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君子の交わりを築こう

 

筆者
 21世紀に入り、中国の国家元首が初めて日本を訪問するが、これは今年の中日関係の中での大きな出来事であり、国際社会からも広く関心を集めている。胡錦涛主席の訪日はまさに『中日平和友好条約』を締結30周年に当たり、「氷が張り」「氷を割り」「氷を融かす」という段階を経た後の中日関係を、健全で安定した発展の軌道に乗せるものである。今度の訪問のイメージを、重要な意義を持つ、歴史的な「温度を上げる旅」と比喩的に言う人もいる。

 

中日関係を全面的に改善することは、両国人民から大いに支持されており、国際社会からも広く歓迎されている。長い間、中日関係の仕事に携わり、その発展に非常に関心を持ち、心を砕いてきた者として、私は、多くの人々と同様に、この訪問の成功を願うとともに、中日関係が好転し、創造的な戦略的パートナーシップが打ちたてられることを心からうれしく思い、両国の未来に対し確信を深めている。

 

中日関係の今後の方向と趨勢に関して、私は「慎重な楽観派」である。私が楽観しているのは決して根拠がないことではない。

 

第一に、中日関係のこうした転換は、政治家の政治決断の結果であるとはいえ、それ以上に民意を真に体現したものであるからだ。中日双方のさまざまな形の世論調査の結果から見ると、両国の青年や学生、一般庶民の中で、中日関係がさらに改善すると楽観視している人が75%を超えている。また両国関係の発展の前途に対し、少なくとも「慎重な楽観」的な見方をしている人もこれまでより多くなり、65%に達している。

 

第二に、中日間に創造的な戦略的互恵のパートナーシップを打ちたてるという考えが人々の心をつかみ、各分野での実質的関係の発展はすでに新たな段階に入っていることだ。中日両国は、大きく変動し、大きな調整の過程にある相手国を再び新たに認識し始め、互いに相手に対する見方や位置づけがさらに「実事求是」(事実に基づいて真実を求める)になり、関係する政策の策定もより理性的になりつつある。

 

第三に、二国間関係の発展のレベルを高めることは、それぞれの既存の利益を考慮するばかりでなく、双方の共通の利益からも必要なことである。グローバル化が絶えず進み、地球全体にかかわる問題が日増しに顕在化してきている今日、互いに利がある「ウィン・ウィン」や調和のとれた協力は、すでに大勢の赴くところとなっている。気候の変化などの地球規模のチャレンジや課題に直面し、いかなる国も国際協力システムを超越して独自に対処することはできない。同じアジアの近隣同士の中国と日本もその例外ではない。

 

第四に、安定して健全な中日関係は、一時は膠着し、冷たい関係になったのを修正したばかりではなく、双方が深く思考した上で出した責任ある結論でもある。中日のどちらも、もしアジア地域あるいは国際舞台でさらに役割を果たし、世界の平和と発展に貢献したければ、互いに密接に協力する必要がある。

 

それでは、これからの中日関係は、何の心配もないのだろうか。私個人の体験や経験では、表面は熱くとも深い層の温度は低く、政策決定と実施との間には一定の時間差が存在する。だから我々はさらに多くの苦しい努力をしなければならず、決して高をくくって油断してはならない。これが「慎重な楽観」と私が言う理由である。

 

私はかつて外交官として、前後2回、全部で11年間、日本に常駐した。その間、素晴らしい出来事もあれば、ひどく悲しい記憶もある。1980年代末から90年代初めにかけて、中日関係はちょうど「ハネムーン」の時期に当たり、私もそれに遭遇した。私は長崎と大阪の中国総領事館で勤務したが、交流や付き合いが忙しくてたまらないほどだった。この時期の中日関係を中国語の四字熟語で喩えれば、「風調雨順」(気候が順調)だった。

 

当時、人の往来は高い水準で行なわれ、首脳レベルの相互訪問はもちろん、日本の天皇も歴史的な中国訪問を果たした。交流の規模は大きく、友好都市の交流は言うに及ばず、日本の青年3000人が北京に集った。接待する条件がまだ整っていなかった中国にとっては、天皇訪中と3000人の青年訪中は、史上、前例がないものであった。

 

今世紀の初め、中日関係は「氷結期」になり、私もその中にあった。私は東京の中国大使館でスポークスマンとして、交渉や論争に忙しく、目が回るほどだった。この時期の中日関係をまた中国語の四字熟語で喩えれば、「風雨飄揺」(情勢が非常に不安定なこと)と呼ぶことができる。

 

歴史問題や台湾問題など、中日関係の政治的基礎に関わる古い問題が同時に爆発し、東中国海の油田・ガス田開発などの、かつては問題でなかったことも問題となった。あたかも「毎年毎月、事件が起こり、どれもこれもがみな難しい」というような状態だった。「30年間苦労をしたが、靖国参拝で正常化前に戻った」という言葉で、当時の両国関係の悪化を形容した人さえいる。

 

この2回の駐在経験のコントラストはあまりにも強烈である。だから私は他の人よりも、今日やっと手に入れた両国関係の好転を身にしみて深く感じており、中日関係が早く、健全で安定した良性の発展軌道に乗ってほしいと、切実に感じている。

 

中日関係が相互に良性の、安定した発展目標を実現するために、我々は何をしなければならないのか。両国政府がすでに合意した共通認識と暗黙の了解以外に、我々は過去の経験と教訓の中から「大きな知恵」を引き出し、中日関係にひとたび問題が起こったときに、「小さな処方箋」を書かなければならない、と私は考えている。

 

君子の心で相手を量れ

 

1992年、日本の天皇は中国を訪問し、万里の長城に遊んだ(写真・劉世昭)

 人と人、国と国の付き合いはみな、相互信頼が関係の安定の基礎である。中日の間でとくに強化する必要があるのも、この点である。地理的、歴史的、文化的背景が違うので、中日両国の間には少なからぬ差異が存在している。両国関係が順調に発展しているときには、互いの共通点を見つけ出し、異なる点は残しておくことができる。しかし、何か問題が起き、直ちに妥当な処理ができないときには、往々にして互いに相手の腹を邪推し易い。

 

日本では「中国が強大になると、日本に報復するかもしれない」という言い方があるが、これは中国の発展方向に対して安心できないという一種の疑惑であり、それによってさまざまな「中国脅威論」の出版物が出てきた。例えば中国が月探査衛星の打ち上げに成功すれば「中国軍事脅威論」となり、中国が対外投資をすれば「「中国金融脅威論」となり、中国が東中国海の開発をすれば「中国エネルギー脅威論」となる、などなどである。

 

中国も多くの人が、日本の将来の方向に対して懸念を抱いている。「日本が憲法改正の歩みを速めているのは、戦後の平和主義の道を捨てようとしているのだろか」「日本が日増しに軍事防衛面での動きを活発化させているのは、軍国主義の復活と関係があるのだろうか」などなどである。あたかも日本側のあらゆる軍事行動がみな中国に対してのもののように言い、そこから「中国と日本は必ず一戦を交える」という言い方も出てくるのだ。

 

相手の戦略意図と目指す方向に対する互いの猜疑心は、相互信頼が足りないことから引き起こされ、またさらに相互信頼の基礎を損ない、信頼の危機を誘発してきた。このほか意思疎通の不足や特殊な人の特殊な行為が容易に疑惑を引き起こすこととも無関係ではない。例えば、中国に対する「放言」や、日本人でさえ問題だと感じている首相の靖国神社参拝問題や「価値観外交」などなどは、人々に何かの連想を引き起こさないわけにはいかない。

 

中国人がよく言う「君子の交わり」は、日本では「大人の付き合い」と言う。成熟した付き合いには一定の決まりがあり、それは一方の対外政策や行動は必ず相手側の受け止め方や反応に配慮しなければならないということである。閉幕したばかりの中国共産党十七回党大会での言葉を借りて言うなら、「国内と国際の二つの大局を統一的に協調させる」ということである。相手のことを気にかけてこそ、はじめて相手から気にかけてもらえるものだ。

 

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