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中日交流のDNAを財産に

中村法道 長崎県知事に聞く

聞き手=于文 写真=呉文欽

中国の春節(旧正月)に合わせて約2週間行われる「長崎ランタンフェスティバル」は、毎年100万人以上の観光客が訪れる一大イベントだ。中国と長い交流の歴史を持ち、中日関係が困難な時期にも友好の絆を保ってきた長崎が祝う「新年」は今年も盛況だった。

中村法道・長崎県知事

今年は第13次5カ年計画開始の年であり、中国が発展の方向性や諸外国との協調姿勢をどう示すかに注目が集まっている。日本国内で中国の経済成長や中日関係を懸念する声が絶えない中、「中国との共生」を強く願っている中村法道・長崎県知事に中国との関わりや今後の交流強化などについて聞いた。

――長崎県は数世紀にわたって中国と密接な関わりを持ち続けてきました。長崎県内出身で、県庁にも長く勤められた知事が身近に感じる「中国」についてお聞かせください。

中村法道知事 長崎から東京に行くよりも、むしろ上海に行く方が早いくらいの距離ですから、中国とはまさに「一衣帯水」。自然と親しみは深まります。交流の歴史も長く、17世紀の長崎には日本人7万人に対し、中国人が1万人いたという記録が残っています。

私の母は長崎市で食堂経営をしており、ちゃんぽんや皿うどんをよく作ってくれましたが、ルーツが中国のものであると知ったのは、ずいぶん大きくなってからのことです。いかに長崎県民の生活に「中国」が溶け込んでいるかがお分かりいただけるでしょう。

2015年11月に上海で開かれた長崎鮮魚中国進出10周年記念式典。関係する日本料理店やホテル、高級スーパーなどに中村知事が感謝状を贈呈した(長崎県提供)

長崎鮮魚中国進出10周年記念式典の際には、長崎産マグロの解体ショーも行われた(長崎県提供)

近代以降も、長崎県は全国に先駆けて中国との交流を進めてきました。1972年の国交正常化の前年には、当時の久保勘一知事が「中国は一つ」と県議会で発言し、さらに県議会が政府に対して「日中国交回復と貿易促進に関する要望決議」を行い、国交正常化から間もなく日本の地方自治体初の友好訪中団を派遣し、熱烈歓迎を受けています。これも長崎県が中国を身近な存在としているからです。この価値観は長崎県にとっての財産でしょう。私は「県民のDNAに組み込まれた思い」と例えています。

――2010年の知事就任後、すでに11回訪中されているそうですが、長崎で見る「中国」とは違った発見がありましたか。

中村 知事就任前にも何度か中国を訪問しております。最初は1980年代の福建省で、古い街並みが幼少期の長崎に重なりました。お菓子屋さんにアルミのふたの四角いガラス瓶があったのですが、これが日本の昔のお菓子屋さんにあった物と同じで、もしかして中国から伝わったのかと想像してしまいましたね。

2015年11月、福建省訪問の際、隠元禅師ゆかりの萬福寺を訪ねた(長崎県提供)

その後訪中を重ねるごとに、目覚ましい発展に目を見張っています。日本の近代化のスピードの何倍にも感じられ、我々ももっと頑張らなければと気が引き締まる思いです。しかし中国の方々の親しみやすさ、信義を重んじ関係を大切にする心は変わりません。それにも毎回感激させられています。

――中日関係が難しい時期にあっても、長崎県は中国との交流を絶やしませんでした。知事ご自身、また長崎県が関係回復に注力された点をお聞かせください。

中村 私の知事就任は上海万博開催の2010年で、長崎の中国総領事館開設25周年でもありました。就任直後の訪中では、習近平国家副主席(当時)に会っています。習副主席は友好県省の福建省に長くおられた関係で長崎にもいらっしゃっています。県庁で職員が廊下に並んで拍手で出迎えたことが印象的だったとのことで、これからは民間・地方交流が必要と強調されていました。

「世界新三大夜景」としても有名な長崎の夜景。長崎では山の上まで住宅が建ち並ぶため、夜のなると家のあかりで立体的な造形がつくられる(長崎県提供)

昔は長崎と上海の間には定期航路がありましたが、戦争中の1943年、機雷に触れて沈没したのをきっかけに途絶えました。この航路を復活するのが私の悲願で、2011年にはその目標を達成したのですが、翌年に島の問題が勃発したことで旅客が減り、運航休止になったことが今でも残念でなりません。

――2011年の上海―長崎航路復活では、『人民中国』も乗船取材をしました。運航再開を心から祈ります。

中村 そうでしたか、ありがとうございます。定期航路の件は残念でしたが、交流事業についてはほとんど支障がありませんでした。両国関係の改善に長崎県ができることはないかとさらに考え、新日中友好21世紀委員会の会合の長崎開催の請願をしました。2013年7月には日中平和友好条約35周年の記念シンポジウムを開催し、西室泰三・日本郵政社長や周明偉・中国外文出版発行事業局局長などを迎え、日中友好の在り方について討論しています。その後の訪中では{ようけつち}楊潔篪国務委員ともお会いし、2014年6月には中国で新日中友好21世紀委員会が開催され、率直な意見交換を行いました。いずれの会合でも、日中友好に長崎が果たした役割への理解と、「両国関係が難しいほど地方交流・民間交流を盛んに」という主張への賛同をいただき、感謝しています。

長崎に寄港するクルーズ船を利用する中国人観光客も少なくない。2014年49隻、15年180隻と大幅な増加を見せ、さらに今年は260隻を見込む(長崎県提供)

――最近は中国人観光客の増加が話題です。長崎県の昨年の中国人観光客数も一昨年の10倍増、20万人以上と激増しているそうですね。

中村 実は、長崎県は知名度の割に「行ってみよう」という方が少なかったんです。そこで中国の{ヨウクー}優酷(動画共有サイト)や{ウェイシン}微信(中国版LINE「ウィーチャット」)、{ウエイボー}微博(中国版ツイッター)などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じ、情報発信を積極的に推し進めたところ、効果が表れたようです。

長崎名物のちゃんぽんと皿うどんは、長崎に住んでいた中国人が伝えた料理がルーツ。ちゃんぽんは福建の湯肉絲麺をベースにつくられたと言われている(左)。また、恵まれた自然環境の中で育つ長崎和牛は、「和牛のオリンピック」で内閣総理大臣賞(名誉賞)を受賞するほど、高品質なことでも知られている(右)(長崎県提供)

長崎の魅力は豊かな自然と、長年の海外との交流による独自の文化ですので、今後はより一層、長崎と中国の「縁」を広めていきたいと思っています。孫文と長崎県出身の実業家・梅屋庄吉のストーリーは特に有名ですが、ほかにも長崎に来航した{おうばくしゅう}黄檗宗開祖の隠元、長崎生まれの{ていせいこう}鄭成功、長崎から福建省に渡って密教をもたらした弘法大師など、長崎と中国を結ぶ人物を通し、心のつながりが歴史を強固にする事実を伝えたいと願っています。

――中国人観光客の激増が日本経済にさして潤いをもたらしていないという声や、中国の経済成長に対する懸念の声が日本国内にあるようですが、このような考えをどう見ていますか。

中村 中国人観光客が多数長崎に来ることが経済活性化に寄与していることは確かで、飲食、宿泊、観光施設への波及効果は極めて大きいでしょう。今は観光分野が人手不足になっているほどで、長崎の経済の大きな支えとなっています。

中国の経済成長鈍化を悲観する必要はないと思っています。5%の成長率を鈍化と言うのなら、5%の伸び率すら達成できていない日本はどうなるのでしょう。成長は成長として受け止めるべきです。

昨年、中国の動画発信サイト優酷(ヨウク―)で大人気の、日本全国を紹介するインターネット番組「お助け!?モンちゃんZ」でも長崎を紹介、閲覧数は50万を超えている(長崎県提供)

長崎県は中国に物産も輸出しています。鮮魚はすでに35都市、550店舗で扱われ、高評価を得ています。中国の市場は桁違いに大きいですから、日本の各分野の企業に積極的に進出してもらうと同時に、中国企業の長崎への投資にも期待できます。

――中日関係は回復の兆しを見せていますが、不安定な要素はまだあります。今後一層の友好関係をつくるための方向性について、どうお考えでしょうか。

中村 垣根を設けることなく、民間を含めた交流のチャンネルを増やし、信頼関係を強化することで友好的な交流人口を増やしていくことが必要です。日中間の四つの基本文書には、全ての課題を平和的手段で解決すると明記されています。平和があってこその関係構築です。

旧正月を祝うランタンフェスティバルでは、中国らしい極彩色のオブジェや無数のランタンに、長崎市の繁華街が彩られる

 長崎は海外との交流の中で発展してきた街です。そして長崎県民にとって平和は心からの願いです。日本と中国は引っ越せない関係だからこそ、障害が生まれるのはお互いに不幸です。話し合いを絶やさず、機会を設ける努力を続けていくことを願っています。

 

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