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ピンポン球で結ばれた中日の子どもたち

 

「中日友好都市の小学生による卓球交歓大会」の会場

  昨年夏、北京で中日の小学生500余人が、卓球の試合を通じて友情を深め合い、楽しんだ。北京・首都鉄鋼集団のバスケットボールセンターで、「日中友好都市の小学生による卓球交歓大会」が開催されたのである。

 

中日の小学生がペアに

 

中日間の卓球の試合は数え切れないほど多いが、今回の試合は特殊なものであった。中日の友好都市がペアになり、双方の都市から男女の小学生選手を一人ずつ出して、いっしょに団体戦に参加する。そのうち混合ダブルスは、両国の子どもで構成されなければならない、と決められたのである。

 

中日の小学生選手たちがペアを組んで試合に参加するという方式は、確かに新しいやり方である。中国日本友好協会の王金平秘書長によると、中日友好都市の卓球試合は今回で4回目。1992年に、中日双方の友好的な人々がこうした活動で、中日国交正常化20周年を祝おうということになった。

 

卓球は、中日両国で大衆的人気のあるスポーツであり、両国が最初に交流を始めたスポーツ種目である。また、中日の友好都市がペアとなって試合に参加する方式も、双方の親近感をいっそう深めることができる。1992年の第1回のあと、5年に1回、挙行されてきた。

 

現在、中日間で、236組が友好都市・友好地区関係を締結している。さらに積極的に交流している一部の都市と地区も増えているので、友好都市卓球試合に参加を申し込む人数が次第に多くなってきている。このため選抜が行なわれ、今回は中日双方がペアとなって58の代表チームがつくられた。さらに、これまでの試合は、成人と中、高校生の間で行なわれてきたが、今回は小学5、6年生で行なわれることになった。

 

ちびっ子選手の黙契

 

東京・北京チーム(奥)と河北・鳥取チーム(手前)の混合ダブルスの試合

 「加油!(がんばれ)」。試合会場で、東京から来た森薗政崇君は中国語で絶えず自分自身の士気を奮い立たせた。彼の中国語の掛け声に、多くの観客が引きつけられた。

 

政崇君は12歳。身長は1.36メートル、体重は28キロ。同じ年齢の子どもと比べて、彼は明らかにやせっぽちである。しかし球を打ち始めるや、とてもうまく、とりわけ一球打つごとに大きな叫び声をあげる。

 

いっしょに中国に来た父親の森薗誠さんは、政崇君のコーチをしている。政崇君は小さいときからお姉さんがピンポンの球を打つのを見て、すぐに卓球に夢中になった。父と姉の指導の下で、卓球の練習を始め、先日、日本で行われた同年齢の全国大会で、政崇君はチャンピオンになり、マスコミは「ピンポン王子」と称えた。

 

森薗政崇君の打つ球は、正確無比である
 政崇君は以前、中国に卓球を学びに来たことがある。しかし、中国の選手とペアを組んだのは今回が初めてだ。混合ダブルスで、彼のパートナーとなったのは、北京の什刹海小学の曹匯文ちゃんである。2人は初めて顔をあわせたが、匯文ちゃんは内向的な性格で、おしゃべりが苦手だ。だから2人は、普段はあまり話をせず、試合前の練習も非常に短かかった。

 

しかし、ひとたび試合が始まると、二人の呼吸はぴったり合った。政崇君はこう言う。「言葉では通じ合うのは難しかったけれど、試合のときはちょっとした目つきや動作で、僕たちは互いの意思をはっきり分かり合うことができました。卓球での意思疎通は、そんなに大きな障害はありませんでした」

 

十数年前の思い出

 

試合会場のスタンド席で、20人以上の小学生たちが色とりどりの旗を掲げて選手たちを応援していた。この子たちは広東省広州市から来た応援団である。広州市の少年宮(少年の家)の主任をしている李璧キンさんは「広州市では、少年宮が今回の中日小学生による卓球試合の仕事をすることになりました。たちまち五十数人の小学生が参加を申し込んできました。そこで私たちは選抜のための試合を行いました。ちょうど夏休みなので、私たちは子どもたちを連れて、北京まで応援にきたのです」と言った。

 

河南省と三重県は友好地区の関係を結んでいる。河南・三重チームの4人の選手たち
 広州市と福岡市は1979年に友好都市となった。今回の試合では、福岡代表団も十分な準備をしてやってきた。福岡市卓球協会の吉村美智恵・副理事長は、中日友好都市の卓球交歓大会に特別な感情を抱いている。

 

1992年、吉村さんは選手としてこの大会に参加した。その時のことを振り返って吉村さんはこう語る。

 

「当時、私は中国に来て試合に参加できました。私は中国の男子の選手とペアを組み、混合ダブルスに出場しました。彼はレベルが高く、私たちの息もぴったり合っていました。試合が終わったあと、私たちはいっしょに万里の長城へ観光に行きました十数年後、吉村さんは、今度は福岡代表団の団長として、再び中日友好都市の卓球交歓大会にやってきた。しかし残念なことに、帰国後もずっと連絡を保っていた中国のあの男子選手は、数年前、病気で亡くなってしまったそうである。だが、卓球で結ばれた友好の気持を吉村さんはいまも心にしっかりと抱いている。

 

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