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正しい知識と理解する心で差別を無くそう

――「ハンセン病制圧」闘士、笹川陽平氏インタビュー――

文=孫 雅甜 写真=楊 振生

人類の歴史上、もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つ。それがハンセン病である。長い間、ハンセン病にかかった人は家族からも捨てられ、社会からも排除され苦しい生活を強いられてきた。今もなおたくさんの患者や回復者が差別と偏見を受けている。しかし、この病気をなくし、患者と回復者を差別から救うために長年、奮闘しつづける人物がいる。WHOハンセン病制圧特別大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使である日本財団の笹川陽平会長である。

ハンセン病制圧に取り組む

ハンセン病制圧をライフワークとする笹川陽平氏は、長年のあいだハンセン病に熱心に取り組んでいるが、その最初のきっかけは、幼少時代にさかのぼる。7才の時に戦争に遭い、一晩で十万人以上の人が亡くなるという大惨事を経たが、幸い彼自身は生きながらえた。だがその後、戦争のために非常に苦しい貧困生活が長く続いた。

取材を受ける笹川陽平会長

当時、陽平氏と父親の笹川良一氏が住んでいた村の中に、若い娘がいた。しかし、その娘は、ある日突然、姿を消した。原因はハンセン病である。当時の日本には、ハンセン病にかかると、警察がその患者を強制的に施設に収容するという法律があり、神様の罰だとか、親から子供に遺伝する病気だとかいわれていた時代だった。その娘の遭遇は陽平氏とハンセン病との初めての接触といえるものだった。

その後、父親がハンセン病と戦うようになり、初めて韓国にハンセン病の病院をつくった時、28才だった陽平氏が同行した。そのとき、彼は非常に悲惨な状況を目にした。というのは、ハンセン病になると、親からも家族からも不名誉だと見られ捨てられたのである。陽平氏は、ハンセン病がどんなに悲しい病気かを知るようになり、大きなショックを受けた。以降、何とかこの病気を世界からなくしたいという強い気持ちにより、父親とともに活動を開始したのだ。

病気と取り組む中で、陽平氏が率いる日本財団は長い間、ハンセン病撲滅に懸命に取り組んできた。1980年代以来、財団は世界で1600万人のハンセン病患者を病気から救うことができた。しかし、ハンセン病が何千もある病気の中でも非常に特徴的なことは、病気が治っているにもかかわらず、社会から認められないことである。「就職ができない。結婚ができない。悲しいことに、ハンセン病に対する社会からのさまざまな差別は今も世界中で続いています。病気の治った回復者たちは働く意欲も情熱もありますが、そのチャンスがないんです。そのチャンスを与えるために、私たちは活動をしているわけです」と、陽平氏はハンセン病を単なる医療問題ではなく、基本的人権に関する社会問題として取り組むべきと思い至ったのだ。

差別をなくすために

それで彼は一連の活動を始めた。まず2003年から、国連に対し、ハンセン病患者や回復者の差別撲滅を訴え続けてきた。2008年となると、ジュネーブの国連人権理事会において、日本政府がハンセン病の差別撤廃決議案を提出することになった。「うれしいことに、そのとき中国政府が日本の提案に賛成したのではなく、私たちも協力したいということで、共同提案国になってくださったのです」と陽平氏は微笑みながら言った。中国は日本政府の共同提案国として日本とともに決議案を提出し、その提案は全会一致で決議された。

笹川陽平会長にインタビューする弊社の記者(左から1人目)

また学校教育を通じてハンセン病への差別をなくすことにも力を入れてきた。学生たちに対しは、ハンセン病は治る病気であり、怖がることもなければ差別すべきことでもないと、この病気に関する正しい知識を知らしていく必要がある。病気から治った人たちが一般の障害者や普通の人々と同じように社会で活躍できるよう、陽平氏は日本財団を率いて努力している。その成果の一つとして、2010年の国連総会本会議では「ハンセン病患者及びその家族への差別を撤廃する決議」が採択されたのである。これについて陽平氏は感無量だった。「これは大変珍しい例ですが、私も一生懸命努力してきた甲斐があります。これからは各国の政府も治った人たちの社会復帰のために協力するようになるでしょう」

 

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