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四川の被災地に届く神奈川の善意

 

于 文=文 写真は神奈川新聞厚生文化事業団提供

学校内で募金を集めた川崎市立中原小学校の児童たち

神奈川新聞グループの神奈川新聞厚生文化事業団は9月23日、神奈川県民から寄せられた中国四川大地震の義捐金1291万2136円を北京市民政局に寄託した。同事業団の石井邦夫専務理事、神奈川新聞アド・コムの田中誉士夫顧問、鴇田要一社長、弊社の徐耀庭社長が寄託セレモニーに出席。北京市民政局災害義捐金・物資受付センターの程立岩副主任が石井専務理事から義捐金目録及び寄託者の名前が掲載された神奈川新聞のコピーを受け取った。

義捐金、一刻も早く

集めた募金を届けた桐蔭学園の生徒たち

地震は、日本時間5月12日15時28分に発生した。一夜明けて、前夜からのニュースなどを見ていた石井さんは「これは大変な事態になりそうだ」とピンときた。

日本赤十字社神奈川県支部へ電話し、日赤も救援の募金を始めるとの感触を得た。そこで稲村隆二神奈川新聞社社長・事業団理事長と相談して、「被災地救援募金の社告を出す」ことを決め、翌日の紙面に掲載すべく直ちに原稿を書き、間もなく編集局に出稿した。

同事業団には、9月中旬までに155件の寄託があった。個人、学校、宗教界、企業、慈善団体など県内各界各層からだ。中には中国人留学生が留学先で募金を集めたり、横浜中華街で生活する中国人が寄付金を寄せたりしたものもあった。

地震発生の翌13日夜、女性団体の会合で集められた義捐金が同事業団に寄託された。寄託金の第一号である。

ひとたび地震に見舞われたら、どんなことになるのか――日本人の多くは、日ごろから地震に備えて、食料や水を備えている。風呂の残り水も捨てずに張ってある家も多い。一衣帯水の隣国での出来事は、決して他人事ではないと感じている人も多い。

授業の合間に募金箱を手作りする情報科学専門学校横浜西口校の中国人留学生

また、横浜のあるIT関連の企業は、百万円を同事業団に振り込んで来た。翌日、紙面に掲載されたのは、たったの四行である。その前日に「何かお話でも聴かせていただければ」という同事業団の問い合わせ電話にも、「いいえ、とくに」と言われるだけ。「善意・善行とはこういうものか」と石井専務理事は改めて思ったという。

中国で事業を展開している企業からの募金や「何かあったら、すぐ手助けできるように、日ごろ積み立てている」という寺院や僧侶のグループからの寄付もあった。

大人たちだけでない。各地の小中学校・高校などの児童・生徒も活発に動いた。早朝や放課後に校内で呼びかけたり、街頭募金をしたり……。そうして集められた義捐金は、同事業団や新聞社へ届けられた。

北京市民政局に義捐金を届けた神奈川新聞厚生文化事業団の石井邦夫専務理事(右)とそれを受け取る北京市民政局災害義捐金・物資受付センターの程立岩副主任(左から2人目)。弊社の徐耀庭社長(左端)も寄託セレモニーに出席した(写真・馮進)

募金期間中、日本では岩手・宮城内陸地震が起きた。四川大地震への日本の支援に感動した中国・広西チワン族自治区桂林市の中国人男性が、知り合いの日本人を通して日本の被災者へと義捐金を同事業団に寄託した。「地震による被災は不幸だが、お互いを思いやる友好・友誼の芽がまた一つ生まれ、あるいは育ち出したのではないか」と石井さんは言った。

米国経由で送金届く  

募金をどうやって中国の民政部門に届けるか。大金を直接持参することはとても危険が伴うので、同事業団は海外送金の方法を選んだ。しかし、横浜銀行と北京銀行との間では直接日本円が送れない。結局、同事業団、北京市民政局と銀行側の協力により、米国経由で送金が成功した。

神奈川新聞厚生文化事業団に義捐金の受領証書を渡す程副主任(左)(写真・馮進)

義捐金を受け取った民政局の程副主任は「神奈川県民の義捐金と熱意を必ず被災地に届けます」と約束した。「今回の寄託金額は北京市民政局が受け取った海外民間寄付でもっとも高額です。他の義捐金と合わせて四川省に一校の学校を建てるつもりです」と程副主任は言った。

学校が再建された時には、校庭に記念碑が建てられ、「中日友好」の文字が刻まれる予定だ。

 

人民中国インターネット版 2008年10月6日

 

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