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運河が育んだ楊柳青年画

 

歴史の「生きた化石」

楊柳青年画の題材は広く、歴史物語から神話・伝説、伝統演劇、小説、さらに風土・人情、花、鳥、魚、虫まで、あらゆるものを網羅している。歴史上や文学中の登場人物から美人、子どもまで人物の姿もさまざまだ。1万枚以上の版木を所蔵する楊柳青木版年画博物館を訪れれば、まるで歴史をさかのぼったかのように、美しく繊細な版画の数々から昔の中国人の世俗生活や社会の様子、幸福に対する期待を感じ取ることができる。

『仕女游春』(清代、101.5×55.5cm×2)

中国の伝統的な祝日である春節には、餃子を作り、年始回りをし、爆竹を鳴らし、さらに吉祥の意味を込めた年画を貼る。楊柳青年画と天津の民衆の生活は密接な関係にある。新年を迎えるにあたって人々は玄関にちょうちんを下げたり、切り紙を貼ったりするが、より欠かせないのは2枚1組の魔除けの門神を貼ることで、これは年画の最も古い題材だ。玄関の他に、中央の客間に貼る年画もある。水や穀物、野菜を入れるかめの上の壁には大きな鯉を描いた年画を貼るが、これは「魚」と「余」の発音が同じことから「連年有余(毎年ゆとりがある)」を意味している。台所にはかまどの神を、寝室には「連生貴子(続けて子どもが生まれる)」という意味の年画を貼る。これらの年画は翌年になって貼り替えられるまで、人々の生活を1年間見守る。博物館に所蔵されている年画のうち、最も古く大きなものは『明朝八秩栄慶代八宝中堂』という明代の作品だ。これは客間に飾る年画で、民間に伝わる福禄寿三星と呼ばれる3人の神が描かれており、めでたい雰囲気に満ちている。満面の笑みをたたえた福星は幸福と吉祥を表しており、桃を持っている寿星は百歳の長寿を表しており、禄星は名声や報酬を司っている。見た目が良くあか抜けた感じのする禄星は女性に人気があり、子授けの神とも言われることから、年画では赤ん坊を抱いた姿で描かれている。

年画は時代を反映しており、異なる年代の楊柳青年画は異なる特徴を有している。清の咸豊年間(1851~61年)には個人崇拝に反対する社会の風潮があったことから、年画に人物は登場せず、山水の風景や草花、虫が多く描かれている。物語も比喩的な表現を使っており、例えば『英雄会』という作品では、「鸚」と「英」、「熊」と「雄」がそれぞれ同じ発音であるため、鸚鵡と黒熊を組み合わせて「英雄」を表現している。清末民初、維新運動が広まるにつれて、男女平等・女性解放の思想が西洋から中国に伝わったころの楊柳青年画は、「女子が自ら向上に励む」ことを主題として、大量の文章を添え、女性が家庭の束縛から抜け出し、生産労働に参加したり教育を受けたりして男性と平等の社会的地位を獲得することを奨励している。また、清代は労働力が不足し、社会の生産力が低下し、どの家庭も家族が増えることを望んでいたので、多くの子どもと幸せを祈る「連生貴子」や、子どもの学業成就を祈る「鯉魚躍龍門(鯉の滝登り)」も非常に人気を集めた。

『譲成都』(清代、65.5×109cm)京劇「譲成都」を基に、三国時代の人物である劉璋(右)が両手で印を持ち、成都を劉備(左から2人目)に譲る場面を描いている

時代背景との関係のみならず、楊柳青年画は民衆の生活のさまざまな側面をも反映している。清代、北方の民衆は京劇を大変好んだので、絵師は舞台上の役柄である「生、旦、浄、末、丑」を画仙紙の上に表現し、「楊家将」や「三国演義」など、数多くの京劇の演目が年画に登場するようになった。人物の眉や目、ひげなどはとても細かく描かれ、舞台衣装の色使いも本物の通りだった。これらは絵師が自ら観劇した後、観たばかりの舞台に基づいて描いたものだと言われている。今では、当時流行し年画に描かれた演劇の要素は、専門家が演劇研究をする際の参考にもなっている。

開削から千年以上経つ運河の流れはいまだ止まらず、今日、民衆に根付いた楊柳青年画も依然として伝統を引き継いでいる。年画はまるで民間の大百科事典のようだ。年画を鑑賞する時、われわれは歴史を読み、歴史の記憶を追い求めているかのような気分になる。伝統も技術も変わらないまま、楊柳青年画は若い職人たちの手で、さらに色濃い伝統の香りを放っている。

『荘稼忙』(清代、63.5×103.5cm)穀物を刈り入れて日干しする豊作の光景を描いている

『天仙送子』(清代、119×66cm)

 

人民中国インターネット版

 

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