新茶造りを体験

 

摘み取ったばかりの新芽

 323日、景徳鎮で第8回の中国茶文化国際検定を行ったあと、私たちは、実習を兼ねて景徳鎮の東90キロほどのウー源県に向かいました。1999年以来3度目の訪問です。日本ではあまり馴染みのないウー源県は、中国茶文化の歴史において重要な意味を持つ地域です。陸羽の『茶経』にも、唐代の他の名産地とともに記載されています。

 

 現代生産されているウー源茶の名品は、ウー源茗眉、霊岩剣峰茶、ウー源墨菊、大ショウ山茶、天香雲翠などがあります。すべて緑茶です。なかでもウー源茗眉は、唐代から1200年の歴史を背景に、「上梅州(灌木、中葉、早芽)」という優良品種と大葉種茶樹の新芽を選び、伝統技術を利用して、1959年に開発された新品種です。

 

 今回は、ウー源県の中でも江湾郷暁起村にある「中国茶文化第一村」を訪ねます。この村を整備した江西省社会科学院教授で中国茶文化史の第一人者、陳文華先生のご案内です。

 

子どもたちのお出迎え

出迎えてくれた子どもたち

 

 春爛漫の景徳鎮を出発した私たちは、緑一杯の春景色を満喫しながら高速道路をひた走り、一時間半ほどで到着しました。清代の古い家並みが残された古鎮として観光地としても注目されているようで、出店も多く、入り組んだ道を過ぎると菜の花が一杯に咲き乱れています。都会暮らしの私には心休まる一時です。

 

 突然「歓迎、歓迎」の大合唱。陳先生が主宰する、中国で最初に出来た茶芸師養成学校である南昌女子職業学校の付属幼稚園の子どもたちの出迎えです。子どもたちの笑顔は新茶の新芽のように涼やかで輝いています。茶の郷の子どもたちの目は、大きな未来を見ているようでした。

 

 やがて「中国茶文化第一村」の看板が見えてきます。ここは、茶芸師の実習場も兼ねていますから、私たちも陳先生の特別講座を聴くことにします。

 

炒青の様子

 講座の内容は、

 

 ①茶畑の中で茶葉の生育についてのお話。特に、栽培に手を加えたものと自然のものとの違いを確認。

 

 ②暁起村が茶を生産して、茶葉を輸送する道筋であったことと、清代の荷車や石を敷き詰めた茶葉古道の散策。

 

 ③陸羽の『茶経・八の出』に記載された「歙州、ウー源の山谷に生ず」の説明から、長い歴史の中でのウー源茶が高い評価を得たことについての説明。

 

 さらに、資料館を兼ねた茶館では、清代の製茶道具を現在も使いながら製茶する様子も見学しました。特に一人用の揉捻機(茶葉をもむ機械)や水車を利用した揉捻機は、当時の製茶技術の一端を垣間見ることが出来ます。

 

新茶造りをお手伝い

茶樹の説明をする陳文華先生(右端)

 

 「さあ茶摘みをしましょう」陳先生の号令で、今年の新茶造りが始まります。

 

 参加した女性たちも、ちゃっきり娘よろしく、新芽を摘みます。「言うは易く行うは難し」。一時間あまりの茶摘みに悪戦苦闘が続きます。それでも、摘まれた茶葉は瑞々しい潤いのある茶葉です。

 

 集められた新芽は、酸化酵素を止める殺青、そして揉捻、乾燥などの工程を経て、新茶「暁起毛尖」が出来あがります。私たちも、茶摘みの苦労も忘れて、殺青方法の一つである炒青(熱した釜で炒める)を手伝ってみます。手伝っているのか邪魔をしているのか分かりません。しかし、みな真剣な顔です。いつものことですが、自分たちが造ったお茶の味は格別です。

 

 昔ながらの茶館、一面の菜の花が微笑みかける春景色、澄んだ空気……、一杯の茶が体と心を癒すのには十分だと言うことを体感します。こんなお茶を味わいながらの一日は、至幸の時です。

 

 千年以上の時の香りと味わいは、中国茶文化を人生の友とした者のみに許される特権かもしれません。

 

 「中国茶文化第一村」は、商売中心に発展する現代の中国茶世界とは一線を画した村です。有名なお茶、茶文化祭で金賞を取ったお茶、伝説で名前だけが売れたお茶、貴重品で値段だけが高騰したお茶、投機目的でブームを迎えたお茶、そんな茶文化がはびこる現代だからこそ、この村の意義があるのだと思います。

 

 いつの間にか、観光客の喧噪はおさまり、村人の心づくしの夕食をいただきながらの茶談義。ねぐらに帰った鳥たちの語らいも聞こえなくなり、夕闇が暁起村を包むころ、新茶を手にした私たちも帰路につきました。(棚橋篁峰=文)

 

人民中国インターネット版

 

  

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