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多才な文人が到達した草書の「味わい」
書道家 惲建新 氏

本誌特約ライター・諾曼 

 

小説家として文学賞も

 

プロフィール
惲建新 (Yun Jianxin)   1945年江蘇省常州市武進区生まれ。草書、隷書に優れ、特に大草を会得している。作品集に『杜甫秋興八首草書冊』などがある。現在は中国書道家協会会員、江蘇省作家協会会員、中国滄浪書社会員、江蘇省作家協会書画連誼会副会長など。

武進は、蘇州、無錫、常州などの地域に古代から続く呉文化の常州市における発祥地だ。明末・清初の書画家惲南田を代表とする「常州画派」は、中国画史上に不朽の足跡を残している。惲建新氏もこの地の文人の家に生まれた。幼いころから祖母の指導を受けたが、「祖母は字を書いた紙を見ると、いつも腰をかがめて拾い上げ、一定の数量に達するとまとめて燃やし、汚されたり破損されたりしないようにしていました」という。彼女は惲氏に、「勉強では、字や紙を無駄にしてはいけません」と教えたが、その時から、惲氏は神聖で歴史ある文字とその芸術に魅せられていった。

彼は小学生の時からなぞり書きを始め、中学では顔真卿の字体を模写し、後に江蘇師範学院(現在の蘇州大学)で系統的に書道を学んだ。庭園都市の蘇州は静かで落ち着きがあり、深く広い文化的な雰囲気は彼に芸術的な薫陶を与えた。大学卒業後は中学教師になり、その後文化センター、文学芸術界連合会(文連)で仕事をした。1977年、彼は『茅山故事』という小説を書いてセンセーションを巻き起こした。そこから彼は作家に転身し、演劇、演芸、小説などに通じ、南京市の第1回、第2回金陵文学賞も受賞した。

「文人と学者が書道家になれるとは限りませんが、本当の書道家は必ず文人、学者でなければなりません」と彼は話す。2013年11月、北京大学で行われた「惲建新書法芸術展」では長さ100メートルに及ぶ草書の作品『白居易詩選』、草書で蘇軾の『赤壁懐古』を書いた作品などが展示された。

 

 

各時代の書体研究の末に  

 

宋・蘇軾の詩『飲湖上初晴後雨』

35cm×69cm  2011  

惲建新氏は40年にわたって草書に打ち込んできた。唐代の李北海、顔真卿から着手し、時代に沿って宋代の蘇軾、米芾、明・清時代の董其昌、趙之謙を学んだ。その後、さかのぼって東晋の王羲之と王献之、漢・魏時代の碑刻(石碑の文字や絵)も研究し、さらに近代の林散之なども大いに敬慕している。そして、最終的にやせて力強く迫力のある自らの字体を確立した。  

現在、多くの人が書道に触れたばかりの時から、すぐにそれを極めたいとあせる。彼は、「書道は初歩段階で最低3~5年かかり、一生研究を続けなければならないかもしれないもので、そうしてこそ得るところがあります。それは登山のようで、一歩ずつ上に向かって登り、一定の高みに達するたびに、異なった景色を理解していきます。途中で道がなくなったと感じれば、いろいろ探し求め、また新たな道を歩み出すのです」と話している。  

また、「書道を絵画にしてはいけません。字を書く場合、一部の人のように絵を描くように紙の上にたたきつけたり、塗りつけたりしてはならず、『御気而行』でなければなりません」と彼は指摘する。「御気而行」とは、彼が長年の書道に対する研究からたどり着いた境地だ。「御」は墨が紙の上で留まってもいいがそこで死んではいけないことを、「気」は水と同じように、いわゆる筆は止めても気はそこで終わらないことを意味している。  

しかし、彼は「気」があるだけではまだ不足で、「気韻」を追い求めなければいけないと言う。「気韻とは字の姿を指します。例えば顔立ちは整っているけれど味わいがない女性がいる一方、ある女性は顔立ちは平凡で整っていないが極めて風情に富んでいるのと同じことです。文字を書くにはそうした味わいを出さなければなりません」と彼は話している。

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