「漢学研究は、日本自身の研究に他ならない」
80歳を過ぎたほっそりした顔、時おり酸素吸入パイプがひゅうひゅうと音を立てる。この老人こそ町田三郎先生、畢生の力を中国古代思想史の研究に注いできた人物だ。近年は年齢により体調が思わしくなく、取材はほとんど受けてこなかったということで、改めて先生をわずらわせたことに感謝とお詫びの気持ちを表したい。しかし、町田先生はいったん日本の漢学研究における歴史とその現状について語り始めると滔々とよどみなく、口をはさむことさえ難しいほどだった。
病床にある町田先生は、紀元7、8世紀から江戸時代末まで、日本の学問の主流が疑いもなく中国の古典書籍からのものだったと紹介してくれた。明治初期、政府は教育上で全面的な西洋化を採用し、すべての課程を英語で行うことにしたため、多くの漢学塾で教育を受けた人材が東京大学のような高等学府に入学できない事態を招いた。しかし、その後日本の学界は、漢文がなければ日本の歴史も書き起こしようがないことに気づいた。そして、明治天皇の主導で各大学は次々と「古典講義科」を開設し、日本の古くからの漢学を、中国文学、中国哲学、中国史などの科目に分けて指導するようになり、それは現在まで続いている。
日本の漢学重視は漢学の大家を輩出する大きな要因となった。彼は「私たちの世代の漢学研究者は“幸せな世代”と言えるでしょう。幼い頃、私たちは専門の漢字、漢文教育を受ける機会がありました。青年時代は、深い造詣を持つ漢学の大家の指導を受けられました。私たち漢学研究者は一貫して邪魔を受けることなく漢学の古典研究に没頭することができました。これこそが私たちの世代とその前の先輩たちから多くの漢学の大家が生み出された原因です」と語った。
現在、漢学の大家は多数いるが、大家たちは漢学研究の意義をどう評価しているのだろうか? 町田先生は、東洋の美意識とイマジネーションはまさに中国文化の真髄のありかで、中、日、韓など漢学圏国家が共有する貴重な財産だと考えている。たとえば、2000年も前から、中国の文学作品では広く白という色彩で月の光が描写されてきたが、類似の表現は西洋では19世紀になってようやく文学作品に出現するようになった。グローバルな文化環境を結びつけ、彼は「現代社会において、西洋文化、特に米国文化が世界を席巻する背景にあって、私たちはよりはっきりと意識する必要があります。米国文化はむろんそれ自体の良さを持っていますが、米国自体は悠久の歴史の蓄積を持ちませんし、米国文化には千年伝承されてきた名作古典もありません。ですから、漢字圏国家の若者、特に青年研究者たちが心を落ち着かせ、すでに千年の歳月に洗われ試された中国古代の名作から智恵と栄養を汲み取り、現代人の精神世界を潤し充実させてほしいと願っています」と語る。
漢学研究における前人の事業を引き継ぎ未来を切り開いてきた町田先生は、60年前に武内義雄、金谷治など中国思想史研究の大家の研究の伝統を引き継ぎ、自身が漢学大家となった今、新たな世代の漢学研究者に要求を出している。
やせ細った頬、ひゅうひゅうと音を立てる酸素吸入器、病床での生活にある町田先生は、私たちに次のような訓戒をくれた。「日本の思想史を研究したいなら、日本の神道や神社などを研究するだけではいけません。日本思想史の中で、中国古代思想が東アジアに伝わったこの一大背景を研究に加えることが必要です。ある意味で、漢学の研究は実際には日本の研究でもあるのです。江山代々才人出づる有り(天下には代々才能にあふれる人が出現する)と言いますが、若い世代の漢学研究者は歴史的責任と使命を担わなければなりません。先輩研究者を手本として、漢学の発揚を自分の務めとし、清貧に甘んじて、名誉や利益を求めず、中日両国の数え切れないほどの古典書籍の研究に専心し、現代の目と、より先進的な方法で研究を加えるべきです。私は、現在の若い漢学研究者から、一日も早く優れた能力を持ち、度量が大きく、広範な社会社会的発言権を有するリーダーとなる人物が現れることを期待しています」(文=謝宗睿 編集=張一)
人民中国インターネット版 2013年8月28日 |