って、お茶を飲みながら、本を読んだり、勉強したりしていた。数学者の蘇歩青氏は、湄潭を第二の故郷だと思っている。蘇氏の夫人は日本留学時代の恩師の娘で、茶を好み、茶道に造詣が深い。彼女は中国に来てから、西湖龍井を好むようになったが、湄潭に移転すると、今度は湄潭の緑茶を好むようになった。「湄潭の人々は人柄が良く、お茶もおいしいです。お茶が日中友好の架け橋になりました」と彼女は語った。

 

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