井上俊彦=文 写真提供=日中学生手話交流実行委員会
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手話で自己紹介をするメンバーたち。日本人の名前は、生徒たちには興味津々だったという |
現地で生徒たちと交流を行うメンバーたち |
今年で第4回となる、日中学生手話交流事業が5月18日(金)から20日(日)まで南京で行われ、北京で学ぶ日本の留学生が「南京聾人学校」を訪問し生徒たちと交流したほか、地元の老人ホームも訪れた。今年、活動に参加したメンバーは12人、全員が早稲田大学からの留学生だった。
19日に行われた「南京聾人学校」訪問では、3~4人のグループで各教室で授業参観と手話による交流を行った後、留学生全員が学校のホールで演目を披露した。手話による自己紹介をした後、『阳光总在风雨后』『朋友』などの中国語曲を手話を交えて歌い、勇壮なソーラン節の踊りを披露した。これに対して、地元の生徒たちは、笛の演奏、雑技、ダンスなどで歓迎してくれた。翌20日の老人ホームでの交流では、前日同様に歌と踊りを披露し、各自が老人たちの間に入って中国語で会話を楽しんだ。
同活動は、2008年の四川大地震後に被災地を訪れたことが始まり。参加した学生から翌年以降も続けるべきとの意見が強く、継続することになったという。訪問地については、「日中友好を考える際の最重要地」という理由で南京が選ばれ、以降3年間南京で交流を行っている。
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5月26日に行われた報告会では、実際に交流で行った自己紹介などを再現して記者らに説明。名前を紹介そろいのTシャツには、「愛」を意味する手話のイラストがプリントされている |
生徒と記念撮影をするリーダーの原田直樹さん |
26日(土)に北京で行われた報告会では、参加者から交流を行った感想などが話された。
宮内知慧さん(早稲田大学国際教養学部4年)
「私たちの手話はそれほど上手ではないので、深い話はできなかったのですが、私たちが手話を交えて歌っていた時、後ろの方に座っていた小学生の男の子が、一緒に手話で歌い始めたのです。それがとてもうれしくて、これも交流の1つの形かなと感動しました」
東條健さん(早稲田大学商学部4年)
「初日に南京大虐殺記念館も見学しました。その後で老人ホームに行くことだったので、正直なところ少し恐怖感がありましたが、実際に行ってみると笑顔で歓迎してくれました。戦争を経験している年代の人たちが僕たちに対してどうしてこれほど歓迎してくれたのか不思議に思うほどで、考えらさせられるものがありました」
諸原龍之介さん(早稲田大学国際教養学部3年)
「単純に交流して楽しかったという感想もありますが、同時に課題も見つかりました。生徒たちは聞こえない中で見事な演技をして、彼らならではの感動を与えてくれました。逆に耳が聞こえる健常者の私たちが出し物を考える時、どれだけ相手のことを考えることができたかな、と反省する点があったのです。来年以降に向けて、こうしたことをしっかり伝えていきたいと思います」
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教室で生徒たちの授業を参観するメンバーたち |
大内洸太さんは、教室で生徒たちと中日の手話の違いなどの情報交換をした |
大内洸太さん(早稲田大学政治経済学部3年)
「私は聴覚障害を持つ両親に育てられましたので、手話ができます。教室では生徒たちが日本の手話に興味を持ちまして、日本の手話と中国の手話を比べてみようということになりました。そんなこ とを通じて、生徒の世界を少しでも広げられたかなと思います」
原田直樹さん(早稲田大学国際教養学部4年)
「私は唯一2年連続の参加で、今年はリーダーとしてメンバー募集から協賛企業や大使館などとの連絡も担当し、得がたい経験ができたと思います。帰国後も各自がなんらかの形で関わり、社会人になっても継続してサポート、アドバイスができるような体制作りも進めていきたいと思っています」
原田さんは、こうした活動は継続して行うことが大切と話しており、10年連続開催を目標にすでにこの活動のOB、OGが東京でチームを結成し、サポートを始めているという。自分たちがもっと良くしよう、発展させようという意識を持っていけば、きっと長く続けていけるはずと自信を見せている。
なお、中日学生手話交流実行委員長として学生をサポートしている藤田安彦さんによれば、この交流は中国側にも大きな感動を与えるようで、南京では地元のテレビ局3社が取材に訪れたという。
人民中国インターネット版 2012年6月1日
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