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多田麻美:映像がもたらす感動と触れ合い

 

多田麻美

著者プロフィール 1973年生まれ。京都大学で中国文学を専攻後、雑誌の編集、記者を経て、現在、フリーランスのライター兼翻訳家として活躍。芸術・文化関連の記事を中心に執筆中。ペンネームは林静。翻訳書『北京再造』(王軍著)ほか。

学術目的でないボランティア主体の初の日本ドキュメンタリー映画祭として北京で脚光を集めた「2008REAL 日本ドキュメンタリー映画交流会」。映像が伝える「ありのままの日本」は、氷点下の北京で熱い共感を呼んだ。

まだまだ「交流」不足

2008年は、「日中青少年友好交流年」だった。ところで、この「日中青少年交流年」という言葉は、「シルバーシート」に似ている。専用シートなどなくても老人には席を譲るべきなのと同じで、日中の青少年は、交流年でなくても常に交流すべきだからだ。「交流年」など設けなくて済むのが一番だろう。

だが実際は、日中の交流はまだまだ不十分。映画を例にとっても、中国では日本映画はめったに劇場公開されず、日本でも、全国規模で放映される中国映画はまだまだ少ない。地方都市となればなおさらだ。

映画評論家戴錦華氏の主宰で進められた交流

交流会では四川大地震被害地への募金活動も行われた

このような、とても隣国同士とは思えないお粗末な交流レベルを思えば、昨年末、民間のボランティアが主体となって開かれた「2008REAL 日本ドキュメンタリー映画交流会」は、今後の定期的な開催が望まれる、実に画期的なイベントだった。

交流会では、中央戯劇学院を会場に日本人監督による六作品を公開。上映の合間には、日本から訪れた放映作品の監督や『一瞬の夢』『世界』などで知られる中国の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督をはじめ、映画評論家の戴錦華氏や北京電影学院の司徒兆敦氏などがディスカッションを繰り広げた。

横浜の記憶を綴る

開催初日の第一弾は、中村高寛監督の『ヨコハマメリー』。横浜の街の伝説的な娼婦、「メリーさん」の実像に迫った作品で、長い歳月をかけた周辺の人々へのインタビューが、強いインパクトを残す。

『ヨコハマメリー』

中村監督は1975年生まれ。『ヨコハマメリー』は、若い世代の監督がメリーさんという人物像を通じて横浜という街の記憶を探り、戦後を見つめ直した作品だ。上映後の対談で監督は、撮影の動機を「メリーさんは決して誰もが知る有名人というわけではない。しかし、横浜に暮らす人は誰もが知る存在。ならば、彼女について深く掘り下げることで、何か社会へのメッセージが見つかるのではないか」と語っている。

社会の底辺で生きた人物の姿を通して語られた歴史は、生の横浜像を人々に焼き付けたようだ。ある観客はアンケートに答え、「横浜という街の数十年の移り変わり、この街で暮らす人々の思いは、時が経つにつれて薄れていくものでは決してない。逆に変化する街の躍動的な美しさが感じられた」と述べた。

環境問題に国境なし

「身震いするような感動を覚えた」、そんな感激の声が次々と寄せられたのは、同日の午後に放映された鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』。青森県六ヶ所村に建設されたプルトニウム再処理工場に対する周囲の住民の反応や、様々な専門家らの分析などを盛り込んだ作品だ。上映後のディスカッションで、鎌仲監督はこう述べている。

『六ヶ所村ラプソディー』の鎌仲ひとみ監督(左から2人目)と歓談する 中国のドキュメンタリー映画の重鎮・司徒兆敦氏(右から2人目)

「湾岸戦争の際、有害な放射性物質で、子供たちが次々と白血病になっていくのを見た。それを撮影した後、実はその有害物質の一部は日本の核燃料施設から出ているものだと知った」

監督が日本の核問題に目を向けるようになったきっかけだ。

核政策問題は、日本では単に反対派、賛成派の二極論で語られがち。だが、鎌仲監督は反対派の運動を追う一方で、「推進派の中にも様々な個人がいて、その一人一人がなぜそのように生きるようになったのかを描きたかった」という。

その先入観を極力省いた映像に、「一般市民の生活環境に対する関心を非常に客観的に表現。この問題は中国でも同様に注目されるべき」と感想を寄せた観客も。彼らの中から、真摯にエネルギー問題と向き合った、新たな表現の誕生が期待された。

母親の死を記録

二日目の午後に放映されたのは、加藤治代監督の『チーズとうじ虫』。母親の看病のために群馬に帰省した加藤監督が、何気ない日常や母親との交流を追いつつ、限られた命の時間、家族の絆を記録し、命の循環について思索した作品だ。温かく、だが冷静に親しい家族の死を見つめたこの作品は、家族愛を重んじる中国の人々の間で強い共感を生んだ。

「日本人の生活、家庭、さらには実際の感情が感じとれた」「風の音、雷、揺れる向日葵、親子の談笑。それらの中に、もっとも簡単で大切で価値のある幸せを見出すことができた」(アンケートの回答より)

極めて個人的な事柄を扱った映画であるためか、観客の間には、自らの生き方に重ね合わせて感想を語るケースも。それは「これまでに観た中でもっとも感動的なドキュメンタリー……生命の意義が理解でき、家族との接し方、人の生死についての理解がより明確になった」などの回答に表れていた。

奈良ファン熱狂

今回の上映作品に登場した唯一の「世界的スター」といえば、何といっても奈良美智氏。『NARA:奈良美智との旅の記録』は、この著名な芸術家のアート・プロジェクト「YOSHITOMO NARA+graf AtoZ」を追いかけた作品だ。

『NARA:奈良美智との旅の記録』

放映後は、観客から「たいへん感動した」との感想が殺到。作品が、会場に詰め掛けた奈良ファンを大興奮させ、新たに多くの奈良ファンを生んだことは疑いない。また「中国の芸術家を撮ることは可能か」「ぜひ中国の監督ともコラボレーションして欲しい」など、監督の坂部康二氏の今後の活躍にも期待が寄せられた。

奈良美智氏はそもそも、メディアでの露出度が極めて低い芸術家。そんな奈良氏が今回カメラを受け入れたのは、複数の人々との共同プロジェクトを手がけることになったため。これを機に、坂部監督は一年から一年半ほどの時間をかけ、「初めて会った人と仲良くなるような感じで」奈良氏との距離を次第に縮めていった。作品では、その微妙な距離感が、監督自身の存在感とともに映像に映し込まれている。

心に残る味噌の香り

最終日の三日目に放映された『タイマグラばあちゃん』という作品の舞台は、岩手県の早池峰山山麓にあるタイマグラという開拓地。近代化の影響をほとんど受けず、電気も最近まで通っていなかったこの地で、自給自足に近い状態で一生を送った向田マサヨさん。その大自然に溶け込んだ生活が、作品の主旋律となっている。

『タイマグラばあちゃん』

高い完成度をもつこの作品に、観客からは「これまでの半生を思った。穏やかで得意ぶらない叙述に心が落ち着き、しっかりと生きるべきだと気づかされた。この作品を心に刻んでおきたい」などの心のこもった感想が寄せられた。

実はこの「タイマグラばあちゃん」のような暮らしは、日本でこそ非常に稀だが、中国では一部の農村でまだ頻繁に見られるもの。だが、アンケートの結果が伝えたのは、そのような差は鑑賞者に一種の「親近感」をもたらしたこと、そして「タイマグラばあちゃん」のイメージが、観客の身近な人々に重ねられ、生き生きと膨らんでいったことだ。

「私の両親もタイマグラとよく似た雲南の小さな村に暮らしている。作り方こそ違うが、私自身もタイマグラばあちゃんのように豆腐を作ることができる」「自分の母親、祖母、そしてこれまでに出会った多数のお年寄りを思い出した。彼女たちは強く、善良で働き者だ。そしてその豊かな愛と周囲への気配りは、私たちに毎日心のぬくもりに満ちた生活を与えてくれる」(アンケートの回答より) 作品では、向田さんの作る純手作りの味噌玉や豆腐が重要な役割を果たす。「今年の旧正月は、実家の母と一緒に母の得意な雲南料理を作ろう……長い伝統が生み出した美しい心と価値観を、安易に捨ててはいけない」「この作品は時間をかけて熟成された味噌のよう。……『ばあちゃんの匂い』がまだ残っている」といった回答から、映像から漂う「匂い」に、観客の一人一人が「ふるさとの匂い」を重ね合わせたことが感じられた。

実際に何が起こったのか

最後の締めを飾ったのは、第二次世界大戦中、沖縄戦で犠牲になったひめゆり部隊の生存者たちの証言を集めた映画『ひめゆり』。

若い観客の前で感想を述べる日本人のドキュメンタリストたち 舞台上で聴衆に語りかける中村高寛監督(左)と贾樟柯監督

「これまでも日本には戦争を撮った映画が多数あった。でも、戦争をやってはいけない、という宣伝の映画ばかり。実際に何が起こったのか、というドキュメンタリーは観てこなかった」と監督の柴田昌平氏は制作の動機を語る。「何があったのか知りたい」という思いを貫くため、撮影の際は証言者全員に、もう一度傷を受けた思い出の場所に行ってもらった。

「インタビューというのは、どの場所で話を聞くかによって、同じ質問でも全く答えが違う。現場に行くということは、亡くなった人ともそこで向き合うこと」と柴田監督。粘り強く集めた貴重な証言は、百二十時間分に上った。

日本軍がアジアで行った行為には触れていないため、柴田監督はこの作品を中国で放映すべきかどうか悩んだという。実際、観客の中には、作品に歴史認識が欠けていると訴える者も。だが、来場者の多くは生存者らの偽りのない言葉をまっすぐ受け止めたようだ。

「第二次大戦当時の日本の民衆や、動員された学生たちの真の生活状況を知る手がかりとなった。戦争はなんて悲惨なのだろうと驚いた……」「私たちに本当の戦争とは何か、またいかなる主義・主張の下であっても、戦争が人類の生命にもたらす痛手は同じだということを教えてくれた」「これほど誠実に歴史の細部を描いた映画は稀」「人類の醜い部分に目を向けられる人は尊敬に値する」(アンケートの回答より)

作品では、各証言の間に言葉のない部分が多くとられていたが、印象的だったのは、ある観客がこの言葉のない部分について、「本当にすばらしい。星は私たち人間を見ている、草は私たちの歴史を見ている、海岸は私たちの命の旅を見ている、と教えられたよう」と述べていたこと。  

想像力の交流こそが、映画交流の醍醐味だ、としみじみと感じさせられた一言だった。 (文=多田麻美 写真は『2008REAL』実行委員会提供)

 

人民中国インターネット版 2009年4月14日

 

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